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短編小説 『声の紙飛行機』


「たまには会うか。」

私は彼からのメッセージに既読を付けるも、しばらく返信をしなかった。早く返してしまうと、自分の気持ちを見透かされてしまう気がした。でも返信を先延ばしにすればするほど、自分の気持ちが炙り出されてしまう気もした。

不意に、携帯を持つ自分の手が微かに震えていることに気づく。自分の身体のことなのに、目で見て初めて震えに気付くだなんて、頭と体が二つに裂かれてしまったような気がして、うすら寒い。

私は小学校の頃に一度だけ、彼と手紙のやり取りをしたことがある。やり取りといっても強引に手渡しただけ。折り紙の裏にひとこと、ふたこと。その折り紙で当時クラスで流行っていた紙飛行機を折り、彼にぶっきら棒に渡したことを思い出す。

たったひとこと、ふたこと。
一体何て書いたんだっけな。

ほんの少し言葉を紡ぐだけ。大人になって語彙は増えたはずなのに、小学生の頃の方が淀みなく書けた気がする。目の前の画面に視線を戻す。私はそのまま一息に文章を書き上げた。一番無難な、友人としての心配の言葉。

「どうしたの?
    会うのは構わないけど、なんか相談?」

自分が打った文面をもう一度確かめるように文字の並びを眺めていると、既読の二文字が目に飛び込んできた。程なくして返信が届く。彼はいつも返信が早い。

「会った時に話すよ。じゃあ明日どう?
    18時半に駅前の花壇の辺り待ち合わせで。」

「OK。じゃ、また明日ね。」

今度は早めの返信を心がける。女っ気のなさを演出するためだけの、句読点。もう少しやり取りをしていたかったと思う自分がいる。今も私の手は微かに震えている。
彼の大きな手も、こんな風に震えることがあるのだろうか。

彼とは小学2年生の頃からの付き合いだ。彼が他県から引っ越してきて、私のクラスに転入してきた。一体いつから、彼のことを目で追いかけるようになっていったのだろう。放課後の公園、17時を告げる音楽を聞いた子ども達が家路に着き始め、人がまばらになる頃。夕焼けに照らされた彼の横顔を、私は克明に思い出せる。輪郭が黄金色に縁取られ、薄く細い髪の毛が夕陽に照らされて輝く。

彼はクラスで特別目立っていたわけでもなかった。でも、彼の笑顔を見ていると、心臓を親指と人差し指でそっとつままれているような気持ちになった。
それが、それこそが、恋心というものなのよと、私はお母さんから教わった。

私は結局、その恋心を彼に伝えることはしなかった。私達は、友達として親しくなり過ぎてしまった。ありふれた表現だが、それ以上の言葉が見つからない。事あるごとにお互いに色々な悩みを打ち明けた。時には相手の恋の相談に乗ることだってあった。苦しかった。

一時はこの恋心を忘れよう、忘れた方がいいよ、と自分に言い聞かせたこともあった。でも彼を想う心は常に私と共にあった。見て見ぬふりをしても、常にそこにあった。

いつの間にか時は経ち、私の胸は膨らみ、彼の背丈は伸びた。
私はつい最近、今お付き合いしている会社の先輩からプロポーズを受けた。

明日、彼に伝えよう。

私はそう、心に決めている。



***



「どうしたの?
    会うのは構わないけど、なんか相談?」

意を決して、でも平静を装いながら打ったメッセージへの返信があまりに遅かったので、送った文章のどこかがおかしかっただろうかとスマホを眺めていたところ、ちょうど返信が返ってきてしまった。すぐに既読をつけてしまったことを、返信を待っていたことがばれてしまったことを、少しだけ恥ずかしく感じる。

彼女のメッセージはいつも淡白だ。少しさみしい時もあるが、この自然体が彼女の良いところだった。まるで同性の友達と話しているような気楽さ。かと思えばこっちの目を見てじっくり話を聞き、その時の自分に本当に必要な一言をくれることもある。

小学2年生の頃、転校してきたばかりの俺は、なかなかクラスに馴染めないでいた。ある日、放課後の公園でみんなが遊んでいるところを通りかかった俺に、最初に話しかけてくれたのが彼女だった。初めてできた、友達だった。会ったばかりの頃に彼女から貰った紙飛行機はいまだに捨てられず袖机に大切にしまっている。

何がきっかけだったかは正直分からない。
俺は少しずつ彼女を目の端で捉えるようになり、話す機会も増えていった。でも、それ以上のことは俺と彼女の間には、起こらなかった。いや、起こさなかった。俺たちは良き友達として、性別を超えた友情を育んできた。と、彼女はきっと思っているし、周囲もきっとそう思っている。

みんな、そう思っている。俺以外は。

友人のままなら一生続けられるこの関係が音を立てて崩れるかもしれないなら、いっそこのままでいい。自分に言い聞かせるために、他の恋をした。他の女性と会っているときにも、数え切れないほどのもし彼女だったら、を考えた。色々な女性と会えば会うほど、彼女がいつも自分の心の中にいることを知った。彼女のことを考えることがあまりにも自然に、俺の生活に溶け込んでしまっていた。

俺はこの恋心と一緒に、大人になっていった。

俺には今、社会人になってから出会い、付き合い始めてからもう3年経つ恋人がいる。結婚の話も挙がっている。これ以上はもう、待たせられない。

明日、彼女に伝えよう。

俺はそう、心に決めている。



***



18:24。
待ち合わせの時間には少し早いが、彼女は小走りで駅前の花壇の前までやってきた。よかった、まだ着いていないみたい。

彼と待ち合わせする時、彼女は必ず自分が先に着くようにしていた。彼に駆け寄るだけで、気持ちが溢れてしまう気がする。ここまで隠してきたのだから、最後まで隠し通さないと意味がない、とでも言うように彼女は深呼吸をして息を整えた。


その瞬間、彼女の肩が大きな手に叩かれた。
振り返る。そこには、彼がいた。
小学生の頃から変わらない笑顔を浮かべている。
彼女もまた、柔らかな笑顔を浮かべる。


彼は固く口を閉ざしたまま、手を差し出した。
何かを柔らかく握った彼の大きな手は、微かに震えている。


怪訝な顔を浮かべながら、彼女もまた手を差し出し、それを受け取る。
手渡されたのは、紙飛行機だった。何かに気付いたように、彼女の怪訝だった表情が次第に驚きのそれへと変わっていく。


彼は何かを言いかけたかのように見えたが、不意に口をつぐんだ。彼女がおもむろに、紙飛行機を開き始めたからだ。彼女は大事な手紙を開くように、ゆっくりと紙飛行機を一枚の紙へと戻していった。


そして彼女は、そこに書かれている自分自身の幼い文字を見やった。
一瞬、泣きそうな表情を浮かべると背筋を伸ばし、彼の方を向き直った。
彼もまた、そんな彼女にまっすぐ向き合っている。



二人の手が、ほぼ同時に動き出した。
手の動きに合わせて口を動かしながら、
大きく、大きく。


通行人がなんだ、と驚いたように視線を投げる。
だが二人が手で会話をしているのだと気付くと、また視線を前に戻す。


二人の手は動き続ける。
相手に想いを伝えるために、
震える手を、腕を、顔を、全身を使って。




人もまばらな夕暮れの街に
彼と彼女の音のない声が、大音量で響き渡った。













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本日は色々な人を繋げていらっしゃる柔らかな巻き込み力のある方、

あきらとさんの #同じテーマで小説を書こう という企画に参加させて頂きました。

こういう企画に参加するのは初めてでドキがムネムネ致しましたが、大変楽しかったです(あとなんか擬似的に締切がある中で書く体験をさせもらいました。ちょっと楽しくて『締切間に合わん・・・』とかわざとらしくひとりごちていました。笑)。参加させて頂き、ありがとうございました。


相手に伝える声。
大切な人に伝える声。
自分自身に伝える声。
過去の自分から届いた声。
未来の自分に届けたい声。
音のある声。ない声。

声という言葉に向き合うことができて、嬉しかったです。
今日は金曜日、皆さんの小説をゆっくり読ませて頂きながら乾杯したいと思います。


==================10/19追記========================

素敵なコンセプトだな、関わってみたいな、と思っていた #教養のエチュード 賞、こちらの作品で応募させて頂くことにしました。
















サポートして頂けたら 明日もまた書こうという想いが強くなります。 いつもありがとうございます。