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連続ドラマの行間

Netflixで以前オンエアされたドラマ。一度観たことがあったのだが、かなり感動した記憶があったので、もう一度観た。すると…。

圧縮されて密度の濃いドラマを一気に観る楽しさはあるのだが、以前オンエアで観た時とは違う印象を受けた。

あれ?この交渉はもっと難航したんじゃないのか?
問題解決が早い感じがする。なんかあっさりしている。
体感時間が短く感じられる。

一週間ごとの放映だと10話を観るのに10週間、2ヶ月と2週間程度の時間がかかる。

ドラマとドラマの間のブランクの6日間は、行間なのだ。

不幸で理不尽な状況に陥った主人公に自然に感情移入しているまま、一週間過ごすと脳と心が(ほぼ勝手に)ストーリーの背景や放映されない人間関係などを考えている。

「こうなって欲しい!」
「どうなっちゃうだろう?」
「もしかして・・・?」

ドラマに引き込まれ、ドラマを味わうとはこういう状態のことなのかも・・・。

この時間がまさに行間で、これが連続ドラマの深みを作り出す源になっているように思えてきた。
おそらくドラマの制作者はこのことを知っていて、物語のプロットとは別に視聴者の感情のプロットも計画しているのではないだろうか?

Netflixなどで連続でドラマを一気に観ると行間を読む時間がなくなってしまう。提供されたコンテンツをそのまま受け入れるしかできなくなり、それが結果としてドラマの内容が「薄く」感じられる原因だと思う。

一気見の良さは否定するつもりは無い、例えば、シーズン全体のストーリーアークを一度に理解できるため、細かな伏線やキャラクターの成長を一気に楽しむことができる。また、一気見は爽快である。ストレスがない。

私はコンテンツ(ドラマ)で重要なのは強いメッセージ性とエンターテイメント性だと思っている。

鑑賞する目的は最初単なる暇つぶしかも知れないが、作品のメッセージと視聴者の潜在的なニーズが合致すると間違いなくハマる。

より深い印象を作品から受け取りたい場合は、一話一話を時間をあえて開けて観る。そうすることで行間を読み深みが補間できるのだ。
だまされたと思ってやってみて。

もう一度じっくり時間をあえて開けて鑑賞するしたくなる作品。
原作を読んでみたいと感じる作品。
こんな作品にたくさん出会いたいものだ。


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