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レイキは日本発祥のヒーリング手法

レイキの創設者

レイキは、大正末期に日本で始まりました。
創設者は臼井甕男(うすい・みかお)氏です。
1922年(大正11年)4月、臼井氏は東京で臼井靈氣療法学会を立ち上げ、約4年間、レイキの普及活動をされました。
その普及活動中の1926年3月9日に、臼井氏は亡くなられています。

レイキとは?

現在は「レイキ」と呼ばれますが、正式名称は「心身改善臼井靈氣療法」と言います。
靈氣を用いて心身を改善する民間療法なのです。

当時の日本は、まだ国民皆保険制度もありませんし、西洋医学の医療は高額でした。
そのため、一般庶民の多くは病気や怪我をした時、民間療法を頼っていたのです。
民間療法は実に多種多様なものが存在していました。鍼灸・あんま・柔道整復はもちろん、加持祈祷や気合術、電気療法など、様々なものがあったようです。

その中には、手当て療法と呼ばれるジャンルもありました。患部や頭部などに手を当てることで、病気や怪我を治すというものです。

レイキも、その手当て療法の1つとして行われ、普及していったのです。
ただし、これは医療行為として行うことはできません。現在は厳しく取り締まられていますが、当時も医者以外の医療行為は禁止されていました。
なので心身改善法として行い、その結果として病気や怪我の治りが早くなるということになっています。
現代では癒しとかヒーリングとして、レイキを紹介しています。

レイキは手から出るだけじゃない

レイキは手当て療法と言われるように、手の平から出る氣(靈氣)によって、相手の心身を癒すものです。
しかし、靈氣が出るのは、手の平だけではありません。

実は、人間の身体全体から出ています。
ただ、最もよく出るのが手の平だということです。だから、手の平を相手の身体に当てたり、かざしたりするのです。
他には足の裏、目線、呼気からも靈氣がよく出ると言われています。

1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生しました。
この時、多くの怪我人を助けるために、レイキが大いに活躍したそうです。
臼井氏は、同時に5人の施術をされたと言われています。つまり、両手と両足で4人、目線と呼気で1人の計5人です。
この話が真実かどうかはわかりませんが、このようにレイキは、手の平以外からも出ているのです。

なぜレイキが広まったのか?

戦前、日本国内でレイキをする人が百万人はいただろうと言われています。それほど、民間療法の中でもメジャーなものとなっていました。
なぜ、レイキがそんなに急速に広がったかと言うと、レイキができるようになるのに、それほど時間や訓練を必要としなかったからです。

レイキの受講料は当時のサラリーマンの給料くらいしたという話もあり、かなり高額な講座だったようです。嫁入り道具代わりにレイキを習わせたという話もあったとか。

しかし、レイキができるようになるには、わずか3日間でよかったのです。しかも、半日講座が3日間です。
※全受講は5日間です。連続5日間で行うこともあったそうです。現代では半日講座を午前と午後に行うなどして、1.5日と1日の2.5日間で行っています。

なぜそんなに簡単に習得できたかと言うと、靈授を受けるだけで靈氣が出るようになるからです。
西洋レイキでは靈授アチューンメントとかイニシエーションなどと呼びます。いずれにせよ、これを受けるだけで氣(靈氣)が出るようになります。

あとはちょっとした手の当て方、呪文、印、言霊など(西洋レイキではシンボルとマントラ)を習うくらいで、それほど訓練しなくても誰でもレイキができるようになったのです。

他の民間療法では、こうはいきません。
たいていは秘法として滅多に弟子に伝授しませんでしたし、伝授するにも相当な訓練と時間を必要としたのです。

また、特異な能力を必要とする民間療法では、その異能を伝授したくてもできないという事情もあり、一代限りで終わってしまうものも多かったようです。

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