2020年夏号・成人科8月16日 ナザレン希望誌ウェブ(テスト)版

目次に戻る    カリキュラム一覧に戻る

神と民の間に立つモーセ 出エジプト記 31:18-32:20

◯はじめに
 主は山からモーセに語られたのです。「今、もしわたしの声に聞き従い/わたしの契約を守るならば/あなたたちはすべての民の間にあって/わたしの宝の民となる。…あなたたちは、わたしにとって/祭司の王国、聖なる国民となる。」(出エジプト 19:5~ 6)。すると民はみな口をそろえて答えました。「わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います。」(出エジプト19:8)それでモーセは民のことばを携えて主のもとに帰ったのです。
1、燃える山に登ったモーセ
 主の栄光はシナイ山の上にとどまり、黒い雲が山を包み、火と煙が立ちこめ、稲妻と雷鳴が臨んでいました (出19:16-17、20:18、24:17参照)。神は呼ばれたので、モーセは招きに応えて山に登って行きました。そして、40日 40夜、山にとどまっていたのです。民たちは山の中に入ったまま、帰って来ないモーセを案じてはいましたが、さすが 40日近くにもなると、モーセは山で死んでしまったに違いないと考えるようになったのです。エジプト脱出など、この三ヶ月の間に、民は数々の奇跡を体験しました。そして神様が生きて働き、私たちと共におられるお方である事を経験したのです。けれども、目の前からモーセが消えてしまうと、不安と恐れが心を支配していったのです。これは私たちも同じ事だと思います。信仰とは、時には紅海の渡りの時のように、恐れの中を行く時も、アマレクとの戦いの時のように手を上げてただ祈ることしかできない時もあるのです。ただ主に最善を期待し、主御自身にだけ信頼する事なのです。しかし民たちは目に見える指導者が欲しかったのです。神御自身を信頼していたのではなかったからです。神御自身を信頼するなら、何が起こったとしても、そこには主の臨在があり、平和があるからです。
2、さあ、先立つ神々を造ってほしい
 民はアロンの前に集まり、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。…あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」(32:1)と、帰って来ないモーセのために、偶像の神を造ることを要求したのです。そこでアロンは、民から金の飾り物を集め、金の若い雄牛を造り、それを礼拝し「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ」(32:8)と言ったのです。人々は朝早く全焼の捧げ物を献げ、座って食べたり、飲んだりし、立って戯 (たわむ)れたのです。シナイに導かれた神様が、まずイスラエルに告げられた戒めは、「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。…あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。」(出エジプト20:1-5)でした。出発して間のない民でしたが、霊と真の神を目に見えるものに置き換え、しかも霊的な存在者である方を、自分の手で偶像に刻んでしまう人間の高慢さ、しかもそれを礼拝する愚かさに驚きます (ローマ1:23参照 )。 この点は、神は決して許すことができないことだったのです。
3、モーセのとりなし
 民の姿に神は、「これは実にかたくなな民(うなじを固くする民・新改訳 2017)である。」(32:9)と怒りを発せられ、民に向かって「わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし…」(32:10)。と言われたのです。うなじを固くするとは、馬を操縦する時、手綱を動かしても、指示通り動かない馬のように、強情で高慢な民を指しています。神様は民を滅ぼすことを決められたのです。その時モーセは神様にとりなし、「どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上が滅ぼし尽くすために導き出した』と言わせてよいでしょうか。…あなたは彼ら (アブラハム、イサク、ヤコブ )に自ら誓って、『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与える約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言われたではありませんか」(32:13)。ノアはどこまでも神様の御名が崇められ、イスラエルの民の祝福の為に願ったのです。すなわち神の御前で、民の破れ口に立ったのです。神はその時、神は民への災いを思い直されたのです。

設 問 神様はなぜ、偶像を造った民とアロンを赦されたのでしょうか。

目次に戻る    カリキュラム一覧に戻る


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?