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《長編小説》小幡さんの初恋 第十六回:伝説の対抗戦 その1

 鈴木は岡庭のあまりに突拍子のない質問に呆然となった。この男はいきなり何を言い出すのかと思った。

「ボウイ?デヴィッド ・ボウイのことを言っているのかな?」

「誰っすかそれ?」

「いや、外国のロック歌手だけど……」

「あっ、俺、昔の洋楽とか全然知らないんで。BOØWYって日本のロックバンドっすよ。うちの親父がよく聴いてるんすよ。鈴木さんマジで聴いてないんすか?」

「ああ、そっちのボウイか。失礼、私はそのバンドについては名前ぐらいしか知らないんだ。もっともデヴッド・ボウイの方も大して知らないんだが」

「何でですか?うちの親父は俺たちの時代はみんなBOØWY聴いてたって言ってましたよ。なんで鈴木さん聴いてないんですか?BOØWY聴いてなかったら一体何聴いてたんですか?松田聖子とか中森明菜とかのアイドルっすか?それとも歌謡曲とか演歌っすか?」

 鈴木は岡庭の立て続けの質問に困り果ててしまった。元々ロックや歌謡曲などたいして聴いてこなかったので答えようがない。どう切り抜けたらいいか考えていた鈴木だったがそこに社長が話に入ってきた。

「おいおい、岡庭。鈴木さんはBOØWY世代じゃねえよ。もっと上の世代だよ。BOØWYは俺たちよりちょっと上の人たちが聞いてた音楽だよ。鈴木さんは矢沢とかじゃないの?鈴木さん矢沢は聴いてるんでしょ?」

 矢沢のことも鈴木はたいして知らなかったが、大学の同級生に一人熱狂的な矢沢ファンがいた事を思い出した。

「私は矢沢永吉もあまりよく知らないんですが、大学の同級生に矢沢の熱狂的なファンがいまして、そいつは矢沢永吉が出した『成り上がり』っていう本を愛読していて俺もいずれ会社を設立して矢沢みたいに成り上ってやると言っていましたよ。彼はその願いを叶えて今はIT関係の会社やってますよ」

 この鈴木の話を聞いて社長を始め皆ヘェ〜凄いと感嘆の声を上げた。するとまた岡庭が鈴木に話しかけてきた。

「鈴木さん。俺、鈴木さんのこと無茶苦茶興味あるんすよ。だって鈴木さんは元々俺らと全然違う人じゃないですか。そういう人が普段どういう生活してんのか知りたいんですよ」

 岡庭の自分を見つめる興味津々の眼差しに耐えられなくて鈴木は思わず目を逸らして周りを見た。しかし皆岡庭と同じように自分を興味津々の眼差しで見つめていたので目の置き場がなくなってしまった。

「いや、別に君たちと変わらないと思うんだが……」

 しかし岡庭は鈴木の答えを無視して重ねて聞いてきた。

「とりあえず鈴木さん趣味とかありますか?」

 鈴木は流石に岡庭にうんざりし始めてきた。しかしせっかく自分のような年寄りに興味を持ってくれるのだからと思い直し、できる限り誠実に答える事にした。とはいっても自分の趣味としてまず思いつくのは司馬遼太郎とかの歴史小説かあるいは最新の歴史の研究本を読む事か。しかしそんな事を岡庭に話しても全くちんぷんかんぷんだろう。多分万寿子と同じように大あくびされるだけだ。鈴木はこう考えてサイクリングの事を話すことにした。

「趣味といったらサイクリングかな。毎週土曜日にしてるんだ。晴れた日に土手でサイクリングするのは気持ちのいいものだよ。時たま草野球なんか見て時間を潰したりしてね。それで夕方までサイクリングしてその後はプールでひと泳ぎするんだ」

「ヘェ〜、アウトドアいいもんすねぇ。俺はずっとスマゲーやってますけど」

 と、岡庭は明らかに興味がなさそうに答えた。まぁ、予想はしてたから仕方があるまいと思って話をやめようとした所に社長が再び話に入ってきた。

「そういえば鈴木さん、サイクリングの途中で俺たちが土手で草野球やってるのよく見てましたよね?」

「あっそうですね。まぁ、野球が好きなもんで試合なんかやってるとつい、足を止めて見てしまうんです」

「見てるだけじゃなくて参加してくれればいいのに。そういえば鈴木さん、さっきお母さんと話ししてた時大学で野球サークル入ってたって言ってましたね」

「野球サークルっていっても我々の場合はほとんど観戦ですけどね。たまに同じ大学の他のサークルの連中や他校の同じ野球サークルの連中と草野球することはありましたが」

 鈴木はチラリと小幡さんを見た。小幡さんは父親が野球サークルに入っていたこともあって興味深そうに自分たちの会話を聞いているようだった。しかしその時会話に割り込まれた岡庭が社長に文句を言い始めた。

「ちょっと社長!俺と鈴木さんの会話の中に入ってこないでくれませんか?鈴木さんと話してるのは俺なんで」

「馬鹿野郎が。お前なんかの会話に割り込んで全然いいんだよ。大体お前の質問に鈴木さん迷惑してただろうが!」

「マジっすか!鈴木さん俺嫌ってるんすか!俺超ショックっすよ!」

 と、岡庭がいきなり大げさに喚き出したが、社長はその岡庭を笑いながら一喝した。

「うるせいんだよお前は!俺が代わりに鈴木さんと話するからお前は黙って聞いてろ!」

 社長にこう言われて岡庭はシュンとしてしまった。その岡庭を社長と新藤は共に笑い、真面目な丸山くんは逆に先輩に同情し、そして鈴木は笑われている彼を気の毒に思った。小幡さんはそんな岡庭をまぁまぁと慰め出したが、慰められた岡庭はわざとらしく下唇を突き出して声を上げて泣きまねを始めた。これにはみんな大爆笑であった。彼を気の毒に思っていた鈴木でさえ笑った。

「で、鈴木さん。俺も野球好きだから聞くんですけど、やっぱり野球観戦はいいですよね。いい試合見るとなんかビール飲みたくなっちゃって。例えば最近のロッテの佐々木投手の完全試合。あれなんか生で見たかったなぁ」

「私もそう思いますね。だけど年をとってくると億劫になってしまってどうも球場に行く気にはなれない。昔は仕事の合間を見つけて無理矢理球場に行ってましたが、一度なんかあれですよ。海外からの出張帰りに時差ボケも治らないのにそのまま成田から球場に直行しましたからね」

「へぇ〜!まるでうちの親父そのまんまですね。オヤジなんか朝まで呑んだのに今日は巨人の試合があるからそのまま球場に行っちゃったりして」

「ははは、私も巨人ファンだからお父様のお気持ちはわかりますよ」

 その時小幡さんがポツリとこう言った。

「うちのお父さんは阪神ファンでしたよ。それでおじいちゃんとよくケンカしてた」

「そうだよな。不思議なくらいウマがあったあの二人もそこだけはダメだったんだよ」

「お父さんが全部悪いんですよ。あの人巨人ファンはみんな権威主義だとか言って馬鹿にしたような態度とってたから」

「言ってた、言ってた。それで酔ったウチの親父がカンカンになって先生に出て行け!二度とウチの敷居はまたぐなって言って頭にきた先生が小幡さんおいてそのまま出て行っちゃて、それでしばらくしたら親父が自分で追い出したくせに、先生なんで出て行ったんだ早く先生の家に行って連れ戻して来いとか喚き出して」

「私もうおかしくて今から、というかあの時も思ってだけどホントに二人ともバカだなって思って……」

 鈴木は社長と小幡さんのこの野球ファンにありがちな話に思わず苦笑した。その鈴木に向かってまた社長が話しかけてきた。

「ところで鈴木さん、今まで観た中で一番思い出に残る試合ってなんかありますか。多分鈴木さんは俺なんかよりずっと試合を観ているはずだからこれは凄かったっていう試合あったら話してくださいよ」

 そういうと社長は口を閉じてまじまじと鈴木を見た。小幡さんも同じように見た。新藤も野球に興味があるらしく前のめりになって鈴木が話すのを待っていた。丸山くんはとにかく鈴木の話を拝聴するために正座して待っていた。ただ一人岡庭だけはもう飽きたらしくあぐらをかいてスマホをいじっている。鈴木は岡庭以外のみんなの視線に圧されて試合といって何を話したらいいか迷ったあげく、やっぱりあの試合の事を話すことにした。

「確かに私はそれこそ中学の時からスコアノート片手に球場に行ってましたし、高校野球からプロ野球、アメリカにいた時はメジャーリーグも観戦してしたが、あえてベストの試合を一つ選べと言われたらあの試合を選ぶしかないんです。まぁウチの母校と小幡さんのお父さんがいた大学の恒例の対抗戦なんですがよろしいですか?」

 鈴木はここまで話した時小幡さんを見たのだが、彼女が目を剥いて自分を見ていたのにビックリした。社長は笑って鈴木に答えた。

「ああ!それで大丈夫ですよ。大体両大学の対抗戦ってテレビ放送されるぐらいメジャーじゃないですか」

「じゃあお言葉に甘えて話します。あの試合は我々にとっては未だに語り継がれる名試合なんですよ。多分テレビでも何度か取り上げられたんじゃないかな。スポーツ新聞の下馬評はみんな我が校が負けると書いていましたね。まぁ当たり前なんですが。だって向こうは後にプロ野球選手になって今では野球解説者になっている伝説の左腕の三俣がいるんですよ。それとバッテリーを組んでいるのもプロの権藤だ。その他向こうには社会人野球で活躍した連中ばかりが集まっていたんですが、こっちは一番不作の時期でしてスカウトしたのも高校強豪校の二軍三軍クラス。我々野球サークルでも今年の対抗戦は負け試合、下手したらコールドだってあり得るってみんな言ってましたよ……」

 鈴木の話を聞いた社長はハッとして小幡さんの方を振り向いた。その小幡さんは水かお酒を飲むためにずり下げたらしいマスクをそのままに口を開けて止まっていた。




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