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ラムは香りを食べるもの

外食とはエンターテインメント・ショーだ。
私はレストランに、新鮮な驚きや発見、感動や癒し等、「体験」を求めている。
先日、つくづくそう実感した。


実に、実に三か月ぶりの外食だった。自宅でお取り寄せやテイクアウト、また時間と手間暇かかる手料理などに精を出す反面、戦々恐々とレストランのSNSをチェックする日々だった。
自粛要請。テイクアウト。煮え切らない補助制度。

どのお店もテイクアウト対応できるわけじゃない。
密を避けた、つまりスカスカのレイアウトで、あの小さな店舗で何回転できるだろう。
高齢のマスターが、 お取り寄せを使いこなせるだろうか。セーフティネットをきちんとキャッチできるだろうか。

クラウドファンディングなどにも目を光らせつつ、じりじり先の見えない我慢比べを経て、ようやくの緊急事態宣言明け。さらに慎重を期し、もう二週間ほど様子をみてから、気になっていたスペイン料理の一店をおそるおそる予約した。
「営業されていますか?」という言葉を、これまであんな思いで言ったことはない。


お待ちしております、朗らかに答えてくれた電話の後、ソワソワ浮き立つような思いで木製ドアに手をかけた。

穏やかな橙色の照明で照らされた店内はレイアウトをがらりと変え、間引いた3組のテーブルの間には黒く背の高いワインクーラーで仕切られている。各テーブルに一つ消毒液が設置されて、席に着くやワンプッシュをお願いされた。消毒液のにおいの中で本日のおすすめを説明されるのは奇妙な気分だった。

さてさて。メニューを開くのもそこそこに、なにはともあれ生ハムと赤ワインである。
原木から切り出したばかりのハモンセラーノ。美しく花弁のように盛り付けられた一切れをうやうやしくフォークで掬って、一口。

ルビーのような赤身はしっかり乾燥し、じわじわ染み出す味わいはやや厚めのカットが引き立てる。ほのかにくゆる樽香のような香り、ナッツのような香ばしい風味、そしてどっしりと塩気のきいた肉のうまみ。
ひらひらとフリルのような真っ白な白身は室温でとろりとゆるむほどで、舌の上でいとけなくとろけて甘さを添える。

美味しさを追いかけ、赤ワインをそうっと一口。
これがまた、とんでもなく最高だった。 初めて見かけたスペインワインの銘柄、CASTILLO DE UTIEL CRIANZA BOBAL。
ボバル?と耳慣れなさに聞き返すと、アイレン、テンプラニーリョに次いで、スペインで3番目に多く栽培されている黒ぶどうですと教えてくれた。

ボバルのワインは濃い色が特徴で、熟成に適したタンニン、しっかりしたボディで酸味があります。少しベリーっぽさもあると思います。
熱心な説明を、しかしワインに夢中でぼうっと聞き流してしまう(後からしっかり調べなおした)。

なにせ、生ハムに抜群に合う。
重量感のある味わい、渋すぎないワインの深みが生ハムの香ばしさ甘さを引き立てて、口に残った脂のコクがワインの余韻と調和する。ベリーっぽさ。確かに。 レモンなどの柑橘系のつん!と刺さるような酸味でなくて、よく熟したベリーの心地よい酸味。
それぞれ樽のような、燻したような香りが互いの味を繋げていく。


やはり削りたての生ハムは素晴らしい・・・と原木の購入を再度検討しているうちに次の一皿が運ばれてきた。

白さ輝くアオリイカのソテー。ぷりぷりとカーブを描く切り身。
アリオリソースとイカ墨のダブルソースをつけて。白くもったりしたソースに首を傾げ、そうかアリオリソースとはにんにくのきいたマヨ風ソースだと思い当たる。オイルベースのアーリオオーリオとすっかり勘違いしていた。

イカ墨ソースは、もう、わけもわからず、ただ、うまい。
潮!磯!これぞ海!と香りが強烈に鼻をくすぐるけれど、濃縮されたうまみが負けていない。
アリオリソースはこってりうまい。 にんにくの辛さはさほどなく、食欲増す風味がたっぷり閉じ込められて口の中で花開く。

そしてなにより、アオリイカが感動的に甘い。ぷりん!ぷつん!と歯にはじけ、くにゅくにゅ噛みしめるとじんわり甘みが沸いてくる。この歯ざわりを狙い撃ちした火の加減。
ソースダブルでもしつこくない、素材がしっかり強く、主従をよくわきまえている。


ここまででもう大満足してしまったのだけど、もう一品、おすすめメニューから肉料理、
そう、ラム肉の串焼きのお出ましだ。

こんがり焦げ目のついたおおぶりのステーキ肉と交互に刺された緑のズッキーニ。
串焼き、と言うだけあって、味付けは塩とクミンがふられたのみ。
一口にはやや大きく見え、カットすべきかとフォークで串から外してみて目を見張った。透明な肉汁がみるみるお皿にしたたっていく。もったいない、と慌ててがぶり。

じゅ・・・っじゅわ~・・・っ!ほとばしる肉汁。
しっかりした赤身の弾力でありつつ小気味よく噛み切れる。牛肉のフィレ肉に似ているかもしれない、目の詰まった繊維質。 丁寧にカットされたのか、筋や硬いところは微塵もない。
こく、こくん。あとからあとからあふれ出る肉汁はまるでスープのよう。飲み込むと、クミンが輪郭を縁取った、甘く、そして独特の香りが広がった。

ラムって、香りを食べる肉なのか。
とろとろのズッキーニをしゃくしゃく噛みながら、今日の発見を反芻する。

これまで、ラムはクセを楽しむ肉だと思っていた。
流通の関係か臭み処理に幅があり、店によってはクセというにはきつかったり、筋張って噛み切れなかったりするものだと。そしていくら美味しいラム肉でも、二口三口と食べるにつれて独特の香りと脂が、あるいは臭み消しの濃い味のタレがしつこくなる、そういう食べ物だと。

いやいや。こんなに甘く華やかな香り、ころしてしまってはもったいない。
二口め、次の塊は串に直接かぶりつく。伝い落ちる肉汁を気にしてはいけない。串焼きの意図がよく理解できた。これは、口中で頬張るべき一皿だ。
するっと串から外れる柔らかな肉はまた口の中で洪水を起こし、鼻の奥いっぱいに香りをあふれさせる。美味しい。楽しい。そして、赤ワインになんてよく合うんだろう。ビールにも合うだろう。ホップきつめの苦めのビールがいいかもしれない。


怒涛のごとく提供される美味しさに溺れながら、これはもうエンターテインメント・ショーだ、と冒頭の答えが弾き出された。

場を整えて、どうサーブするか考えて、そして渾身の一皿で魅了する。

美味しいレストランに共通する、柔らかく、しかしピンと背筋の伸びた緊張感ある空気。
それは、料理人としての自負、食材への畏怖と敬意、そして目の前の客に対する思いやりがあふれたものなのだと思う。

辛く厳しく先の見えない状態はまだ続くけれど、レストランという場所がどうか守られますように、と一人の客として願ってやまない。