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ガパオライス

あれっ。ガパオライスってこんなのだっけ。上品にサーヴされた平皿に、食欲ではなく困惑を感じてしまった。

小ぬか雨と人混みに、予想以上にくたびれていた。さっさと昼を済ませてこの繁華街から抜けだそう、と向かった店は改装でフラれ、近隣の飲食店には行列ができている。どうするかと道端で端末をいじっていると、ふと以前教えてもらった店のことを思い出した。

イチゲンではとても辿り着けない、と入念に教えてもらった通り、何度か店の周りをうろついてしまい、ようやくエレベーターに乗り込んだ。現在地周辺、昼時でも比較的空いている、タイ料理。この三つの情報しか持っていなかったものだから、入店してきびすを返しそうになった。

ホテルのラウンジか、というような高い天井。擦りガラスの壁からは明るい光が取り込まれ、さわさわと品の良い雑踏が聞こえてくる。さっきまで道ですれ違っていた、タピオカに並ぶティーンとは全然違う、小洒落たマダム達がポットパイを食べている。

一名様ですか、と席に案内されながら、今日は「ラーメンの昼めし」が「優雅なランチ」になっちゃったな、と己のカジュアルな格好をいささか恥じた。夜だったらドレスコードがありそうだ。

天蓋付き!のソファセットに腰を落ち着けて、ランチメニューを恐る恐る確認した。・・・おぉ、良かった。これなら手が届く。コースがメインのようだけど、そんなに時間も余裕もない。カオマンガイと少し迷い、ランチセットのガパオライスを注文した。

店内は池が流れ、気分は南国リゾートホテル。往来をまっすぐに歩けないほど人口密度から一転、隣のテーブルの話し声も聞き取れないくつろぎ空間。雰囲気は抜群、これで美味しかったらいい穴場だ。やはり知り合いの口コミはありがたい。食の趣味が合う人ならなおのこと。

お待たせいたしました、とまずはリーフサラダ、パンとディップの盛合せ。ディップはスイートチリソースと柑橘系の味わいのサワークリームらしい。お代わり自由です、とのことだが、ガパオライスは上品なボリュームということなのかな。

小ぶりなバゲットを手に取って、赤みを帯びたオレンジのスイートチリソースから。ふわっとお馴染みスイートチリソースの甘酸っぱさ。ねっとりとしたテクスチャと濃厚さから、きっとクリームチーズを合わせてある。おいしい、白ワインなんかと合わせても前菜になりそう。次は細かなグリーンが刻まれたサワークリーム。こちらはしゅわっと舌に溶け、ぶわっとレモングラスの香味と酸味。おお、とても夏らしい。スイートチリのディップにはシュリンプフライとどっさりパクチー、サワークリームにはナッツやアボカドなんかが合いそう。ディナーにはそうしたおつまみも出るのかな。リーフサラダのドレッシングもバーニャカウダ風味で美味しくて、俄然ほかの料理も気になってきた。

しかしそのわくわくはメインで戸惑いに変わった。
押し寿司のように、丸く型抜きされたお米と肉餡。真ん中にちょこんとカットトマトとパクチーが緑と赤できれいな盛り付けだ。

でも、これ、ガパオライスなの?


イメージするガパオライス、は、カレーライスのようにご飯の上に肉餡がどさっと盛られ、上に目玉焼きが乗っている料理。ココット皿に淡いオレンジ色のクリーム、卵とクリームのソースだとのこと。ほう。目玉焼きでなく上品なソースに変わっているのかな。

平べったいスプーンで端を削って、おそるおそる、ぱくり。じゅわっと挽肉から肉汁がしみる。あっ、おいしい。けど、なんだか、これ・・・?
戸惑いがどんどん強くなる。大きくすくって、はむっ。やはり鶏肉である。しかもなんだか優しい味付け、どことなく和風も感じ、これはあれだ・・・鶏そぼろ。そう、鶏そぼろ!
ガパオライスは豚挽肉じゃないのか?さっきから疑問符が止まらない。でも生意気なことを言うくせに、実は知識も食べた経験もとぼしい。

なにがガパオの定義なんだろう?
悩みながら手は止まらない。だって、よくわからないけどおいしいのだ。
肉餡は鶏肉のみのようで、噛むたびにじゅわっと優しいうまみが舌に広がる。白いご飯はもっちり艶やかな炊き具合、なにより肉餡もご飯もアツアツだ。

はぐっ。そぼろを噛むたびに淡白な印象の後からじわじわ鶏肉の味が染み出してくる。白ご飯に合わないわけがない。カットトマトとパクチーを一緒にすくって、おっとと欲張りすぎてこぼれおちた・・・ばくり。うわっ急にタイ料理。トマトのフレッシュさと甘さ、パクチーの香味がエスニック感を醸し出す。

今度はココットのクリームをのせて。ふわっと軽いクリームは肉餡の熱でたちまちとろりと染みていく。全部溶けきる前にと急いで口へ。おお・・・まろやかさ、が増した気がする。生クリームのような口あたり、鶏そぼろらしさは薄らいで、よそいきの美味しさだ。

では、トマト&パクチー&クリームはどうだ。
懲りずにスプーンに山盛りになってしまったけどがばっと一息に。ふうわり、滑らかなソースがトマトとパクチーをまとめ上げ、もうとても鶏そぼろとは言えない複雑な味。

ふう。最後までよくわからなかったけど美味しかった。満腹感と満足感にスプーンを置くと、完璧なタイミングで食後のチャイ。パンをお代わりしなくてよかった。というか、ここを利用するようなマダムならあの前菜で満腹じゃないだろうか。擦りガラスの階下をのんびり眺め、冷たいチャイを胃に収めた。

この記事を書く前に調べたところ、ガパオライスの「ガパオ」はタイのバジル、別名ホーリーバジルと言うらしい。ガパオで炒めた具材を乗せたどんぶり。ただガパオが日本では手に入りにくく、イタリアンバジル(スイートバジル)で代用することが多いのだとか。
肉は鶏肉が多いけど、豚肉、シーフードの場合もガパオで炒めてあればなんでもガパオライス。卵をのっける決まりもなさそう。まぁ、目玉焼きがのるとご馳走感があがるうえ見栄えが良いもんなぁ。

ただ、どう考えてもバジルは感じなかったので、よほど日本風にカスタマイズされた一皿だったんだろう。少し不思議だったけれど、雰囲気もサービスも料理もおいしかった。

繁華街の小さなオアシス、ご馳走様でした。