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好き・嫌いよりも「地元」がどういう存在であるか?

まず始めに、このnoteは沖縄で良かったとか沖縄が好きだーーー!!!って事を言う為に書いてるのではありません。もちろん大好きではあるのですが、人には必ず生まれ育った場所があってそれがどういう存在なのか私自身再認識するためと、もしこのnoteを読んでくれた方で、自分の「地元」が嫌いな方がいたとしても、それを無理やり好きになって欲しいと言うつもりもありません。ただ、自分にとっての「地元」は自分にとってどういう存在なのか?を知るだけでも、地元じゃない場所に行った時、気付く事がたくさんあるんじゃないかなと思いますので、少し深掘りしてみようと思います。

私にとっての「地元」

22歳の頃に初めて沖縄を離れ、四国の香川県高松市でお仕事をさせて頂ける事になりました。およそ6年程高松にお世話になりましたが、良い方ばかりに恵まれ、今でも大好きな場所です。香川に行ってまず驚いたのが、自己紹介をする度に、「なんで香川なん!?」と不思議がられます。注目して欲しいのが「なんで香川なん?」の質問に「なんで香川なんかに?」というニュアンスが含まれている事。もちろん全員では無いと思いますが、地元に対する肯定感がすごく低かったです。これが私に「地元」を考えるきっかけをくれました。

私の「地元」沖縄といえば、暖かい季候や、綺麗な海などの自然環境や、三線、琉球舞踊、紅型、焼き物などの伝統文化、ソーキそばやゴーヤーチャンプルーなどの食文化、なんくるないさという精神的な文化などが有名どころだと思います。一方で今でこそ観光客数も増加し、人気がありますが、戦争があったり差別があったりと明るい部分だけは語れないところもあるのが沖縄です。そんな沖縄は私にとってどういう存在かというと、「大事な友達」のような感覚です。場所ではなく「人」に近い感覚で、遊びたいし、間違ってる!と思うこともあるし、一緒に歳を取ってみたり、助けてみたり助けられたり。完璧な人がいないように、陰陽があるように、善悪があるように沖縄も人と何ら変わり無いと思っています。「感情」もあるんじゃないかと思う事があって、喜んだり、悲しんだり、怒ったり。こういうと凄くスピリチュアルな話しに聞こえるかもしれませんが。
長くなりましたが、要するに私にとって「地元」は沖縄という名前の友達であるという事です。

「地元」が嫌いな人は嫌いでもいい。

私は「地元」が絶対に好きな場所である必要は無いと思っています。ただ、嫌いになるからには、やはり自分の地元の事をよく知った上で嫌いにならなければ、その土地で嫌な思い出があったからその場所が嫌い。という風に関係のない地元まで巻き込んでしまいます。これをしてまうと凄く視野が狭くなってしまいます。例えばあなたに上司がいたとして、ミスをして怒られた時に、今回の件とは全く別件であるはずの事一緒にされて怒られたり、なんて経験はないでしょうか?これは、目の前の問題と別の問題を一緒にしてしまうから起こる事で、その原因は全く関係ない事だってあります。

話しを戻して、歴史や文化や観光についてなど、知った上で嫌いと言わなければ、少し失礼だと思うのと、敬意が足りてないのでは?と思ってしまうです。他の土地に出て「地元」について問われた時、それはすなわちあなたについて問われていることでもあるので、嫌いならなぜ嫌いか?好きならなぜ好きなのか?自分にとって「地元」ってどんな存在なのか?を考える事で、どう付き合っていこうかという方向性が見え始めると思うのです。

「地元」が無い人はどうすべきか?

私は22年弱沖縄から離れた事がないので、そこが自動的に地元になりますが、小さい頃から親の転勤が続いて、いろんな地域を転々とした方もいると思います。これは自分に経験がないのと、実際にそういう方とお会いして話しを聞いた事がないので、とても難しいんですが、地元が無い人は転々としてたので無いです。でいいのではないか?と思います。転々とした中からもし大好きな場所があるのであれば、そこでいいと思うし、なければ無理に作る必要性はどこにも無いんじゃないかなと思うわけです。しかも地元は一つじゃなければならない決まりもないし、必ず一つは無いといけない決まりもありません。それよりもその時その土地とどう向き合うかが重要だと感じます。

「地元」も人間が作った想像でしかない。

沖縄は沖縄であり、香川は香川で、大分は大分です。そもそも「地元」という価値観も人間が作った想像上のもの。実際に何かあるわけではありません。私の場合地元は?と聞かれれば沖縄!と答えますが、沖縄は沖縄です。人類が誕生してから認知革命、農業革命、化学革命といろんな革命が起こりましたが、その原因のスタートを探っていくと「虚構」の誕生に辿りつきます。「虚構」「言語」のおかげで、現実ではないことに真実味を帯びさせる事が可能になり、それによって見知らぬ人同士が協力するのを可能にしました。この「地元」も虚構の一つであり、ある種目には見えない力を持っている、もしくは人間が持たせたと考える方が自然なのかもしれません。出身地や、故郷と表現する事もありますが、それぞれ微妙に違うのでそこは今は割愛させていただきます。

友人、沖縄。

先にも少し述べましたが、私は結果沖縄を友人扱いしています。迷惑はかけたくないし、困ってる事があれば助けようと思う。いつも頭から離れないわけではないが、別に忘れてるわけでもない。久しぶりに会えば懐かしいし、どれだけ長く一緒にいてもストレスはない。そんなゆるゆるな付き合いをしていますが、確かなのは沖縄はずっと沖縄である事。外的要因が加わり変化はしていくものの望んでるわけでもなくて周りの人間が作り変えていきます。何かし終わった後で、昔の沖縄が良かったと言ってるのは人間の方で、沖縄が変わったわけではありません。私にとっての「地元」沖縄はどの時代も普遍的であるからこそ、安心感を与えてくれます。もちろんこれからも容姿は変わっていきますが、持って生まれた素敵な個性が死んでしまわないように友人として頑張っていきたいと思います。






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