2021年冬号・1月17日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■ 説教準備のためのテキスト研究
霊と真理をもって神を礼拝する ―― ヨハネ 4:1-26 (朗読24節)
伝えるポイント;イエスはサマリアの女に霊と真理をもって神を礼拝することを教え、彼女を永遠の命へと導こうとされた。

ポイント1、
  「しかし、サマリアを通らねばならなかった。(4章4節)」とある。「ねばならなかった」という表現には、気が進まない消極的なニュアンスがある。ユダヤとサマリア人との間にある近親憎悪にも似た長い対立の歴史があった。しかし主の一行は急いでユダヤの地を去らなければならなかった。弟子たちの数が急増して権力者たちに目をつけられ危険な状態になったから通常のヨルダン川沿いの平坦な街道は目立って危険であり、あえて山あいのでユダヤ人のいない地方を通った。時は正午あたりの炎天下。普通の人は滅多なことでは出歩かない命の危険をもたらす暑さ。そんな頃合を狙って、あえてその女性はこの井戸にやってきた。人目を避けたい後ろ暗い事情があった。

ポイント2、
 彼女にはかつて五人もの夫がいた。五回も順番に死別したとも考えにくい。しかも今は、本当の夫ではない男性と暮らしている。だからいわゆる「身持ちが悪い女性」だったのかも知れない。かつては誰かに必要とされたこともあったが、必要とされなくなると何回も捨てられてた、だから人の愛を本気では信ずることが出来ない、とても寂しい人なのかもしれない。イエスのほうから、このサマリア人の女性に水を求められた。あなたの助けが必要だと。人は「何のために生きているのか」ではなく「誰のために生きているか」が大切である。女性に対し、主は「あなたが必要です」と伝えるために来られた。

ポイント3、
 後ろ暗い現実を持っていた不運な女。しかしイエスは「あなたと話をしているこのわたしである。」と言われた。人生は出会いで決まる。サマリアの女はイエスと出会い、イエスを知った結果、「この方は救い主かもしれない、いや、きっと救い主に違いない」と信じた。彼女はこの地方の人々に「本物の救い主がやってきた!」と告げ回わりはじめた。このこと自体、彼女の生活における新しい歩みとなっている。つまりは町の恥、嫌われ者の女ではなく、飛び切りの素晴らしい知らせを伝えるサマリア最初の福音伝道者になり、さらにはキリスト教世界全体で有名な女性の一人としても記憶されてゆく。

ポイント4、
 「まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。(23節)」サマリヤ(ゲリジム山礼拝所)が良くてユダヤ(エルサレム神殿)が悪いとか、賛美の上手さとか、説教や祈りのたくみさといった表面的なことではない。ただ神は私たちに「あなたの真実が必要なのですよ」とおっしゃる。魂の底から真の神を礼拝することは、すべての者が間違いのない正しい人生を生きるための基本中の基本なのだ。礼拝と通して本物の神と出会い、神の水である神の愛を求め、いな、神に必要とされている使命感、人生の真の意義、生命の水に生かされ、いったい自分が何のために生まれてきたのかを知る。魂の底からへりくだって真実に礼拝したい。

■ 中高科
霊と真理をもって神を礼拝する ―――ヨハネ 4:1-26(朗読24節)
伝えるポイント;イエスはサマリアの女に霊と真理をもって神を礼拝することを教え、彼女を永遠の命へと導こうとされた。

準 備
 イエスは旅で疲れていた筈なのに、井戸に水を汲みに来たひとりの女に伝道をされ、そして救いに導かれた。イエスはひとりの魂を大切にされる方であることを生徒に伝えよう。
 〈ユダヤとサマリアの関係〉 サマリアは北イスラエルが滅んで以来、律法が禁じている他民族と結婚したり、偶像を拝むようになったので、ユダヤ人はサマリア人を蔑んでいた。またサマリア人もユダヤ人に対して憎悪を抱いていた。
 〈サマリアの女の背景〉 彼女はサマリア人であった。また、次々と夫を変え、今の夫とも正式な結婚をせずに生活を共にするなど罪深い女であった。井戸で水を汲む時も、人が多く汲みにくる朝ではなく、誰もいない日中にやってくるなど、罪の意識があった。
 〈イエスのアプローチ〉 ①イエスの方から最初に声をかけられた。福音は誰かの魂に届けたいという願いを持って働きかけるところから始まる。②水を話題にされた。水は、「永遠のいのち」を表している。イエスが与えたいと願ったのは永遠のいのちである。③結婚の在り方に触れられた。神にあって男女が結ばれることの大切さを示された。④礼拝について語られた。礼拝は形式的なものではなく、心から神を愛し、崇め、信仰を新たにする思いで捧げられるものであることを教えられた。

説教例
 イエスさまはガリラヤへ向かわれる途中、サマリア地方のシカルという町に立ち寄られました。そして、長旅で疲れたので井戸のそばに座って休んでおられました。それはお昼ごろのことでした。そこへサマリアの女の人が人目を避けるようにしながら井戸へ水を汲みにやって来ました。この女の人は、どうやら人々が水を汲みに来ない時間帯を見計らって来ていたのです。何故かというと、その町に住んでいる人たちは、この女の人が罪深いことをしていることを知っていたからです。
 その女の人にイエスさまは、「水を飲ませて下さい」と声をかけられたのです。その女の人は、自分のような者に話しかけてくれる人がいたのでとても驚きました。しかも、サマリアと仲の悪いユダヤ人のイエスさまが親しげに話しかけてきたので、少し不思議な感じもしました。戸惑っている女の人にイエスさまは、「井戸の水は飲んでもまた渇くが、わたしが与える水はいつまでも渇かない」と言われました。その水とは、「生ける水」、すなわち永遠の命にいたる水のことであり、たとえどんなことがあっても喜んだり、感謝できる心のことを言われたのです。私たちのこれからの毎日も、一時的に私たちを楽しませるものより、いつも心の中に喜びがある方がはるかに素晴らしいと思いませんか。イエスさまを心から信じると、この喜びと感謝が泉のように内から湧いて来るのです。
 また、イエスさまは、この女の人に結婚の大切さについて語られました。この女の人は次々と夫を変えて、今の夫も正式な結婚をしないで一緒に住んでいたのです。それは、神さまが定められた結婚の在り方に反するものであり、罪なのです。現代でも正式な結婚をしないで一緒に生活している人たちがいますが、これは大きな罪で、神さまは決してそれを喜ばれません。私たちは、結婚するまで純潔を保ち、神さまのまえに結婚の誓約をしてから結ばれるようにしなければなりません。この女の人は、イエスさまとの対話をとおして自分の罪に気付き、イエスさまを救い主と信じました。
 さらにイエスさまは神を礼拝する時には、真心を込めて礼拝するように教えられました。私たちも礼拝中にゲームや友達と遊ぶことを考えたりしていることはありませんか。そうではなく集中して、心から礼拝をささげるようにしましょう。そうすると、罪からも遠ざけられて、心の中からは泉のように喜びや力が湧いて素晴らしい毎日を過ごすことが出来るようになります。

■ 小学科
霊と真理をもって神を礼拝する ―――ヨハネ 4:1-26(朗読24節)
伝えるポイント;イエスはサマリアの女に霊と真理をもって神を礼拝することを教え、彼女を永遠の命へと導こうとされた。

準 備
 ヨハネ福音書だけが記す話。イエスに出会い誰もが命の水、恵みを受け、人生の日常の水がめを置いて、福音の使者とされる。人生の再出発である。

説教例
 イエスさまはパプテスマのヨハネから洗礼を受け、その後、お弟子さんたちとユダヤの地で神さまの話をしていました。ところが、イエスさまが奇跡を行ったこと、神殿で商人を追い出したこと、お弟子さんたちがどんどん増えたことなど、そのような話がファリサイ派の人々の耳に入ったので、目をつけられるようになってしまいました。ユダヤの地にとどまることは危険なため、そこから離れ、再びガリラヤ地方に向かおうとしていた時のお話です。
 ガリラヤ地方に安全にたどり着くためには、人目につかない山道を通って行くしかありません。しかも、ユダヤ人と仲の悪いサマリア人たちが生活している町を通らなければなりませんでした。ちょうどお昼頃、太陽が一番高く昇っている時、旅に疲れたイエスさまは「ヤコブの井戸」という、水くみ場の所で休んでいました。お弟子さんたちは、食べ物を買うために町に行っていました。
 そこへ、サマリア人の女の人が水をくみにやって来ました。水をくんだり運んだりするのは大変なので、普通は朝早く、涼しい時間にすると思うのですが、こんな暑い時間にこっそり一人で水をくみにやって来るなんて、様子が少し変です。イエスさまはその女の人に「水を飲ませてください。」と言いました。女の人は「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私に、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか。」と言いました。普段、ユダヤ人はサマリア人と口をきくことがなかったので、この女の人は驚いたのですね。
 イエスさまは「『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」と言いましたが、このすぐ後に女の人は「主よ」と言っています。このお方は何か特別なのではないか?と思い始めたのでしょう。そして、13~14節にあるようにイエスさまが「決して渇かない水」「人の内で泉となり永遠の命に至る水」を与えると言ったとき、すぐに「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」と答えました。
 さて、イエスさまは「あなたの夫をここに呼んできなさい」と言いました。女の人はちょっと困りました。今までに5回結婚したことがありましたが、今は、結婚はしていないけど6人目の男の人と一緒に生活しているのです。だから「わたしには夫はいません。」と答えるしかありませんでした。イエスさまは「まさにそのとおりだ。」「ありのままを言ったわけだ。」と言い、この女の人の事情をすべて言い当てました。女の人はまた驚き、イエスさまのことを預言者かと思い、礼拝について尋ねました。まことの礼拝とはどのような礼拝か。イエスさまはこのように教えてくれました。「救いはユダヤ人から来る」「神は霊である」「霊と真理をもって父(なる神)を礼拝する」礼拝の場所は、先祖がずっとしてきた山でもなく、エルサレムでもありません。どんな場所であっても、どこの出身の人であっても、まごごろからささげる礼拝を神さまは喜んでくださる、と。女の人は、目の前にいるお方がメシア(救い主)だということがわかりました。途端に嬉しくなり、持っていた水がめをそこに置いたまま町へ行き、イエスさまと話したことを人々に話し始めます。私たちも今、まごごろからの礼拝をささげています。私たちの心を、魂を、神さまが受け入れてくださり、聖書のみことばを通して渇くことのない水に生かされていることに感謝します!

■ 小学科ワーク

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