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虐待って紙一重だなって思う話



何を隠そう私自身、両親から虐待されて育った。


あまり素手で殴られたりすることはなく


ベルト、ハンガー、ホウキの棒、掃除機の吸う所、体罰をする為に用意されていた竹の棒。


きっと素手で叩くと自分の手が痛くなるからだろうと。今ならわかる。


ベルトやハンガー、竹の棒は


みみず腫れが特に酷く


みみず腫れは腫れすぎると裂けてしまう


でも何故か血は出ない。


ネグレクトも当たり前にあり(時代背景もあったのか)


炎天下の中、パチンコに行く両親に車の中に何時間も置き去りにされていた。


暑くても外に出たら殴られる為
飲み物もなく窓も閉め切った状態で

4歳上の兄と面白話をしたり
ただ、ただ寝たりしていた。


昔は今の時代ほど暑くはなかったので
それが幸いだったのかなって思ってる。


特に母の連れ子の兄の虐待に関しては半端じゃなく


勉強詰めの毎日なだけならいいが
正座をさせられ、膝の裏に木刀を挟まれ
その上にベルトをし動けなくさせて


テストで間違えた場所を繰り返し繰り返し何時間もその状態でやらされていた。


勉強ができなければ


真冬の雪空の深夜に全裸で椅子にがんじがらめに縛り付けて放置。


見兼ねた近所の人が家に入れてあげてと尋ねてきたこともあった。


母はホステス。夜はいないので
主に母がいない夜に行われていた。


その当時2.3歳の私は
なにもわからず怒られているな。
兄が泣いているな。と漠然と思っていた。


あまりにも日常的な光景過ぎた。


ある日。夜中に私は母に起こされ
兄は2段ベットの下に倒れ込んで
父は怒鳴っている日があった。


寝ぼけ眼で連れ出された先は病院。



兄の腕にヒビが入っていた。


2段ベッドから落ちたと言い訳をしたのだろう。特に咎められる事もなかったのだと思う。


私は小学校に上がる前の一年ほど
叔母の家に母と3人で暮らしていた。


実家があった田舎は働き口があまりなく


都会のホステスの叔母と母に連れられて生活していた。


夜は1人。


昼間は母たちは寝てるかパチンコ。


昼間も1人で過ごしていた。


ろくに保育園や幼稚園に通わなかったので


集団生活もできず、数字も言えず、名前も言えないまま


小学校に入学。田舎の実家に戻った。

学校は大嫌いだった。


父親には毎日、その日あったことを作文にして提出するのが日課になっており

文字の間違えや言葉の使い間違えがあると何時間でも書き直させられ叩かれた。


箸の持ち方が悪かったり
椅子に背をつけたりテーブルに肘がついたりしたら夕食は抜き。


お腹が空いて夜寝れなかった。


たまに兄が夜中に野菜室からきゅうりやトマトを盗んできて


2人で食べた。

悪さをしたら正座で何時間も廊下に座らさせられ夜中になれば眠くなり


ウトウトする。


少しでも寝ようもんなら顔面に蹴りが飛んできた。

勢いでぶっ飛び靴箱に頭をぶつけたことを覚えてる。


お風呂に入るときはとんでもない熱さで
湯船に足をいれるだけで真っ赤になった


でも肩まで使って
父の「よし」が出るまで上がることは許されなかった。


そんな日常を当たり前に過ごしていたある日



兄は小学4年の頃に


別の場所で暮らしていると言われた。



児童施設に保護された。




特に兄の場合は酷くストレスでチック症も発病。


学校側は不審に思うわけです。


服は毎日一緒。


生傷が絶えない兄妹。


特に酷かった兄は学校から何度も連絡が入ったのか、いつの間にか保護された。



何回か面談に一緒について行ったのを覚えている。


でも兄には会えなかった。


大人になりどうして家に戻ってこれたのか聞いてみたら。



施設の先生に
「パパやママに会いたい?」と聞かれていたらしい。


最初は怖くて拒否していたらしいが


ある日
「もうパパやママに会えなくなってもいいかな?」の質問に変わったらしい。


兄は考え、会いたい。帰りたい。と言ったそうだ。


そこから一年かけて一時帰宅を繰り返し



中学になる頃に兄は帰ってきた。


今思えばあの時に「会いたい」と言わなかったから2度と家には帰ってくることはなかったんじゃないかと語ってる。




そんな経験から


私は今の子を妊娠した時から


子ども支援や児童相談所に相談をしていた。


虐待は連鎖すると言われているから。



もし、私がこの子を虐待するような事があった場合。


すぐさま私と子どもを離してください。


と伝えている。



なので定期的に役所からの訪問や電話はずっと続いている。


そこでやっと本題。


虐待は紙一重って話。



子どもが産まれて
ミルクやオムツや夜泣き


慢性的な寝不足が続き


ある3ヶ月がたったころ


私は泣き止まない娘の胸ぐらを掴み上げて持ち上げていた。


まだ首も座っていない小さな赤ちゃん。


一瞬で我に返り抱き直す。


とにかく自分が怖かった。


私は今この子に何をした?


愛しているはずなのに。

誰よりも大事なはずなのに。


罪悪感と恐怖ですぐにパッパに連絡


子供支援課にも連絡。


一瞬自我を失った。



ちなみにパッパは子どもを見る努力も協力もしてくれていた。


ミルクの交代やご飯の買い出しにお風呂


私の寝る時間の確保もしようとしてくれていた。


でも任せるとどうしても寝付けない。


心配してるわけでもないはずなのに


眠いのにどうしても寝付けず


3時間ただ横になったりしていた。



結果こんなことが起きてしまった。


相談をしてでた結論は


保育園に預けて睡眠時間を取ることに。



幸い一件の保育園が家から少し距離はあるけれど受け入れてくれた。


睡眠も取れるようになり
精神も自我も保てるようになって


あの一件からそういった行動には出ていない。


オススメされた
地域のファミリーサポートにも加入した。


でた結論。



頼れるものは何でも頼る事が大事


家族でも友人でも保育園でもファミサポでもなんでも。


1人で抱えていたら限界はやってくる。



ニュースで赤ちゃんを虐待死させてしまったのをよく見かけるけど


私の見解では殆どが突発的にしてしまったんじゃないかと思っている。



背負い込み過ぎて


精神も自我もすり減り


自分でも予想してなかった行動に出てしまったのではないか。


もちろんそうではない親も腐るほどいるのは重々承知した上で。


そんなニュースを見るたびに思う。



今自我を失いそうな人に言いたい。




もっと頼っていい。


ダメな親なんかじゃない。


あなたも人間なんだよ。


頼れる人がいないならファミサポに加入して3時間でも1人になったり寝る時間を作ろう。


片親の場合や障害がある場合、地域によるけど補助があることが多いので


申請すれば年間で数万円分返ってくる。


地域差ありだけど

1時間500円から800円。


自分の為に子どもの為に頼ってみよう。




ファミサポの回し者みたいな言い回しになってるけど


決してそうではないですwww



現状1ヶ月に数回お世話になってます。


生理痛が激しくて送迎が難しい時など


送り迎えしてもらってます。



とまぁ話は戻るけど


私の経験上


子育てしている人は皆、明日は我が身


抱え込まない努力をしてください。


もっと頼ってください。



今日はこの辺で。


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