2021年冬号・1月3日成人科 ナザレン希望誌ウェブ版

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ヨハネ1:35~42 アンデレ、イエスに出遭う
 これから13週にわたってヨハネ福音書から読んでまいります。この福音書が書かれた目的は20:31「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」ことを確認しておきます。それを踏まえて書いてまいります。
 さて、本日の箇所において注目したい言葉は36節「見よ、神の子羊」です。29節にも「世の罪を取り除く」という言葉が加えられて、「神の子羊」と書かれています。これは、イエスは罪の贖いの供え物として来られた「救い主」であるという教会の最も中心的なもので、ヨハネ福音書を貫くメッセージとなっています。
 今回はアンデレに関わるところを読んでいくのですが、その前にバプテスマのヨハネについて触れてまいります。ヨハネが初めてイエスを見かけた時、思わず「世の罪を取り除く神の子羊」と言い、「この方にはかなわない」という思いを抱き、ヨハネ自身は、この方の先駆者として生かされていることを自覚したに違いありません。このヨハネには弟子たちがいました。アンデレもその一人です。ヨハネと弟子たちの関係は祈りを教えるほどに信頼に満ちた関係だったと思われます(ルカ11:1参照)。そのような関係の中でヨハネは「わたしの後から来られる方」についての話も折あるごとに弟子たちに伝え、アンデレもその方のことについて聞いていたでしょう。
 アンデレに話を移してまいります。アンデレは師であるヨハネが「その方」について語るとき、「その方」とはどのようなお方なのか関心を抱(いだ)かされたと思います。そのような思いの中で、ヨハネと他の弟子一人と三人で歩いていると、ヨハネが急に「見よ、神の子羊」と一人の方を見ながら言い、アンデレもその方を見て、この方こそ私が従うべきお方と受け止め、直ぐに従い始めました。ヨハネも、弟子たちが救い主に出会ったときには、救い主に従って欲しいと願っていたと思われます。なぜなら、アンデレが自分の元を去ってイエスに従うとき一言も語らずそれを受け入れた所に表されています。アンデレともう一人の弟子は救い主に出会ったこと、従うことに喜びを感じていたと思われます。それだけではなく、師であったヨハネが救い主について語ってくれたこと、主に従うことを無言で受け入れてくれたことに感謝したのではないでしょうか。
 イエスは自分に従ってきた二人に「何を求めているのか」と問いかけました。彼らは救い主とはどのようなお方かを知りたくて「どこに泊まっておられるのですか」と問い返しています。イエスは「来なさい。そうすればわかる」と応えました。二人はその招きの言葉によってイエスから受け入れられたのです。新しい師との出会いでした。
 午後4時とは当時のユダヤ社会の一日の終わりが近づいて、その日を顧みる時です。そのような中で、彼らは共に食事をし、語り合い、宿りました。そのことがアンデレにとって真の意味において、イエスを救い主と信じ、従う決意をする時となりました(ルカ19:5-8イエスとザアカイの出会い参照)。
 アンデレは決別と新しい師に従う決意こそが自分の生き方であると、このとき心の底から受け入れたのです。
【設問】
「イエスとの宿りのとき」は、筆者にとっては聖書を読んでの黙想のときですが、あなたにとってはどの様なときがそれでしょうか?
参考賛美「主よ終わりまで仕えまつらん」新聖歌(385)

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