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誰かに

聞いてもらいたい話がある。

なにから書いたら良いのだろう。
私には誰にも言えなかったことがある。


すごく誰かに話したくて、どう思うか聞いてみたくて、ずっと仕方なかった。

Twitterで偶然、岸田奈美さんのキナリ杯という企画を見かけた。この企画を見たときに、ここに書いたら少なくとも彼女は読んでくれるんだと、淡いふくふくとした期待のような、ときめきのようなものを感じた。

noteの存在は知っていたが、登録したのも昨日で編集もレイアウトもよくわからない。

人に読んでもらう文章なんて書いたこともない。

読みにくいかもしれないけれど、もしよかったらお付き合いいただけると幸いです。


こんな話はされた方が迷惑なのかもしれない。

もし身近な人なら頭を悩ませてしまうし、私を惨めに思うかもしれない。かわいそうだと思うかもしれない。今まで友人知人が気軽にしてくれていた煌く人生プランや、可愛らしい恋の惚気話や、夢に溢れた将来出会うであろう相手の話なんて、きっとしてくれなくなる。

こうやって前置きをしているとどんどん話づらくなってきてしまった。

客観的に見たらそんな大層な話ではない、
とも、私自身には言えない…
もうこの問題に直面して私はかれこれ10年近い。
それでも尚、ずっと同じように悩んでいる。

平たく結論から話すと、きっとああなんだそんなことかと思われて、聞く耳も格好だけのチクワになって、真面目に取り合ってはくれないのではないか。

なのでこんな勿体つけてるのかもしれない。


……だんだんこのままこの最初の1ページに本体を書かなくても良いような気がしてきた。


この状態は、私には覚えがある。

面接やオーディションの時の1番最初の自己PRで、全部の意気込みを先に話してしまうと後で話すことがなくなって困るかもしれないと、小出しにしたときに限ってその後発言の機会をほとんど与えられず、なにも伝えられないあれである。

それは困る。
なぜならやっと話を読んでくれるひとを見つけたのだから。私にはありあまる予想外で意外性に富んだ話が、長年懐に温めてあるのだから。

普段は結論から話し始めてしまい、相手に主語がない、なんの話かわからないと咎められることが多い文法使いである私だが、実際のところおそらくすごくびびっている。
そして欲も出てきている。

出来るなら読んでもらった後に感想が欲しい。
感想というか、自分ならどうするか、のような回答が欲しい。これではただのお悩み相談になってしまうだろうか。

さらに本末転倒になるが、そもそもおもしろい話を所望されている本企画に、『私の話したい話』は場違い極まりないのではないか。

私はこの話をしようと頭の中を整理しようと考えると鼻の奥がツンとして、じんわり目頭が熱くなってくるのを感じる。涙が出る前に大抵鼻をかむ。

そのくらいの、心の奥にしまっている脆いところなのである。

決して笑える楽しい話ではないし、当の本人は死ぬのほど悩んでいるのでおもしろく考えるのもどうかなと思うのだが、私も巻き込まれてしまった身としては、どうにか前向きに変換して毎日を生きていくしかないのではないかと思い、今日に至る。



話したいことの主軸は私の夫である。
彼と7〜8年付き合ったのち結婚に至ったのだが、結婚2年目にとんでもないことが発覚した。

通院などした結論から言うと、夫は【性自認が未発達】な見た目は成人男性であると言うことだった。
自分が男性であると言うことの自認が未発達な上、他者に対する性自認も未発達なままである。

どういうことかわかりにくいと思うので補足すると、第二次成長期以前の能天気でお気楽お馬鹿な小学生男子といった感じである。

ここまで書いてみると、あの当時でそれならその後成長期を経て精神的な性自認を果たしても良さそうなものではないのか、という疑問も出てくるのだがそれはどうも望めないようで。

今現在も夫は、未発達のままである。

お馬鹿で能天気な小学生男子は、大人の性事情に不安感や不快感を覚える。最初からおっぱいや女体や性的なものが好きな子もいるとは思うけれど、子供の純粋さから見た嫌悪感のようなものが著しく、女性のことも男性のことも性的なものを不潔だと思う傾向にある。例えば夏場男性のすね毛や体毛が生えてるのが見えることとか、男同士の飲みの場でのよくある猥談とか、女性に性的なアピールを持って近寄られることとか、そういうもの全てに具合が悪くなってしまう。

初めて不安を打ち明けたのは結婚してから2年目、付き合ってから10年も経とうという時である。

よく私にそれを隠して来れましたね。

というか、気づかない私自身をひどく恥じたし、一番驚いた。

こういう性的な問題は、身近なひとに話しにくい。かと言ってそんな親しくないひとにも話しにくい。

私は夫のことがとてもとても大切なので、彼を間接的に傷つけられるのも差別的な目で見られるのも、馬鹿にするように嘲笑されるのもどうしても耐えられない。

だからと言ってこの人と、なんの迷いもなく今まで一緒に生活してきたかと言うとそういうわけでもない。

彼は大切な家族で、兄弟のように居心地が良く、愛しい子供のようなところもある、かけがえのないひとだと思っている。

でも私の中の性は置いてけぼりで、ぽっかり空いたままである。

単なる中年女の持て余した性の話だと思われてしまうのは哀しいけれど、結局はそんな程度のことかもしれない。

たかが性欲の為にかけがえのない夫と別れるのも馬鹿らしいと思う。きっと後2、30年もしたら枯れて縁側でお茶をすすっているのなら、隣にいるのはこの人がいいと思った。

それでも日々、私の30年はそんな風で大丈夫なのかなと思う。そして時々胃がえぐられるような気持ちになって心底凹んだりする。たかが性欲の為に。

そして守りたいと思っている私自身が彼を一番に傷つけているのではないか、傷つけるのではないかと、振り子のように考えはずっと揺れている。

あまり知られていないであろう【性自認未発達】を自覚されている方も、疑っている方もいるかもしれない。似たような状態の人もいるかもしれない。あくまで夫の場合は一例に過ぎず、全く同じケースというのはないそうなので、一概には言えないが、こういうひともいると言う話を知ってもらえたらと思う。


そしてこの企画にギリギリ飛び乗る気持ちで始めたnoteに、もう少し具体的なエピソードや日々思うことを書いていけたらと思う。

こんな素敵な企画をありがとうございます。岸田奈美さんとそのTwitterをリツイートして出会わせてくれた方に感謝します。


#キナリ杯 #性的マイノリティ #夫婦 #マイノリティ  


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