あの時、あの場所で、あの人との出逢い

今の自分があるのは、あの時、あの場所で、あの人と出逢ったからだということが、多かれ少なかれ人それぞれあるように思う。

「鉄人」とえば、現役時代、広島東洋カープだった、故・衣笠祥雄(きぬがささちお)さんを思い出す。
相手投手からデッドボールを食らい骨折した翌日も出場したのを覚えている。連続試合出場2215試合の「鉄人・衣笠」だ。

最近、騒がれている「鉄人」は、大相撲秋場所、幕内、東前頭十枚目の玉鷲が歴代連続出場記録を1631回とし、単独一位となった。
連続出場は2004年1月の初土俵からだから、相撲デビューしてから2024年の今日まで、約20年、一度も休んでないことになるそうだ。
これからの玉鷲は取り組む一番一番が記録更新となる。

驚いたのは、玉鷲は一度の相撲経験がなく角界に入り、この長いキャリアを築いていることだ。
この人の相撲との出逢いは、同じモンゴル出身・鶴竜がキッカケだった。鶴竜に出逢ってファンタを買ってもらったそうで、ちなみに味はグレープだったと玉鷲本人が言った。
鶴竜からのファンタ・グレープがなければ今日の玉鷲はなかったということだ。

最近相撲を妻と観戦するようになった為に、このような話になったが、本当に話したいのは、前述とは全く無関係の、私が海外サッカーを好きになった キッカケである。
30年ほど前のそれは、フィルターがかかってるからかもしれないが私の中では、とてもドラマチックなものだ。

私が16才の時。Jリーグが開幕した1993年のことだ。
野球、というより巨人戦ばかりの家のテレビに、サッカーが入ってきた。確か写真がたくさん載ってるJリーグのムック本が出たはずだから、それでも見てサッカーをもっと知ってみようかな、という思いで高校からの帰り道に書店に立ち寄った。家路に1番近い道ではないので「わざわざ」本屋に行ったのである。

あった。
写真を見る。
んー欲しくなる。夢中になって見ていると、肩をたたかれた。
振り向くと、同級生のサッカー部・I君だった。
私が立ち読みしている本を見て「ソレ買う気か?」と聞かれた。迷っていたのだが思わず「うん」と答えてしまった。
I君は首を横に振りながら
「いやいや、買うならコレにしろ」と私に差し出したのが‥‥
(なんだコレ??『ワールドサッカーグラフィック』??)
表紙には見たこともない黒人の選手。見たこともない髪形。見たことのないユニフォーム。
Jリーグの方が良いのになぁ。

言った手前、購入し、家に帰ってもずっと見ていた。

名前も知らない。聞きなれない、いや読み慣れない名前。コレ人の名前?
ロベルト・バッジョ‥ロバートじゃないんだ。バッジョって変わった名前。
サ‥サ‥サヴィチェ‥ヴィッチ?なんて言いづらい名前。
なんだこのユニフォームの色‥‥縦縞のチームが多い。
まったく訳が分からなかった。

当時90年代はイタリアのサッカーリーグ「セリエA」が世界最高峰の時、雑誌に載っているのは殆どそれだった。

次の日、登校すると早速、書店で出逢ったI君と同じく、クラスメイトでサッカー部の友達・T君と欧州サッカーのレッスンが始まった。
当時、私がサッカーについて知っているのは「手を使えない」「GKだけが手を使える」くらいだろう。

「日本のサッカーリーグは『Jリーグ』って言うだろう?イタリアのサッカーリーグは、『セリエ』って言うんだ。1部・2部・3部あって、1部を『セリエA』。“エー“ じゃないぞ。イタリア語だから ”アー” って言うんだ。」

Jリーグは「オリジナル10」の時代。J2、J3はなかった。海外では下部リーグがあり、順位次第で降格・昇格があること。
選手名の後に ”〇〇代表” とある表示さえも意味が分からなかった。私は出身地だと思い、Jリーグの外国人助っ人は国を代表してJリーグに来ているのか?Jリーグ凄いな!なんて思っていた。

本当に何も知らなかったので、すべてが新鮮だった。

今でも私は海外サッカーが好きだ。あの時、あの書店で、I君に逢ったから。

ロシアW杯からサッカーの虜になった妻に「オールドファン」と言われる。あれからあっという間の30年。
今ではJリーグ開幕の年に生まれた妻の方が海外選手を知っている。
夫婦で観戦するサッカーは幸せだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?