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#001 はじめまして

 はじめまして。ご覧頂きありがとうございます。ゲーム音楽制作会社ノイジークロークでゲーム音楽の作曲をしている藤岡竜輔と申します。

 note連載企画「ノイズなアカデミー」記念すべき一回目ということで、何をお伝えしようかと考えていたのですが、やはりまずは自分という人間を知って頂きたいと思いますので、今回は簡単な自己紹介、音楽遍歴を書いてみたいと思います。

 1982年、広島で生まれてすぐに両親が留学していたアメリカに渡り、1年ほどカリフォルニアに住みました。当然記憶にはありませんが、両親の聴いていた"YES"や"Queen"にノるような赤ん坊だったそうです。

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 翌年、父の祖国であるベネズエラ共和国に移り住み、8歳頃まで住んでいました。父はベネズエラ人で、父方の祖父はAlberto Jose Alvarez Diazという、その昔ベネズエラでは名の知れた悪役専門の映画俳優でした。私も何度か撮影を見学させてもらったことが記憶にあります。

ベネズエラはその他のラテンアメリカ諸国に違わず、サルサなどのラテン音楽が盛んで、父や叔父はギターやクアトロという伝統楽器を演奏し、祖母や叔母はダンスを嗜むという、日本でいう音楽一家、とはちょっと違うのですが、音楽に囲まれた幼少期を過ごしました。また、父も母も家ではスペイン語しか話さず、家族もスペイン語のみだったため、私自身もスペイン語で育ち、日本に来るまでは全く日本語がわからず苦労しましたが、今となっては後述の私の人生に大きく寄与したと思います。

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 9歳でいわゆる帰国子女という形で日本に帰ってきましたが、母は私をインターナショナルスクールには入れず、普通の公立小学校に入学させました。前述の通り、最初はものすごく苦労しました。言葉の壁もあり最初の一年はあまり一緒に遊ぶ友達がおらず、自宅でテレビやマンガなどを読んでもちんぷんかんぷんで楽しめなかったのを見兼ねた母に、楽器のレッスンを勧められヴァイオリンを習い始めました。

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ヴァイオリンの練習はものすごく楽しかったので、帰宅して何時間も練習していたお陰でかなり早く上達し、結果的には中学生に上がるときに通学の難しさを理由に辞めてしまうのですが、"メンコン"にチャレンジするくらいまで頑張りました。この頃はただただクラシックばかり聴き、バッハ・ヘンデルを聴き倒しました。ちなみに今はヴァイオリンは全く弾けません。今思えばなんで辞めたのか本当に意味が分からない。

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そして中学校一年生の時に、辞めてしまったヴァイオリンの代わりにギターを独学で始めて以降、高校卒業まではギターの練習に明け暮れ、聴いていた・弾いていた音楽もひたすらメタル。特にキコ・ルーレイロやマイケル・ロメオが大好きでした。と同時に、ゲームの音楽(特にRPG)も大好きだったので、サントラの存在を知らなかった私はよくテレコ(死語)に録音したりして聴いていました。

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 大きな転換期は高校卒業後にフランスに留学したことから訪れました。歴史学を学びたかった私が母に相談したところ、世界のことを学ぶなら外へ行け、と言われ、気が付けばフランスに単身行っていました。もちろんフランス語は微塵もわからずこれまた苦労しましたが、先述のような経験と同語族であるスペイン語の知識に助けられ、半年で語学学校から本科に転入学することができました。

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フランス留学時代にはこれを皮切りに今の自分を作っている大きなポイントが2つあります。一つは現在の私の作風の大きなバックボーンとなっている"民族音楽"、そして音楽を作ってみたい、というきっかけになった"MIDI"との出会いです。

 大学時代は歴史学とか文化人類学とか地方言語とか、そういったものを専攻していた関係で、実際に現地に赴いて土着の風習や文化のリサーチをするフィールドワークをフランス国内外で数多く行いました。そうやって各地を旅行していく中で、民族音楽に傾倒することになる衝撃的な出会いがあったのです。

フランス西部ブルターニュ地方のカンペールという町にフィールドワークに行った際、ちょうど祭りのような催事に出くわし、その中でひときわ耳を引く音楽を聞きました。(YouTubeで見つけた、その当時私が見たものに近い動画を発見したので貼っておきます。音量注意です。)

初めて見る踊り、初めて聞く音楽と初めて見る楽器で、しばらく釘付けになっていたのを今でも覚えています。あとで調べるとチャルメラのような"ボンバルド"、そしてバグパイプの"ビニュウ"による伝統的なブルターニュ音楽のデュオでした。この日以降、私は民族音楽にどハマりし、各地を巡ってはその地方の音楽を漁り、現在に至るまでの主食になりました。帰国後は地元で民族音楽を演奏するバンドも組んだり。

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あ、ちなみにメタルも引き続き好きだったので、地元の友人とデスメタルバンドも組んだりしていました。このバンドではボーカルと作曲をしてました。こっそりCDも作ったんですよ。まだ在庫あるんじゃないかな。

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 もう一つのポイントは、日本を離れ、周りに一切日本的なモノがない環境で暮らす中で、特に辛かったことが"ゲームができない"こと、つまりゲームの音楽が聴けないこと、でした。当時フランスには日本文化の流入がまだそれほどなかったので、日本のサブカルチャーアイテムを手に入れることがものすごく難しかったのです。そこで私はまだ黎明期だったインターネットを使い、何とか日本のゲームをプレイできないかと探し始めました。当然ながら結果は芳しくなかったのですが、あるとき何故か当時流行っていた"ゲーム音楽のMIDIデータ"を耳コピして配布しているサイトにたどり着きました。

最初のうちはわけもわからずただただ懐かしがって聞かせて頂いていたのですが、調べていくうちにMIDIデータというのは"音楽ファイル"ではなく"演奏情報"だということ、その演奏情報はソフトを使えば作れる・編集ができること、などを知っていきました。やがて、失礼極まりないですが他人様の耳コピしたMIDIで間違っているものを見つけては自分で直したりしはじめたというのが、"初めての打ち込み"でした。

その後、その2つの大きなポイントを持ち帰ったまま学業を終え日本に戻り、地元の会社で働きながら、これらにひたすらお金をかけていくことになり、民族楽器をたくさん買い、打ち込みを本格的に始めるためにたくさんのソフトを買い、たくさん楽器を弾き、たくさん曲を作りました。

↑ソフト一式を買って初めて作った曲

 それから約10年ほど経った時、私は漠然と考えていた「ゲーム音楽を作りたい」という目標にチャレンジしてみよう、と思ったのです。ただ自分は音楽の正規教育を受けてきたわけでもないし、好きな音楽ばかり作ってきた為、そんなに甘くはないと思いつつ、一社にだけデモを送り、それがだめならすっぱりプロの道は諦めようと思っていました。

その一社がノイジークロークで、現在に至ります。

…と、こんなところでしょうか。
かなり掻い摘んではいるので飛び飛びですが…少しでも私がどんな人間かが伝わっていれば嬉しいです。

こちらのnote連載企画、私の更新は毎月1日となっていますので次回は弊社サウンドデザイナー金井くんが担当しますが、私の次回の更新からは好きな音楽や日頃使っているソフトやハードなど、ちょっとディープにお伝えできればと思います。

金井くんのnoteはこちら。https://note.com/nc_kanai/

お楽しみに!

それではまた。

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ゲーム音楽制作会社ノイジークロークの作家です。広島出身。大学では歴史学・文化人類学・言語学などやってました。楽器・歴史・言語・野球。Japanese game music composer.