2020年夏号・成人科7月19日 ナザレン希望誌ウェブ(テスト)版

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出エジプトのキーポイント、過越  出エジプト記 12:21-28

◯はじめに
 イエス・キリストが十字架上で血を流し、この贖いの業を完了されたのは、ユダヤ人が最も大切な祭儀としている過越祭でした。なぜなら過越祭こそ、神様がアブラハムと結ばれた、祝福の契約だったからです。この約束が十字架で完成され、その契約の恵みが、全世界に広げられているのです。「地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」(創世記 12:3)と言うのが、アブラハムと交わした契約そのものであったからです。
1、闇の世界エジプト
 エジプトは高度に発展した文化が与えられていたのです。それはヤコブの群れを、大いなる国民とするために、特別に用いるための国だったのです。ヨセフはそのエジプト全国の司 (つかさ )となり、家族をエジプトに招いたのです。それゆえイスラエルの民はエジプトで非常な繁栄を遂げ、70人でエジプトに行きましたが、男子だけでも60万人(出エジプト12:37)に増えたと記されています。全人口は 200万人を越える異常な増加であったとも言われています。父ヤコブの群れで始まったエジプトでの生活も長くなり、いつしかヨセフのことを知らない時代になり、巨大になったイスラエルの民の存在が、恐れとなったのです。それゆえ神の民イスラエルは奴隷とされ、虐待されるようになりました。エジプトの繁栄は神によるものでありましたが、ファラオは高ぶり、民を支配し、神のような存在となっていったのです。人の目には力ある支配者であったけれども、神様に従わない知恵は、単なるサタンの道具となり、神に反逆し、神の民を苦しめ、最後には自ら罪の裁きを受けるものとなったのです。イスラエルの民の苦しみの叫びは、神のもとに届いたのです。ファラオは神の声を聞かず、幾度もモーセを通して警告を受けながらも従わず、最後には民の全ての長子が撃たれるという、裁きを受けることになりました。神に属さない全ての民の結末を現しています。それは知恵も能力も良き業も、サタンの用いる道具としかならないからです。それゆえ民の最後は、罪による死であり、滅びとなるのです。この罪を全ての人は担っているのです。過越祭は、サタンの支配の中から救い出され、エジプトを去り、神様の導きの世界に入ることなのです。そのために神はイスラエルの民に、過越祭を命じたのです。
2、新年のよろこび、過越祭
 「(一歳の羊の )血を取って…家の入口の二本の柱と鴨居に塗る」(出エジプト 12:7)。過越祭は、羊の命に免じて、罪の赦しを受けとることなのです。神様はすでに民を赦すことを決めておられたのです。民に必要だったことは、神の赦しを受けとることで、これがアブラハム契約であったのです。過越祭こそ新しい世界の始まりで、この月を初めの月としなさいと命じられたのです。鴨居に血を塗った民の家は、罪の赦しを受け取り、神様の裁きが通り過ぎたのです。その日、ファラオの家から家畜にいたるまで血を塗らない家は悲しみの叫びが上がりました。その結果、ファラオは、イスラエルの民がエジプトを出ることを許しました。彼らはサタンの国から約束の国へと、罪の闇の世界から神の光のきの世界へ移っていったのです。赦しの恵みこそ神がアブラハムと交わした契約だったのです。
3、契約の完了
 「過越祭」は、小羊の血の注ぎでしたが、これはやがて来られる真の救い主、イエスキリストの十字架の死と、それによって完成するアブラハムとの契約の完了を預言するものなのです。イエス・キリストの血潮によって、「地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」(創世記 12:3)とあるように、アブラハムとの契約通り、全ての人は赦しの恵みに浴する者とされているのです。

設 問 過越祭は、私たちにはどのような意味があるでしょうか。

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