2021年春号・5月30日小中高科 ナザレン希望誌ウェブ版

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■説教者のためのテキスト研究
「サウロを探し出したバルナバ」  使徒11:19―26
伝えるポイント:最初の異邦人教会形成で、バルナバは信者を育て、サウロを奉仕の最前線へ引き出した。

【アンティオキア教会の設立】(11:19-26)
 この箇所は8章4節から繋がっている。ステファノの殺害によって散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアにまで広がっていった。初めはユダヤ人だけだったが、やがてギリシア人にも福音を宣べ伝えるようになった。「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」とある。
 その報告に、エルサレム教会はバルナバを送る。彼はキプロス生まれのレビ人で、本名はヨセフ、バルナバはニックネームで「慰めの子」という意味である。(4:36)。彼はギリシア語を母語としていたし、偏見のない人物であった(9:27)。また、聖霊と信仰に満ちている人で、アンティオキア教会の飛躍的成長は、彼の人柄に負うところが大きい。彼は異邦人の救いも、神の恵みとして喜び、彼らに律法を強要せず、心を堅く保って常に主に留まるように奨励した。彼を通して多くの人が主に導かれた。
 さらに彼は、サウロを協力者としてタルソスから連れて来た。2人により伝道・教育が進められ、アンティオキア教会は成長していく。アンティオキアで、弟子たちが初めて「キリスト者」と呼ばれるようになった。いつもキリストのことを語る彼らのライフスタイルは、社会の中で際立ったものになっていたからであろう。

【『バルナバのように人を育てる―コーチング・ハンドブック』(福田充男著;いのちのことば社)から】
 この本では、バルナバがどのように人を育て導いたかを次のように記している。
①かつてキリスト教を迫害していたパウロの召しを認め、潜在能力を見抜き、使徒たちに推薦し(9:27)、また共なる働きに就かせた(11:25)。
②パウロと共に派遣され、生活と働きを共有し、収穫と迫害の両方を体験した。
③マルコを育てるために、パウロと対立した(15:39)
④自分が育てた者が自分を越えていくことを喜んだ。11:30の「バルナバとパウロ」が、13:50では逆転。
 彼は、神が一人一人に与えられた使命を全うすることができるように、そばにいて助けるリーダーであった。

 教会リーダーについて、エフェソ4:11-13にこう記されている。「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」

 リーダーの役割とは、一人ひとりに神が与えたビジョンをしっかりと確信させ、賜物を生かしてキリストの体なる教会を建て上げるために、信徒を整えることである。
 言い換えるならば、教える者ではなく整える者へ、管理する者ではなく励ます者へ、自分の夢を追い求める者ではなく、隣人が神によって与えられた夢・ビジョンを実現していくために、助ける者へとなることである。それはちょうどマラソンの選手に伴走してペースメイクするコーチのようである。
 相手の必要も聞かないままに「これが真理だ」と言わんばかりに語りまくる。それは一昔前の「黙って俺に着いて来い」型の監督である。しかし優れたマラソンのコーチが伴走しつつ、適切な助言を与え、励まし、共にゴールを目指していくように、そして育てた選手が自分を乗り越えてメダルを獲得することを至上の喜びとするようなコーチである必要がある。教会のリーダーの役割は、まさにこれと同じである。神が育ててくださる一人ひとりの魂を励まし、祈りつつサポートするものでなければならない。「ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」(Ⅰコリ3:7)、そして共に手を携えて目標に向かって走る者でありたい。(ヘブライ12:1)

■中高科
「サウロを探し出したバルナバ」  使徒11:19―26
伝えるポイント:最初の異邦人教会形成で、バルナバは信者を育て、サウロを奉仕の最前線へ引き出した。

準備
 人間的には良いと思えないところに、大いなる神様の計画があることを学ぶ

説教例
 先週はペンテコステ礼拝でした。イエス様が約束された聖霊が降り、主が共にいてくださる約束とイエス様が与えてくださった使命を握り、弟子たちは主の証人として福音を伝えていったのです。そしてペンテコステの日、あのペテロが大胆に福音を語り3000人もの人が救われました。ペンテコステの恵みは、弱き者が主の召に生きる時、聖霊様が働いてくださり、主の大いなる器として用いてくださいます。そして、今日もペテロに働かれた、同じ聖霊が私たちにも与えられています。そして使徒の働きのテーマはまさに主の召に応えて生きる人生「宣教」であります。
 宣教は神様の働きであることを、使徒の働きを通して学ぶことができます。人間の目で見るならば、最悪と思えることの連続かもしれません。しかし、そのことを通して神様は宣教の働きを前進させ、もっと大きな計画へと導いておられるのです。生まれたばかりの初代教会も試練と困難の連続でありました。迫害が次々と起こっていきました。しかし、この迫害が、エルサレムだけにいたクリスチャンたちの群れを、一気に拡散させ、様々な地域へと広がっていったのです。そして、散らばされた人たちは、各地で御言葉を語り、福音が伝えられていったのです。そして、最初ユダヤ人にしか伝えられなかった、むしろユダヤ人しか救われないと思っていたものが、異邦人が救われ出していくのです。しかも、「そして、主の御手が彼らと共にあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った」v21にあるように、大勢の人が救われたのです。これを見るだけでも、人の目には困難に見えるかもしれませんが、困難こそ、神様が働かれる大いなるチャンスでもあるのです。
 そして、神様はこれからのさらに宣教が進むために、重要な鍵となる人物を備えておられました。それはサウロ(後にパウロ)です。彼は、以前は迫害者でありました。しかしイエス様とであって救われました。しかし、この時は誰もサウロがもっとも用いられる人物なるなど、本人はもちろん、誰も思っていなかったでしょう。しかし、サウロを見つけ出し、主の器として引き出すために、神様はバルナバを用いられました。バルナバという名前の意味は、慰めの子という意味ですが、まさにバルナバは多くの人を慰め、励ます、そして聖霊と信仰に満ちたリーダでありました。そして多くの人に信頼されていた。そのような器でした、そのような人物が、元迫害者であり、まだ多くのクリスチャンたちからは、恐れられていた、まさか偉大な神の器となるなど、誰も思ってないかったようなサウロを見出し、サウロを慰め、励まし、神の器へと育てたのです。
 このように、神様は一見私たちの目には決して良いと思えないところにおいても、神様は確実に働いておられます。そして、私たちの想像を超えるような御業をなしてくださいます。だからこそ、どんな時も神様を信頼し、神様に期待をして歩んでいきたいと思います。

■小学科
「サウロを探し出したバルナバ」  使徒11:19―26
伝えるポイント:最初の異邦人教会形成で、バルナバは信者を育て、サウロを奉仕の最前線へ引き出した。

準備
 使徒言行録は、アンティオキアで異邦人が救われてゆき、教会が建て上げられていく様を記しています。13:1に、アンティオキア教会の主要な指導者たちが名を連ねています。ここにバルナバの名が出てきますが、彼はアンティオキアでの異邦人伝道のために、エルサレム教会から派遣された人物でした。「ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主へロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たち」は、バルナバが派遣される前から、アンティオキアにおいてイエス・キリストの救いを宣べ伝えていたと理解できるでしょう。
 ステファノの殉教以降、キリスト者たちは方々の 土地へと逃げて行きましたが、それは、キリスト教 の歴史にとって敗退ではなく始まりだったのです。まるで、たんぽぽの種子が風に飛ばされて、遠くの地に落ちて花を咲かせるかのようです。キリスト教の歴史を振り返るとき、どのような悪条件の中にも神による布石がしっかりと据えられており、聖霊の働きが前進していったことがわかるのです。何よりバルナバは「立派な人物」だっただけでなく、「聖霊と信仰とに満ちていた」人、神の器として用いられた人でした。

説教例
 みなさんは「クリスチャン」という言葉を聞いたことがあるでしょう? クリスチャンとは、イエスさまを神さまの子どもと信じ、イエスさまに救われた喜びに満たされて、教会で洗礼を受けた人のことです。教会学校の先生たちは、みんなクリスチャンです。
 さて、今日の聖書は、アンティオキアというエルサレムからは遠く離れた所のお話です。そこに住んでいるのは、神さまを知らない人ばかり。イエスさまのことも勿論知りません。このようなところに、イエスさまを信じる人たちが、ユダヤ人から命を狙われたため大勢で逃げてきました。この人たちは、違う神さまを信じる人たちの中で、どうしてもイエスさまのことを伝えずにはいられ ません。いつでも、どこでも「キリスト、キリスト」と、イエスさまのことを言い広めたので、「あの人たちは“キリストさん”だ」と言われるようになりました。クリスチャンとは元々、そういう意味のあだ名でした。
 このようにイエスさまを伝えていると、ひとり、またひとりと、イエスさまを信じる人、クリスチャンが増えていきました。しかし、人は増えたものの、この群れを指導する人がいません。人がいくらいても、みんながバラバラでは教会にはなりません。このうわさがエルサレム教会へ届くと、エルサレム教会は、バルナバという人をアンティオキア教会の指導者として送ります。バルナ バという名前には「慰めの子」という意味があります。その名前の通りに、バルナバは多くの人たちを慰めました。イエスさまを知らない国で、イエスさまを信じて生きていくことはとても大変なことだったからです。神さまが、イエスさまを信 じた人たちをどんなに愛しておられることか、バルナバは神さまの慰めと励ましを人々に熱く語りました。
 あるときバルナバは、共に働く相手を遠くはるばるタルソスという所まで探しに行って、サウロを見つけ出して連れ帰りました。サウロはダマスコで、大逆転して神さまに従うことになった人でしたね。のちにパウロと呼ばれるようになり、神さまに一生を献げました。神さまはこの日のために、サウロを準備されていたのです。こうしてバルナバは、サウロと一緒に、神さまのみ言葉と神さまの偉大な業を多くの人々に教えました。そしてついに二人は、海を超えて外国へイエスさまのことを伝えて行くことになるのです。神さまのなさることは凄いですね。

■小学科ワーク

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