見出し画像

【天才と発達障害】><。

【1】
今日は私の考える
天才の話をしたい。

なぜタイトルに
「発達障害」という言葉を入れたのか

私も性格がいいとは言えない人間で
あることは自身よく理解しているつもりだ

しかし
なるべくなら
こんな好きでやっているブログで
あまり不快なことを散文し
せっかく読んでいただける方々に
暗い気持ちになってほしくない
という前提で文章を書いている
今回は少々気難しい話かもしれない。

最初に言いたいのは
私は「発達障害」という言葉は嫌いだ。
アスペやADHD ASDという言葉も同様だ。

近年ネットのみならず
書籍や大きなメディアでも
この「発達障害」という言葉が
かなりの強ワードとして
多くの方々の関心や不安を集めていることは
非常に注目している。

コロナ禍もピークを過ぎ
ありがたいことに
色々な方々と会話をさせて頂ける機会も増え
ようやく本来の私がつかみやすい
リアルとネットのバランスのペースが戻ってきた。

コミュニケーションをしていて
ここ10数年で変わってきている
おもしろいなと思う人たちとの会話で

「俺アスペだから-」

「私発達障害かもなんで-」

「またADHDなとこがでちゃいました-」

こんなことを言う人が増えた。


ひと昔前だと

「私あたま悪いんで-」

「自分バカなんで-」

「僕ちょっと人から変わってるって言われてて-」

時代ごとに言葉遣いや表現が変化していくのは
当然のことかもしれないが

この頭に自分のことを卑下して
謙虚さを出そうとしている会話術は
私はセンスを感じない。

別に会話にセンスなどいらない
話したいように話せばいいという
今の時代の「否定をするものは問答無用で悪」理論は
今回はどうでもいいとして

天才は
自分は発達障害だろうが
アスペルガー症候群だろうが
ADHDだろうがASDだろうが
まったく気にしない人間であると考えている。

なぜなら
私が考える天才の第一条件とは

他人に興味がなく
他人の評価を気にしない

自分を卑下する人間は
他人を気にしての卑下であり
天才には当てはまらない
無論私自身も微塵も天才でないことは
10代の頃から理解している。


【2】
発達障害という
マイナスなイメージの言葉でも

以下のニ点がなければ
なんら問題ないと考えている
1・他人を傷つけない(精神状態により異常に攻撃的になる)
2・自分を傷つけない(悩み立ち止まり命を軽視しない)

ようするに誰かに迷惑をかけなければ
関係ないと思う。
自傷行為なら他人に迷惑をかけないというのは
非常に視野が狭く身近で大切なひとたちの
気持ちを想像できない悲しく幼稚な考えであると思う。

天才気質な人が
発達障害などと陰口を言われ疎外されるのは
所詮妬みであると考えている。

残念ながら
多くの人が関係し集まる組織や集団
作業や業務の内容によっては
どうしても合わない
できないこともあるだろう
生きづらさを感じることもあるだろう。

その道を選ばなければいいだけの話だ。

何度も失敗し
何度も孤独を抱え
何度も迷うかもしれないが
それが大人になるということだと思う。

人生において至って普通のことだ。

因みに私の友人の医師が言っていたが
「もしかして自分は発達障害かも」
と心配する9割弱は
ぜんぜん違うか
もしくは普段の生活で支障がないレベルなので
安心したらいいという。

日本人というのは
とにかく不確かで未知なものに対し
不安を抱きやすい民族らしい。
死亡保険
がん保険
医療保険など
保障保険は断トツで日本は世界一らしい。

同じ失敗をしない
次は気をつけてミスしないようにしよう
これは苦手なことだから無理に挑戦するのはやめよう
得意な人に任せよう

こういう心持ちで
少しずつ自分の適性を知っていくことが
より人生を生きやすいものにしていくのでしょう。


なんのブログなのかますますわからないな><。

補足しておきたいのは
私は発達障害で苦しむ人たちを
否定も肯定もしない
私が不勉強であることを認識した上で
「あんたに発達障害の何がわかるんだ!」
という方々と議論をし
見解を寄せたいわけでもない
自分が発達障害であるという
過剰で否定的な感情に苦しんでいるかもしれない
私の知る周囲の方々のことを思い書いた。
狭い狭い了見であることをご理解いただきたい。
(ほんとはこんなこともいちいち書きたくない><。)


【3】
天才というのは

たまにしにたくなるらしい

勿体ない話だ。
いつか天才と認めてもらおうと
日々研鑽に励むも
届かずに生涯を終えるものが
星の数ほどいるというのに

実にもったいない話だ。

ただでさえ繊細なメンタルの持ち主の多い
天才連中だが
ここ数年のコロナ禍は
一層彼らのメンタルを不安定にしてしまったようだ。

自慢ではないが
私はしにたいと思ったことは1度もない

ギャンブルで負けまくって
違うんだ><。なかったことにしてくれ
と思ったことは数百回あるが
この勝負で散ったら潔くしを選ぼう
などと思ったことはない。

思ったより勝利までの道のりがまだ遠かった
勝ちの途中であるという
わが師総師範KSKの信念
不敗神話スキルを発動して
また一歩一歩あゆみ始めるだけだ。

こいつも しにたいと思ったことはないはずだ
一番しんどい時期は きえてしまいたい と言っていた


私が考える天才の第二条件とは

自分の未来にも興味がなく
自分の過去にも興味がない
常に現在のことだけを考え苦しんでいる
苦しさが頂点を迎えるとしにたくなる。


【4】
私は音楽活動をしてきたが
おそらく生涯やめることはない

天才が作る曲に詞を乗せたいという
そんな思いが続くとわかっているからだ

天才の証明は一瞬
音色というのは瞬時に愛される

秀才の証明は一生
歌詞というのは繰り返されるほど愛される

歌の最高傑作とは
天才の旋律に憧れた秀才の恋文のようなものだ


14年振りに
曲に詞をつけている


詞に向き合っているから
今回のような文章を書き
頭を整理しているのだろう


私が考える天才の第三の条件は

秀才を目指す凡人が皆そっちを向いてしまう


新曲の出来次第で
Little Cabinet のステージがあるかもしれない
天才たちの再起を願おう。



今回の話で私が一番言いたいのは

発達障害は断じて障がい者ではない
才能あるものの偏りによる
凡人には理解不可能な
密度と空白のバラつきに他ならない
ギフテッドってやつだな><。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?