2021年冬号・みことばカフェ ナザレン希望誌ウェブ版

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稲葉奈々

 「みんな、急でごめんね。明日のチャペルが中止になったから奏楽の練習も無しになったよ。」
 学内の奏楽チームのグループチャットに、突然リーダーからこんなメッセージが飛び込んで来ました。
 3月も半ばの出来事です。夫が在籍しているフィリピンのナザレン神学校では、コロナの影響が広がる中でも礼拝や授業が継続されていましたが、ルソン島全土の隔離措置開始をきっかけに学内での集会はすべて中止になり、寮を超えての接触禁止、キッズルームの閉鎖、授業はすべてオンラインに…と、いろいろなことが突然変化しました。

 子どもたちにもその影響は重くのしかかり、同じキャンパスにいる友達どうしでも気軽に遊べなくなってしまいました。
 外を出歩くときはキャンパスの人たちの目を気にしながら、早朝や夕方の人が少ない時間を見計らって散歩をする程度。思いっきり声を上げて遊ぶことも、走り回ることもできなくなってしまい、家の中でできるだけおとなしく過ごす様は見ていてとても可愛そうでした。

 フィリピンのコロナ対策は日本のそれよりも迅速で厳しく、私たち在住外国人にとってはさらに暮らしにくい環境になってしまいました。夫の学位取得に向けた勉強はまだ続く予定でしたが、新学期もすべての授業がオンラインに切り替わることが決定していたので、期末試験が終わったタイミングで帰国することを決断しました。

 振り返ってみると、無事に帰国できたのが奇跡だと感じるほど準備が難しい環境でした。大使館や宣教師の先生がたに相談して、必要書類は学校のスタッフに代理で取得してもらい、韓国人の友人家族からタクシーの運転手を紹介してもらい、日本の家族から帰国費を支援してもらうなど、様々な方の助けがあったからこそ今こうして日本で過ごせていると感じます。

 この状況下でオンライン礼拝への参加を続けているうちに、私の中の信仰観にも変化がありました。身体が教会にないということは予想以上に精神への影響を及ぼしたようです。自分の中の神が超個人的な存在になり、自分が共同体に属しているという感覚がとても薄くなりました。
 そのため、日本に帰国してしばらくは、礼拝で「みんなでいっしょに」神を礼拝することに強い違和感を覚えました。これもポスト・コロナのひとつの弊害なのかもしれません。

 フィリピンでの隔離生活を経て学んだことを挙げるとするなら、フィリピンの方たちのおおらかさとたくましさです。
 自宅の隔離措置の間に友人たちが何をしていたかというと、歌っている動画や踊っている動画のSNS投稿。(私も例にもれず家族寮の仲間と動画を作りました)
 そして、ドライバーの営業が禁止され夫の収入がなくなった分、妻たちは手芸や料理のオンラインショップを立ち上げ、お洋服や食事をデリバリーして収入を得ていました。(ものすごい量の衣料品の配達に普通郵便を使うので近所の宅配サービスはパンクしていました)(おかげで私が荷物を日本に送るときも長蛇の列に並び、しかも高額でした)

 フィリピンにいる間、日常的な停電や断水に加え、地震や台風、火事、火山の噴火など、いろいろなアクシデントの中を通りましたが、その度にここで暮らす方たちのタフネス精神に学ばされて、このコロナ渦の中でまたひとつ励ましを受けました。

 おそらく私たち一家は、フィリピンに来る前と帰った後では、全く違う人間に生まれ変わったと思います。恵みと困難のシャワーを浴びせられ、塵芥が取れてまた新しい衣を着せられたようです。この世界も、主の大きな計画の中で、痛みを伴いながら、何か新しく作り変えられていくのであろうと感じています。

 今後は夫の勉強を支えるかたわら、仕事を再開し日本での新生活が始まります。困難があっても家族で受け流してタフに暮らしていきたいと思います。    

<近況報告>
 無事に帰国して京都の実家でかくりせ威喝を送った後、茨城の稲葉の実家近くに移って新生活を始めました。
夫はオンライン授業で引き続き学位取得に向けた学びを続けます。私は栃木の建築事務所で新しいお仕事を始めました。必要なものが必要な分だけ必用な時に与えられて生活が続けられることに主の摂理を感じます。
 今までお支えいただきました皆様、特に支える会を立ち上げてくださった小山教会と小岩教会の皆様には心から感謝申し上げます。稲葉の留学を承認しサポートしてくださった教団本部の皆様にもお礼申し上げます。またお会いできる日を楽しみにしています。

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