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個性を大事にしたい気持ちがブレーキになること、意外と多い。 「声の個性」とは…

「発声のやり方を同じにすると個性が無くなっちゃうんじゃないですか?」という質問を、たまに受ける事がある。気持ちは理解できるが答えはNOだ。

僕の提唱しているナチュラルヴォイスの定義は、喉や体の構造にそぐう使い方の発声というものです。体や喉の負担が少なくコントロール自在な効率の良い発声とも言える。

よく間違われるのは、普段から自然に使っている発声とか、素朴な声、がナチュラルボイスでしょ、というのがあるが、僕が指している声はそうではない。それでも人によっては同じ声になる人もいるかもしれないが、全く逆の発声になってしまう人も出てくるので、その違いは大きい。

ナチュラルヴォイス=体や発声器官の成り立ちにそぐう発声という意味なので、その範囲内の発声なら声や歌唱のパターンはいくらでもある
表現もいくらでもあるし自由だ!

大き声でも小さい声でも、裏声でも地声でも、太い声でも、細い声でも、息声、しゃがれ声、デスボイスでも、喉や体に負担が少なく楽器としてコントロールできる発声の範囲であれば、どれでもナチュラルヴォイスなのだ。

今回は、それを研究し提唱している立場から声の個性を説明したい。

自分の個性だと思っている物は何? 

個性を大事にしたい気持ちは本当に良くわかります。
ですが、例えば、
今の自分の声が個性なんだ、としてしまうと、今、喉を壊しやすい発声をしているとしたら、喉を壊しやすい声が自分の個性なんだ、ということになってしまう。
当然プロのシンガーになるのは、個性を捨てない限り無理、ということになってしまう。

下手な歌を歌っている人も、今の自分の声が私の個性だと漠然とでも思っていると、上手くなることは個性をなくすことにとなり、完全に矛盾してしまうので、無意識的にあまり上達できない自分を体験するだろう。

いやいや、この声の個性を生かしたまま喉を壊さないよになりたいんです。
この声の個性を生かしたまま上手くなりたいんです。
そうおっしゃる。

先に答えを言うと、その声の個性は生かせる!
しかし、喉が痛む発声は、または下手な歌になる発声は、やめない限りは、
そのままだ。

要するに、発声と持って生まれた声の個性は同じではない。
そこをわかっていただきたい。

詭弁のように聞こえるかもしれないが、
物理的に考えて、あるいは自分の体感として
喉を壊しやすい無理がかかっている状態の発声にはその分の負荷がかかっている音が出ているわけです。(下手な場合も同じよう事がある)
負荷をかけている状態を体や喉が感しているのです。
どう感じているかはわからなくても絶対に無意識でも感じている。

その体感(喉感覚)や聴き慣れた響きを維持しないと、個性を失ったように、自分らしく無くなったように、あるいはわざとらしい歌い方をしているように、感じてしまう 人が、自覚がある無し問わず、かなり多いのです。

無意識の場合も本当に多い。

変わるのが怖い、という人間の習性が影響している

人は、今より良くなりたい、上達したい、もっと自由になりたい、好きなように生きていける人になりたい、と思っている反面、
自分が変わることを、非常に恐れながら生きているところがありますよね。
気がついていない場合もありますが。

生活や習慣を変えないと、自分は変われないと、どこかで分かっていながら、変わらないように必死で生活習慣を守ろうとしている。ほぼ無意識。

21世紀になってそういう根本的な人間の感覚に気がついている人も多いと思います。
このパラドックスが発声や歌に関しても、意識的にも、無意識的にも良くあるんです。

上達するためには何かが変わっていかないとなりません。
全く同じ感覚の発声なら、いくら練習しても、同じレベルの発声、同じレベルの歌唱のまま。ということです

長く練習しているうちに少しずつ上達していく人は、自分が変わってしまったことに、気が付いていないだけ。もしくは変化を少しずつ受け入れていって、気がついたら知らないうちに変わっていた、という事でしかない。

自分の感覚が変わらないのに、歌だけが変わるなんてことは無い、ということを、そりゃそうだ、と改めて気がついてみていただくと、個性という言葉で、変わってしまうことから逃げている自分に気がつく。

逆の言い方をするいうと、
すぐに上手くなりたい人は、今すぐにかわればいい
怖くて受け入れられないから、ゆっくり変わるしかない。

本当に上手くなりたいのなら、もしくは仕事にしたいのなら、もしくはもっと自由に表現したいのなら、勇気を出して違った感覚や響きになる事を受け入れて進む(練習する)事。その先に自由がある。

自分が下手だ不自由だと感じる分のギャップがある。その分変わらなくてはいけないのだ。

さらに言ってしまうと、

これが自由に歌える発声感覚!

いい加減な感覚
わざとらしい感覚
がんばれていない感覚
軽すぎて音程が取れないんじゃないかと思う感覚
滑っていて不安定になりそうな感覚

これらは、上手く歌えなかった人が、変わり始めた時に感じる典型的な特徴です。

完璧に自由という状態は、イメージがダイレクトに発声や歌唱に変わってくれる感覚。意図的な力や工夫や頑張りがほとんどない感覚。響きとイメージだけの状態なのです。

力で声を管理している感覚とは程遠く、むしろ真逆なので、
自由な発声から遠い人ほど、現在の感覚とのギャップが出てくるはずだ。

楽器の練習の場合は

例えばギターの練習をしていて、指の動かし方やネックの握り方がおかしいと上手く慣れない。上手い先輩やギター講師先生に指摘されれば、そのとうりに直すだろう。しかし、それによって自分の個性が無くなってしまうとか、変わってしまう自分が怖い、と思う人はほとんどいいない。

だから、楽器の練習を沢山している人は、個人差はあるにしても、全然上達しないって事は、ほとんどない。1年とか2年とか毎日弾いていればそれなりに上手くなる。

しかし発声や歌に関しては

そうではない人も多い。台詞や演技も同じく声の個性にこだわる人が多い。
声というのは、楽器と違い、出音そのものが自分を表しているパーソナルな物と感じるからなんだろう。楽器の練習のようにドライには考えられない。

発声は、練習のキャリアがなくても、子供の頃から毎日声を出し続けているので、みんな自分の中に「発声感覚とは、こういうのが普通」という思い込みがみんな漠然とあり、思いもしない使い方や響きを感じると、「これはないでしょう!」と無意識に判断してしまいます。
これまでの声の感覚とギャップがあるほど避けてしまいます。

さらに、意識的に何かの発声感覚を避けている人(場合)も結構います。「そんな声で良いわけがない」とか「いい声はもっと違う感じになるはずだ」とか、「細い声は男らしくない」とか色々と。
自分の考えに頑固に固執して、ナチュラルな声の感覚を否定してしまう場合も多い。

元々発声が良く思い込みの少ない人は、楽器のように、ただ練習すれば上手くなる。

そうでない人は、毎日歌っても全然効果なし

そしてその両者の間には無数にパターンがある

発声はぼちぼち良いけど高音の発声が最悪な人、大きな声に慣れていなくて力が入る人、言葉をはっきりさせる感覚に喉の力がつきまとう人、などなど。

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声の個性とは…

定義はもちろん自由なので、僕が決めるものではないので、
あくまでナチュラルヴォイスを提唱している研究者の意見です。

少なくとも、「今持っている発声感覚の上に成り立つ声と思う必要はない」
と思ってます。

もしその習慣が個性というのなら、個性を大事にしている以上は永遠に変わることはできない自分がいる。
これは発声に関してだけではなく、全てにおいて言えることですよね。

実は習慣を変えてしまっても、自分らしいと言える声はちゃんとそこにはあるんです。

ナチュラルヴォイス(楽で自由に表現できる声)を持った時に、確かに以前とは違った感覚や響きだけど、それが他人の物であるとか、まがい物とは、だれも感じないんです。これこそ自分だって感じはずです

理由は簡単。自分のイメージが、歌という音楽になって具現化されるのをはっきりと感じれば、これこそ自分そのものと感じるんです。束縛されていた過去の声の方が、よっぽど思い込みに支配されたまがい物と感じるでしょう。
その前に、なんであんな風に歌っていたのか、もう思い出せなくなるかもしれません。

「私、自分の声が嫌いなんで」 って言っている人も意外と多い

「発声を変えても、しょせん自分の声は嫌いなんで」あなたは心当たりありませんか?
でも、ナチュラルな声で歌えるようになったら、絶対そんなこと言わなくなります。
だって自由で気持ちがいいし、声質や表現は、イメージができれば、どうとでも作ってくれます。

もしそれでも嫌いなのなら「自分の持つイメージが嫌い」ということになります。イメージを変えていかないとなりません。
結局、「自分を嫌いな自分」を変えていかないと進めません。

他の人と同じ声になるなんてことは、そもそもできないです
一生懸命に真似をして成り切ればできるかもしれないけど、それは真似をした人になる
だけです。そかもそれはそれで、かなり難しいことで、そんな努力をするつもりもないのに、個性を失うなんてこと、ありません。

もしそれでも個性がないって言われるのなら、自分の好みや表現したいイメージが無い(薄い)のか? あるいは漠然と流行をイメージしているだけで、主体性が無いのかもしれません。
そういう人って、なんとなく個性がないって言いたくなりますよね。
内面は声に出てしまいますから。

歌は気持ちやイメージを具現化する作業

何人かで同じ楽器を演奏しても、同じ表現になることはまず無い。
それは頭の中に描く演奏のイメージやフェーリングが全く違うから。

歌も同じ。
喉の性質が似ていても、性格が違えば発声は全然ちがう。
発声を同じようにナチュラルにしたからと言って、共鳴させる顔も、口の開け方も、呼吸や感情筋の動きも、他にも数々の要素があり、それらが組み合わさって、声や歌になります。

そう、絶対に同じにはなれない。
そこには変えようも無い、素晴らしい無二の個性があります。
だから、安心して変わっていって欲しい。
安心して自由な声を出せる自分を見つけて欲しい。

成長を止める全ては、変わってしまうことに対する、無意識の抵抗。
個性という言葉を使って変わらないように抗う。

本当の個性は変化してもなくならない。変わらない。もちろん声の個性も
何を変えても、いつまでもついてくる強い要素、それが本当の個性。

気持ちやイメージを具現化できるしなやかさを持った時、本当の個性が見えてくる





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