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自分の直感を信じる、しかし何を根拠に?


世の中、新型のウイルスで大変な事になっています。(やっと緊急事態宣言が解除されましたが...)しかしこれは大変な事だ、ということになっているとも言えます。というのも、実際に身の回りで困難な事態が起きてそれを身を以て体験すれば、それはその人にとっては大変な事となるでしょう。しかし、今回の未曾有の危機は、わたしにとっては近いようで遠いのです。確かに感染者数はやっと落ち着いてきたものの、多くの人が感染し外出自粛を余儀なくされました。それにもかかわらず、身近に感染者は一人もおらず実感がない。これは現実に起こっている事なのであろうか?

つまり、事実とは誰の目にも同じように映るとは限らない、と思うわけです。

オールドメディアは意図的に、ある一定の方向に誘導して行こうとしているようにしか見えません。様々な事柄を巧みに組み合わせてストーリーを作り上げ、信じさせる。見せたくないものは敢えて流さない、書かない。これは昔から変わっていない彼らの手法ですね。この期に及んで、メディアを信じる人はあまり多くはないと思うのですが...

インターネットはどうでしょう?とにかく情報が多くて、どれが本当なのかわからない、頭がゴチャゴチャになる、というところでしょうか。何を信じたら良いのか途方に暮れることもあるでしょう。

しかし!ここがチャンスなのです!

「直感を信じて物事を見る」という事をお勧めしたいのです。


日々の決断

そもそも誰でも日々、様々な判断をしています。着る服を選んだり、食べるものを決めたり、どの道を通るか考えたり。何気ない事のようですが、これまでに自分の中に蓄積した経験、その時の環境、天気、時間帯、雰囲気など、様々な要因を総合して結論を出しているのです。

そこに確たる根拠はありますか?

わたしの場合ですが、絶対的な根拠はありません。それにもかかわらず、満足のいく結果が得られる事は多々あります。逆に少し後悔というか、違ったな、と思う時もあります。しかし慣れてくると不思議なもので、「大体は正解かな」という所に辿り着きます。そして、大きく外した時だけ「失敗した!」と残念に思うわけです。このようなやり方は、「これかな?多分これだ!」というある種感覚的なやり方、つまり直感的な作業となっていると思うのです。

一方、理詰めで考えた場合、それが上手く行かなかった時のダメージほど大きいものはありません。これは根拠があると思い込んでいる場合なのです。絶対これが正解なのに、おかしい、となるわけです。


これまでの世界**

理論、論理的思考というのは、もちろん大切なものです。すべて勘に頼るのは確かに危険な感じがしますし、世界はうまく回らないように思います。大変な苦労をして法則や理論を導き出した先人達には、敬意を表します。現在の生活に役立つことも本当にたくさんあります。

しかし、すべてが正しいのかどうかを判定することは、実はとても難しいのです。それまでの理論や常識を覆す新理論というのが出てくることは、珍しくありません。コペルニクス的転回、というものですね。

思い切った事を言うと、権威が正しいと認定しているから、真実であるとは限りません。

実際には、間違いなく有効だと判断できるもの、まだ少し足りない感じがする、違うような気がするというものもあります。これは感覚的に、つまり直感でこれは本当だな、その通りだなと感じたり、またはなんだか変だな、納得いかないな、もぞもぞするなと、感じたりしているわけです。

そして後々、それは自分の判断が正しかったという答え合わせができた時、これからを生きる勇気が湧いてくるのです。


直感力の鍛え方

あくまでもわたしの場合ですが、直感を信じるために、直感力を得るために次のような事をやってきたのではないだろうかと思っています。

1. 本を読んで読んで読みまくるー その昔は江戸川乱歩やアーサー・コナン・ドイルの推理小説が好きでした。最終的に犯人がわかるわけですが、それまでの振る舞いや物言いを覚えておいて答え合わせを楽しんでいました。これはある意味、人間観察をしていたということになるでしょうか。そして神話や物語、時代の先端を行くというよりどちらかというと古いものが好きでした。神々の役割や特性、性格までが書かれた神話(その頃は特にギリシャ神話)にはとても魅力を感じました。理不尽な出来事もたくさんあるのですが、現在の世の中にも通じるような内容に惹かれていたのだと思います。このような好きな本を一回読んで終わりではなく、またふと気になったら何度も読み返していました。今は小説はあまり読まないのですが、気になる様々なジャンルの本はかなり積んであります。以前よりも作者についてどのような人物なのか調べるようになっています。読んでいるうちに作者の性格を推測するようになり、健在している方の場合はインタビューなどをみて思っていた通りだ、少し違うな、などと楽しんでいます。

2. 人物をしっかり見るー 今、例にあげたように実在する人物については特に動画、テレビなどを通じて拝見できる時には、穴が開くほど見つめます。言葉の端々や顔の表情、動作からどのような方なのか読み取ろうとします。人と接するときには少なからず、相手がどう思っているかな、などと様子をうかがいますよね。それを常日頃、画面の中の人にまでやるのです。トレーニングですね。有名人の方などはとてもお気の毒なのですが、何かの拍子にマスコミにバッシングされたりすることが多いです。それまで積み重ねてきた自分の観察からはそのような人には思えないということもあります。逆に納得だな、と思う時もあります。身近な人にならば直接真偽を確認できますが、そうは行きません。だいぶん先になって真実が明らかになった時に(それすら本当に真実なのかわからない時が多いですが)答え合わせをしようと思います。

少し視点を変えると自分自身ですら観察の対象です。一歩引いて、自分はこんな感じなのかと他人の視点から見てみます。嫌なところが沢山で結構落ち込んだりもしますが、ミクロ単位の小さな良いところも頑張って見つけようと試みたりします。

3. 自分に聞いてみるー さて、一番肝心なところに辿り着きました。ある事に結論を与えた時、自分自身に聞いてみます。「本当にこれでいい?」「なんだかおかしいと思うところは無い?」「後悔はしない?」「これは正しいと思う?」

一人の時は実際に口に出すこともありますが、周りに人がいる時や外出時には心の中でハッキリと聞いてみます。慣れてくると意外と答えは帰ってきます。もちろんそれまでに積み重ねてきたもの、自分自身を信じた上で聞くのです。「やめた方がいい」「もう少し考えたら」「大丈夫!」など。「わからない」という時もありますが、この場合は保留ということにします。また日を置いて確認してみたり、だいぶん先でないと答えは出せないのだろうと納得したりします。

今回はこの3つの方法を記してみましたが、当たり前に無意識に誰もがやっている事かもしれませんね。それを改めて意識してみると変化を感じられるのではないかと思います。この三本柱の他にもさらに細かいことを様々行なっていますが、そのお話は追々させていただきます。


これからの世界に向けて

今回の騒動をきっかけに世界の常識が変わりそうです。マスクをしている日本人をはじめとするアジア人の習慣に違和感を感じていた欧米の人々も、今ではマスクをしているのが良い例でしょう。仕事の仕方も物事の見方も変化しそうです。何が人間にとって本来価値のあるものなのか、どのような生活、世界を望むのかという事を考えなければならない状況を突きつけられています。

これは誰かがこれからの世界を作ってくれるのを待つのではなく、一人一人に課された問題のように思います。「あなたは今後、どのような生活をしたいですか?どのような人生を送ろうと思っていますか?」と、問いかけられています。自分を信じること、そして自分の直感を信じて力強く生きて行くことが求められる時代が、いよいよやって来ました!




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