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飾らなくていいんだ(随筆)

最近、思うように書けなくなった。

学生の頃は、鉛筆が書いてくれた。比喩のつもりではなくて、鉛筆がかってに動いて紡ぎだすのだ。霊的な遊びの話しではない。いたってまじめにいっている。

文章を書くことは、そういうことだと思っていた。でも、ちがうことをしった。それもまた学生の時に。詳細は省くけれど。

とにかく最近は、筆が動いてくれない。というか、なっとくがいかないのだ。

上っ面の、死にものぐるいではない、毒の風味すら感じない文字の羅列にしか、思えない。

どうしてだろうか。
私の、頭はねつをおびた。

こう書いたら、どう思われるとか、共感を呼ぶなんたらとか。そういうことが、私を苦しくしていたことをしった。

あともう一つある。
自分のことを書くことに、意味などあるのだろうか。そう思えてならなかったのだ。

小説には、基本的に自分のことは書かない。書いたらそれは、私小説になってしまう。だから、noteという存在は、私にとって衝撃だった。

自分のことを綴っても 、受け入れてくれ読んでくれる場がある。

葛藤は、私個人の問題であり、まわりの人には関係ないと思っていたけれど、他の人にとってその迷いや悩みは、救いになったり、共感となったりするのだ。

かいほうして、いいんだよ。
そう言われてる気がした。かっこつけなくて、いい。

奇妙な服を着ようとしなくて、素でも誰かしら見ててくれるから。すきになってくれるから。

テクニックらしきものは、いらない。
テクニックは、感覚をくもらせる。それよりも心からの言葉をすくいあげることの方がだいじなんだ。

私は文章に、嘘をついていた。もっと向き合いたい。

もっと深くて暑苦しい世界をみたい。

魂で書いているような文章に出逢えたら、生きていてよかったと思えるよう気がする。今よりももっと。

みんなのnoteを読みながら、そんなことを思った。

仕事のときは別だけれども。

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