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続・人情酒場 第一話:見知らぬ客

「よぉ来たぜ!」と勢いよく『人情酒場』の暖簾を開けたタコ爺は、さっそくいつものようにカウンターの席に座ろうとしたのだが、しかしその席にはすでに見知らぬ若い男が座っていたのだった。タコ爺はこの見知らぬ先客の登場に腹が立ち、この男を礼儀知らずめと店から叩き出そうとしたのだが、その時、後ろのテーブル席のイカ社長が必死な顔で手を降って自分を呼んでいたので、若い男は後回しにしてとりあえずイカ社長のもとへ向かったのだ。
「おい、イカ社長!なんでえ!オイラお前さんに構ってる暇ねえんだぞ!」
 タコ爺は席に座るなりタコみたいに顔を真っ赤にして言い放った。この男はこの居酒屋『人情酒場』の常連だ。安月給のサラリーマンで、飲んだらすぐに顔が真っ赤になるのでタコ爺とあだ名がつけられたのだ。
「まあまあ、抑えて抑えてタコ爺」
 もう一人のイカ社長はこの飲み屋の近所の町工場を経営している男である。彼もタコ爺と同じこの『人情酒場』の常連客で、いつもスルメを食べているからイカ社長とあだ名が付けられた。彼は時たま工員達を連れてくるので飲んだらすぐに酔い潰れるタコ爺に比べたらよっぽどこの店の売り上げに貢献しているのだ。
「で、ありゃなんだいイカ社長!あそこはオイラの特等席だぞ!今日はお前さんとさしで飲みってか!お前さんのイカ臭え臭いを肴に酒なんか飲めるかって!」
 タコ爺の顔がまだ酒も飲んでないの赤くなってきた。イカ社長はカウンター席の女将と若い客の方に首を向けてタコ爺の注意を引き付けてこう言った。
「だけどあの二人を見ろよ。俺が店入った時からあんな感じで黙りこくってんだ。なんか入っちゃいけねえもんを感じてな」
 イカ社長に促されるようにタコ爺もカウンターの女将と若者を見たのだが、なるほど確かにずっと黙りこくっている。タコ爺はあの若い客に張り付かれて女将が困っていると彼女を心配して、若い客から女将を離してやろうと女将に大声でビールを注文した。それを聞いた女将がすぐにビールとグラスを持ってやってきて、いつもの愛想笑いでビールを注いだ。タコ爺は女将を捕まえて、
「あの客はなんでえ!挨拶もねえ!勝手にオイラの席に座る!あんな礼儀知らずは店から叩き出さなきゃ!」
 と大声でこれ見よがしに文句を言った。女将は笑顔ですまなそうな顔をしてこの困った客に対応していたが、カウンターの若い客がタコ爺の文句を聞いていたのか女将の方を振り向いて「やっぱり僕、隅っこの方に移りましょうか?」と申し訳なさそうな顔で言ってきたのだった。すると女将が「あっ、大丈夫ですよ。そのまま座っていてもらって!」と答えてタコ爺に軽く挨拶するとそのままカウンターに戻って行った。タコ爺とイカ社長はその女将の動作を見ていた。その女将の表情からイカ社長はもしかしたらと何か察するものがあったが、タコ爺の手前何も言えなかった。
 女将が戻ってくるなり若い客は申し訳ないと謝った。「自分のせいで店の空気を悪くしてしまって」と頭をかき上げながら客は何度も頭を下げ謝る。女将はそんな客に笑顔で「こちらこそすみませんね。でも大丈夫ですよ。こっちは慣れっこですから。でも普段はいい人だからまたいらして下さいね」とこちらも何度も頭を下げて謝った。そしてお互いに頭を下げ続けてるので二人とも妙におかしくなり笑いがこみ上げてきた。そして笑いが収まった後で女将はお酒は?と聞き、客はしばらく迷った後日本酒を注文してきた。
「あら、日本酒なんて今どきの若い方にしては珍しいですね。お好きなの?」
 若い客は少し照れたような表情で、
「いや、普段は日本酒なんて飲まないんですが、というかこういう古い、いやすみません。こじんまりとした居酒屋に来ることは滅多にないんですが、ここを通りかかった時懐かしいものに誘われて……」
 と喋りだしたが、途中で女将が自分をまじまじとのぞいているので話を止めたのだった。若い客は自分を見つめる女将の視線に照れて思わずカウンターに目を伏せる。女将はえらく美人でしかも若い。そんな女がなんでこんな古くさい居酒屋をやってるんだろうかと客は考え、そしてさっき女将に答えたように、初めて入ったはずのこの居酒屋に妙に懐かしい物を感じたことを不思議に思った。若い客はおそるおそる顔をあげて女将を見た。しかし女将は相変わらず自分をまじまじと見つめていた。
 あんまり女将が自分のことを見つめてくるので客はとうとう耐えきれず女将に聞いた。
「あの、僕の顔に何か気になるとこでもありますか?」
 客の言葉を聞いて女将はハッと客から目を逸らして俯いたが、しばらくののちおずおずと客にこう尋ねたのである。
「……あの、へんなこと聞いちゃうかもしれないけど、誰かに似ているって言われません?」
 女将の思わぬ質問に少しビックリした客であったが、少し考えてから女将にこう答えた。
「まぁ自分は今まで芸能人なんかに似てるって言われたことないですね。でも……とっくに亡くなったうちの爺さんから言われたことがあるんですよ。戦争で亡くなった伯父さんによく似てるって。その人は曾祖父さんの年の離れた兄で陸軍の将校だったらしいんだけど中国で転戦中に流れ弾に当たって戦死した人なんです」
 若い客は話を終えて女将を見ると、何故か女将が涙を流しているのにビックリした。女将は「そうなのね、そうなのね……」と独り言のように言いながらハンカチで涙を拭いている。若い客はいきなり女将が泣きだしたのにビックリし、自分が変な話をしたせいだと思い、申し訳ありませんと何度も女将に謝ったが、女将は客に「いえいえ全て私が悪いんです。ごめんなさいね!」と涙ながらに謝り返してきた。
 タコ爺はそんな二人のやりとりを奥のテーブル席から見ていてとうとう我慢の限界にきた。あの客は女将を口説いて泣かせてやがる!といきなり席を立つとイカ社長の止めるのも聞かずカウンター席の若い客に歩み寄り若い客を怒鳴りつけた。
「おい、このポン助野郎!女将にべったり吸い付いていぢめてんじゃねえや!見ろい!女将がお前さんが嫌だってぇ泣いてるじゃねえか!」
 いきなりタコ爺の乱入に二人は驚き思わずタコ爺を見た。タコ爺はもう顔面真っ赤で頭から湯気が吹き出しそうである。怒りの収まらぬタコ爺は今度は客の目先に指さしてさらに怒鳴りつけた。
「お前さん、いいかい?今後お前さんはこの居酒屋に立ち入り禁止だい!女将がいいって言ってもオイラが許さねえぞ!さあ早く金払って出ていきやがれ!」
 タコ爺のあまりの剣幕に一同みな驚いた。イカ社長はタコ爺の暴走に呆れて頭を抱えた。若い客はタコ爺の剣幕を見て自分がこの店に来たことが悪いのだと責任を感じてしまった。だから万札をその場に置くと女将とタコ爺に謝罪してすぐに店から出て行ってしまったのである。女将はその一部始終を呆然として見ていたが、あまりの衝撃にろくに言葉も発せなかった。

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