毎日がほんとうに慌ただしい。 朝、起きたくないなりに一生懸命起きて、 未来に繋がってると信じてる仕事だけど 日々の色んなことの積み重ねで もうやる気がなくなっちゃいそうな、 毎日の些細な嬉しいことで なんとか細ーく心を繋ぎ止めてる仕事へ行く。 気づいたらあっという間に夕方で 生活するためにアルバイトへ向かう。 あれ、 今日の私って何のために生きてた? なんで生きてた? 意思があるのに奴隷で お金と時間、人に縛られてる。 こんな生活から抜け出したい と思ってもそ
自分が、”これだ!”と信じてやってきたことが、 だんだんとしっくりこなくなった。 絶望の淵にいて、どん底にいた時に 人から繋いでいただいてできた小さなご縁が だんだんと大きくなって 点だったものが少しずつ繋がってきたそんな感覚。 社会人1年目は、 安定した収入が得られる職場で 実家から通っていて 多少不本意であったり、理不尽だったり そんなことがあっても これが当たり前 社会人ってこんなもん ってのを教えられたけど、 しっくりこなくて、 反骨精神しかなくて、 フリーラン
時折、 何かわからない大きな不安に襲われる なぜか涙が流れてくる 胸がきゅっと締め付けられる そんなことありませんか? 自分に何か負荷が掛かっていて、 でも一つ一つの負荷はそんなに大きくなくて、 むしろやりがいだったり、 期待されていて嬉しいことだったり。 小さな積み重ねだったり、 大きな悲しみだったり、 色々なことを経験して今の自分になっているんだけど、 日に日にそれが重たくなっていくように感じませんか? なんかこの先やっていけるのかな 生きてい
私にとって妹のような存在で 親友でもあって 姉のような時もたまにあって 小さい頃からずっと一緒で 当たり前にいてくれる存在で どんな時も どんな私でも 受け止めてくれて 愛してくれた 私の人生になくてはならない存在 そんな存在を 2022年の秋、失いました。 私は鬱病でした。 今も定期的に病院に通っています。 当初は とにかくしんどくて 辛くて 消えてしまいたくて 自分の存在価値なんてないと 負の感情が積もりに積もって 仕事ができなくなって ひどい吐き気 立ちくらみ
今日、あるお豆腐屋さんを継がれた方からお話を聞かせていただくというなんとも素敵な機会がありました。質問する際は緊張で感想も上手く伝えられずに自分の想いを込めた質問をぶん投げる形になってしまいました。(本当にめちゃくちゃ失礼だったと思う) そこで改めて感じたのは自分の地元のこと。 私の地元は岐阜県中津川市というところで、朝ドラの”半分青い”のおかげで少し有名になりましたが、地元民の私からみてもこれといって特に有名なお店もなく、おしゃれなカフェを経営されている方がちらほらといっ
昨年、管理栄養士養成課程のある大学を卒業しました。 就職活動は地元に戻って行い、夏頃には内定をいただくことができ、一つ心の不安が取り除かれた状態で慌ただしい残りの大学生生活を送りつつ、そして管理栄養士国家試験に挑みました。 大学生最後の1年はコロナの大流行もあり、大学の方から外出及びアルバイトを自粛するよう言われていました。私は奨学金を借りている上に生活費をアルバイト代でまかなっていた為、感染症対策は入念に行いながらこっそりアルバイトを続けつつ、国家試験の勉強、余分にとって
私の母方の祖父母は田んぼと畑をやっています。本格的に農家としてお金を稼いでいるわけではなく、”自分の家で食べる分は自分たちで作る”といった具合です。 私の地元では(私の家だけかもしれませんが)、田植えの際は男性陣が田植え、女性陣が朴葉寿司(朴葉の葉で酢飯と具材を包んだもの)を作り、稲刈りの際は男性陣が稲刈り、女性陣がおはぎを作るという風習があり、米作りは一家の中で大きなイベントでした。しかし、一家総出で行っていた田植え・稲刈りはだんだんと地元に残っている私たち家族と祖父母だ