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朗読会『フランツ叔父さんの手帳』

「皆さん、本日は朗読会にご参加いただきありがとうございます。今回朗読するのは最近翻訳されたジョニー・サワダさん(この人はアメリカの作家で、なんかラストネームが日系人っぽいんですが、実際はラテン系の人らしいです)の『フランツ叔父さんの手帳』です。この小説はジョニーサワダさんの処女作なんですが、出版されると同時に新しい青春小説の傑作と各方面から絶賛されベストセラーになったものです。青春小説といってもいわゆる純文学なのでラノベのように気軽に読めるものではありませんが、読み終えた時には爽やかな感動があなたを待ってる的な充実感はあると思います。では早速始めます」

 ステージの朗読者はそう述べるとゆっくりと本を開いた。本日『フランツ叔父さん手帳』の朗読を担当するのは人気の男性声優である。この声優には特に女性に人気があり、会場も十代から六十代の女性客で埋め尽くされていた。その女性客たちは、今声優と同じように本を開いて朗読が始まるのを今か今かと待っていた。

『フランツ叔父さん手帳』は大体こんなストーリーである。アメリカのオクラホマ州に住む17歳の少年ジョージにはフランツというドイツ人の叔父がいた。この叔父は母の弟で毎年アメリカに住むジョージの元に来ていたが、今年になって突然連絡が途絶えてしまった。母によるとドイツに住む親族も彼の居場所はわからないらしい。ジョージは大好きな叔父が行方不明になったと聞いてもう会えぬのかと深く落ち込んでいたが、ある日ジョージはフランツが泊まっていた部屋のベッドの下で古ぼけた手帳を見つける。拾い上げて手帳を見ると表紙にはフランツ叔父の名前が書かれていた。どうやら忘れて出て行ったものらしい。ジョージはしばらく手帳を見つめ中身を読もうかと悩んでいたが、ついに決心し恐る恐る手帳を開いた。ジョージはその大半がドイツ語で書かれた手帳を母から少し教わった記憶を頼りにして読み、そうしてわずかに理解できた断片からフランツという人間の知られざる一面を知る。そんな時たまたま見たYouTubeのドイツのとある村を撮った動画に一瞬フランツ叔父さんが写っているのを見る。その叔父の姿を見てジョージはどうしても叔父に逢いたくなってきた。彼は叔父が忘れていった手帳をみせながら父と母に向かって今度のホリディ―にこの手帳を返しにフランツ叔父に逢い行きたいと訴えた。彼は反対する父と特に反対する母に向かって叔父が写っていたYouTubeの動画を見せて必死で反対する両親を説得した。ジョニーの説得に父も、そして最後まで反対した母もジョージに向かって親戚に連絡しておくからと言って、彼のドイツ行きを承諾したのであった。

『十七歳、目覚めるにはちょうどいい年頃だ。ジョージは今少年から大人への階段を登ろうとしていた。』

 貯め込んだものが解放されたような声優の第一声に会場の女性たちは恍惚となった。目の前にいる声優はまるで十七歳の少年ジョージのようであった。この声優は純粋な高校生役を得意にしており、今回の朗読にはぴったりであった。声優はプロローグを朗読し終え、今はジョージがフランクフルト空港に着いた件の部分を読み始めた。

『ドイツ語辞典と、フランツ叔父さんの手帳に記されていたゲーテの『若きウェルテルの悩み』。ジョージはその二冊を詰め込んだスーツケースを手に空港に降り立った。出迎えに来たのは母の兄のヘルベルト叔父夫妻だった。ヘルベルト叔父さんは電話やネットで何度もやりとりしているがこうして直に会うのは初めてである。ヘルベルト叔父さんはこの若さ溢れるアメリカ人の甥っ子を抱きしめ弟のフランツよりもさらに訛りの強い英語で挨拶した。ジョージはこれに対して集中的に訓練して身につけたドイツ語で挨拶を返し、それからこう続けた。「叔父さん、伯母さん。気を遣わないでお国の言葉で話して下さい。ドイツ語は日常会話程度だったら全く問題ないですから。ちなみに名前もジョージじゃなくてドイツ風にゲオルグと読んでもらっていいです」ジョージは母の故郷でもあるこのドイツに来て異様な高揚感を感じていた。彼はフランツの手帳に書かれた断片を思い出した。『十七歳、旅立つにはちょうどいい年頃だ』この断片はフランツが初めてアメリカの地に降り立った時に書かれたものだ。ジョージは自分がフランツの青春を追体験しているような気分になった。彼は心の中でフランツ叔父さんの言葉を繰り返す。「十七歳、旅立つにはちょうどいい年頃だ」。そう僕も十七歳、旅立つにはちょうどいい年齢じゃないか』

 声優の朗読は物語に導かれるように段々熱を帯びてきた。今声優は主人公のジョージと一体化し、ジョージの視線で全てを見て朗読していた。客席の女性もまた声優とジョージが一体化するのを感じていた。彼女たちは手にしていた本から声優が直に語りかけくるような錯覚さえ覚えた。朗読はヘルベルト叔父さんに案内されてフランツ叔父さんの子供時代の部屋に案内されたところまで進んだ。

『ヘルベルト叔父さんはジョージを部屋に招き入れて「ゲオルグ……やっぱり慣れないな。親戚とはいえアメリカ人の君をドイツ風に呼ぶのは。ここはフランツの部屋さ。まぁ、本ぐらいしかない退屈な部屋だからなんか入り用なものがあったらいつでも言ってくれ」と言って部屋から出て行った。ジョージは部屋に入った瞬間、突然感動に襲われて叔父の言葉が耳に入らなかった。ここがフランツ叔父さんが少年時代に暮らした部屋なのか。だけど初めて入ったのに妙に懐かしい、いやというより戻ってきたような錯覚さえ覚える。これはやっぱり叔父さんの手帳を何度も読み返したからだろうか。叔父さんがこの部屋で過ごした青春。彼の喜びや苦悩が沢山詰まったこの部屋。手帳に所々ある滲み。多分叔父さんはこの部屋で泣きながら書いていたに違いない。青春の挫折。失った夢。でも……。ジョージは本棚に背中が半分出ていた本を見とめた。なんだろうと本棚に近づいて確かめたらそれはあの『若きウェルテルの悩み』だった。本を手に取って思い浮かんだのは叔父さんの手帳に書かれていた言葉。「いっそウェルテルのように死ぬ事が出来たら」叔父さんがここに最後に泊まったのはいつなんだろう。多分最近かもしれない。叔父さんは久しぶりに帰ってきたこの部屋でこの本を開いて青春時代を思い出していたのかもしれない。ジョージは自分が人生について何も知らない事が恥ずかしくなった。そう僕は何も知らないんだ。フランツ叔父さんは僕の年頃にはウェルテルのような激しい恋をしていた。僕にはまだウェルテルの恋なんてわからない。僕のドイツ語では原語のウェルテルなんて読む事は出来ないし、翻訳を読んだってまるでちんぷんかんぷんだ。僕は知らないんだ。恋も人生も。だけど僕はそれをもう知るべき時が来たんだろう。十七歳、目覚めるにはちょうどいい年頃だ。』

 この声優の言葉を聞いて会場のあちこちからため息が漏れた。この生真面目一直線でデビュー以来スキャンダルゼロを更新しまくる声優の純粋な少年ボイスで読まれるジョージ少年のピュアぶりは女性たちの年上のお姉さん心をくすぐった。十七歳、目覚めるにはちょうどいい年頃だ。そうよできれば私と……。

 声優はジョージがフランクフルト市内を歩いている場面をまるで絵にしたかのような美しいボイスで読み上げた。大きすぎるフランクフルトを買って大口開けて頬張るジョージ。見知らぬ都市に迷いそうになるジョージ。だけどそんな時何故かジョージは思い出したかのように元の道へと戻る。そうしてGoogle mapとかを頼りに道を歩いていたジョージは突然地図など必要ない事に気づく。僕はフランツ。この街は僕が育った街。そう十八までここにいた街なんだ。声優は街を徘徊するジョージの心の動きをうっとりするような音楽的な調べに乗せて絵のように見せていった。声優は朗読の最中に時々興奮のあまり声を裏返らせたが、それがまだ女性たちをときめかせた。

『ジョージは町を歩いているうちに自分がフランツになっていくような気がした。手帳の中に書かれたこの街の断片の数々がこうして実際の街を歩いていくうちに一つのイメージに纏まっていった。今自分はジョージではなくてフランツとしてこの街を歩いている。フランツは十八になるまでこの街で暮らしていた。彼はふと立ち止まり自分の中のフランツに問うた。フランツ叔父さん、今どこにいるんだい?僕は今あなたにもの凄く会いたいよ。会ってあなたから人生の話が聞きたいんだ。この手帳に書かれてあるすべてのことを。翌日、ジョージはヘルベルト叔父さん夫婦にフランツ叔父さんの映っていたYouTubeを見せながらこの村に行きたいと行った。ヘルベルト叔父さんはYouTubeに映るフランツ叔父さんの顔を見て渋い顔をした。「あまり会うのは勧めないな。今のフランツは君のよく知っているフランツではないかもしれない。だが君がどうしてもと言うなら止めはしないが……」ジョージは会いたいと即答した。これは彼の若さゆえの無知からくる大胆さだった。ヘルベルト叔父さんはこのトムソーヤのような冒険心溢れる甥っ子に向かって許可を出した。「どうしてもというなら交通費は出してやろう。その村はさほど遠くに離れていないし、道も単純だ。ただ」と叔父はここで一旦言葉を切ってそれからこう忠告した。「フランツには気をつけろ」ジョージはこう言った時のヘルベルト叔父さんの厳しい眼差しを見て一瞬体が震えた』

 いよいよ朗読会はクライマックスの入り口に入ろうとしていた。ついにフランツ叔父さんのところに向かう少年ジョージ。そして久しぶりに会うフランツ叔父さんへの不安。朗読している声優もまた少年ジョージと同じように緊張していた。少年ジョージになりきりまくりの声優は久しぶりに会うフランツ叔父さんの変貌を恐れてから異様に不安げな顔をしていた。その声優の不安は客席の女性たちにも伝染した。皆が不安になる中声優は続きを読み始めた。

『ジョージは村へと向かうバスの中、どこを見るでもなく一人居心地悪そうに俯いていた。彼の他にバスに乗っているのは地元の農民たちだった。彼らはベースボールキャップに半パンを履いたアメリカンは格好のジョージをジロジロと見ていた。ジョージはその視線が煩わしくなって早く目的地に着いてくれと願ったが、バスは誰も乗らないのにしょっちゅう止まり、その度に運転手が出て行ったりしていた。ジョージは小学生の時にYouTubeで観たある日本のアニメーションに出てきたどこでも出入り可能なドアの事を思い出した。ああ!今ここにそのドアがあったなら!』

『とかなんとか考えているうちにジョージはいつの間にかフランツ叔父さんの部屋まで来てしまった。ジョージは躊躇いの末勇気をだしてドアを開けたのだが、目の前にフランツ叔父さんの丸出しのデッカい尻が飛び込んできたのでびっくりしてしまった。ジョージは突然のあり得ないシュチュエーションに慌てふためいた末どうにか我を取り戻してフランツ叔父さんに挨拶したが、フランツ叔父さんはその彼を怒鳴りつけ早く尻を丸出しにして四つん這いになれと命令した。そこに鋭い鞭のおとと絶叫が鳴り響いた。ああ!とびっくりしたジョージが慌ててフランツ叔父さんを見るとなんと叔父さんがSM嬢に踏みつけられて鞭を打たれているではないか。この異常な光景に震え上がるジョージに向かってSM穣は言った。「坊や、今度はアンタの番だよ」やめてやめてとジョージは泣き叫ぶがそれでもSM穣は嫌がるジョージに鞭をくれ火の灯された蝋燭まで持ってきたやめてやめてとジョージは声にならない叫びを』

 女性たちは声優が本と全く違う内容を喋っているのを聞いて愕然とした。彼女たちは何度も本を確認したが、本には当然のことながらこんなシーンは書かれていない。会場は声優の突然の変貌ぶりに阿鼻叫喚となった。客席からやめての絶叫があちこちから響いた。だが声優はこの絶対を物語に夢中になり過ぎた客のせいだと考えた。この声優は実のところただ本に書かれている事をそのまま読んでいただけなのだ。彼はあまりに小説に夢中になり過ぎていたせいで自分の手にしている本のあからさまな異常に全く気づかなかった。

「ああ!やめて叔父さん、僕はお姉さんにいぢめらるためにここにきたんじゃないんだよ!ただ叔父さんに会いたくてここにきたのに!」

「俺に会いにきてそれなら何をするつもりだったんだい?どうせ俺の珍棒が欲しくてここにきたんだろうが!」

「ああ!それだけは言わないで!僕はまだウブな恥ずかしがり屋なんだよ!」

「うるさいわね!白ブタどもが喚くんじゃないよ!ホラ、そんなにハメあいたいならさっさとしなよ!私の前でさっさとやれよ!」

「ギャァアアア〜!」

 声優は本に書かれた内容をそっくりそのまま実演した。彼は演じながら学生時代に演劇やっててよかったと喜んだ。しかし迫真中の迫真演技を終え来場者に感謝の挨拶をしようと向き直った時、客席に誰もいないのを見て唖然として会場を見渡した。しかしそこにあったのは会場のスタッフの冷たすぎる視線であった。どうしてこんな事に。誉はただ本の内容をそのまま読んでただけじゃないか。声優はもう一度本を開いた。そしてすぐ叩きつけた。彼はスタッフに向かって思いっきり叫んだ。

「なんだよこの本前半と後半全く内容が違うじゃないか!これじゃお客さん逃げてあたりまえだろうが!どうしてこんな事になってんだよ!ちゃんと説明しろっ!」

 翌日スタッフが改めて本の内容を確認したところこの本にとんでもない印字ミスが見つかった。この本の前半こそタイトルの『フランツ叔父さんの手帳』だったのだが、後半はポルノ小説の『フランツ叔父さん大爆発!甥っ子ジョージと一緒にイッて!』だったのである。おかげで声優は業界から干され、ベストセラーを当て込んでいたこの本も発売禁止となり、正常に印刷された本も含めて全部焼却されてしまったのであった。

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