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センス・オブ・ワンダー

大人になるにつれて、直感や感性の新鮮さを失ったりする事があります。
よく言えば、現実的に生きるという事ですが、私たちは目の前のものを
受け入れる代わりに、大切な事を失っているのかも知れません。

今回は、アメリカの作家であるレイチェル・カーソンが綴った
すべての子どもが生まれながらに持つ感性「センス・オブ・ワンダー」
つまり、神秘さや不思議さに目をみはる感性について書いてみたいと思います。

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私には娘がいるのですが、最近掴まり立ちを始めて、
何でも掴む、登る、触る、舐める、動き回ると、まさしくやんちゃ盛りです。

彼女には、狭い部屋にはなるのですが、何もかもが目新しく映り、
全てが冒険だったりします。なので、何にでも興味を持ちます。

私は、彼女の可能性を奪わない事に注力すべきだと考えていて、
それは、逆を言うと、自分の生き方にも返ってきたりする事にも繋がります。

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自分自身の専攻が教育工学、情報教育という教育系だった為、
教育や育児にはこだわりが強いのですが、結局大人の役割って3点だと思います。

・感謝をする、筋を通すという人としての道理を伝える
・自分自身が大人として生き生きと生きる
・たくさんの幅広い面白い経験を共に積み、共に感動する

後は、子どもの感性で生きればいいと思っています。
子どもだって一つの人格であり、個性があり、思考が存在します。
何をしたいのか、何に興味があるのか、親とは方向性が違って然るべきですし、
変に路線を引いたり、方向を曲げるぐらいなら、放置の方が良いと思います。

学校などで学習を計画する際に、ねらいなどは当然考えるのですが、
もう少し自由度があってもいいのかなと考えていたので、
形式や路線は同じでも思考の幅があった方がいいのかなと考えています。

そこで大事になってくるのは、
「自分は何が好きなのか」を自分で興味・関心を理解している事と、
「自分は好きなものに対して考えようとする」という動機づけ的な側面です。

この2つがあれば、子どもは自分の好きな分野に対して自ら学習しようとするし、
それを職業、ビジネスに発展させたりする場合もあります。

つまり、もしかしたら大人から見ると拙い感性かも知れませんが、
子どもには新鮮に映るその感性こそが何より大事だったりします。

そして、その種火を消すことを大人はやってはいけないと考えています。

種火は大きく燃え上がるようにする為に、
多様な感性を感動という形で場面を用意すべきですし、
親はそれを気づいてあげる使命が存在すると考えています。

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また、大事なのは、大人が大人らしくなく生きるという事です。

私たちは多くの制約があります。
会社に行かなければならない、お金を稼がなければならない、
家族を養わなければならない、成果を出さなければならない。

でも、その目に見えない制約のせいで、本来見るべき事を見失っていませんか。

「自分らしく生きろ」というメッセージを放っている大人が、
「自分らしく生きていない」というゾンビ状態になっていませんか。

私たちの生きるこの時代は、Youtuberのような人が生きれる世の中です。
つまり、「好き」を仕事にして食っていける世の中になっています。
副業も解禁されている会社も多くなり、世の中に自由度が高まりました。

そんな世の中において、制約にただ縛られているだけの人生って
もったいないのかなと感じています。

大事なのは、「子どもに生き生きと生きている」事を伝えて、
背中で伝える事なのかなと考えていて、その為には、必ずしも
大人らしく生きるというのはマストなのかな?という疑問が生まれます。

もっと、好きに生きてもいいのではないでしょうか。

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最後に、感性は知るものではなく、感じるものです。
自分の目や耳や鼻、肌感などを通して、感覚的に手に入れるものあって、
かなずしもねらい通りに与えられるものではありません。

「センス・オブ・ワンダー」を失わない子どもに育てたいと共に、
自分自身も再度感覚を戻して、感性に正直に生きる事が大切かも知れません。

自分の生き方を一番見ているのは、自分だからこそ。

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