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あなたにリスペクト

 かつて山川潔というシンガーがいた。70年代中頃から80年代初頭にかけて活動していたその男は、当時の日本では珍しい本格的なソウルシンガーだった。彼のソウルフルな歌唱とその音楽は決して一般受けはしなかったが、感度の高い一部のリスナーに絶大な支持を受けていた。しかしあくまで売り上げを重視するレコード会社は彼のソウルをまるで理解せず、彼の制作していた新作アルバムを、当時流行っていたシティポップ風にアレンジして、勝手に『アドベンチャーナイト』なるタイトルをつけて売り出してしまったのだった。このレコード会社のやり口に業を煮やした山川は「この日本には本物のソウルはない、あるのは金の匂いのする偽の魂だ」と言い放ち、そして「俺はアメリカで本物のソウルを探す」と言葉をのこして突如音楽業界から去ってしまった。それ以降山川潔の消息は掴めず、やがて彼は忘れられた存在になっていたが、2010年代後半頃から、皮肉な事にシティポップとして売られたそのアルバム、『アドベンチャーナイト』が昨今のシティポップ再評価で、シティポップ中のシティポップとして突如注目されてしまったのだ。その『アドベンチャーナイト』は音楽雑誌やサイトで頻繁に紹介され、Twitterなどでも何故かトレンド入りするまでになった。現在活躍するアーチストは揃って山川潔と『アドベンチャーナイト』の素晴らしさを語り、これぞシティポップと褒め称え、また若手のシティポップバンドはこれこそシティポップの模範だと語るまでになった。そんな中現在最も注目されているシティポップDJ OSUGIが突如Twitterで山川潔とコラボしたいとツイートしたのである。
『あの、アドベンチャーナイトのKIYOSHI YAMAKAWAとコラボしたいんだけど、誰か彼の行方知らない?』 

 意外な事に山川潔の所在はすぐに見つかった。それはツイートした当の本人のDJ OSUGIすら驚いた。彼も含めて山川潔の生存さえわからなかったからだ。何せ山川が活動していたのは四半世紀以上昔の話で、DJ OSUGIや彼と同世代のシティーポップの新世代が生まれる前のことなのだ。彼がツイートした翌日に彼の事務所のメールBOXに次のようなメッセージがあった。
『初めてまして、DJ OSUGIさん。昨日のTwitter拝見しました。私、KIYOSHI YAMAKAWAのマネージャーを務める金子梨香と申します。KIYOSHI YAMAKAWAとコラボレーションしたいとのツイートを拝見し、KIYOSHI YAMAKAWA本人も大変喜び、あなたと是非一度お会いしたいと申しております。お会いしてくださるのであれば、お手隙の時でよろしいのでご返信お願いします。

追伸
世間に忘れられたはずのKIYOSHI YAMAKAWAが21世紀の今になって若い方たちに注目されるなんて、人生って不思議なものですね』

 そして今こうして待ち合わせのレストランでDJ OSUGIは着慣れないスーツを着てKIYOSHI YAMAKAWAを待っている。KIYOSHI YAMAKAWAサイドからの予想もしなかったメールを読んで思わず興奮した彼は早速KIYOSHI YAMAKAWAにこちらも是非会いたいと返信し、その後のやりとりでこのレストランで会おうという事になったのだ。彼は時計を見て、早く来すぎたと後悔した。まだ待ち合わせの時間の20分前だ。しかしKIYOSHI YAMAKAWAに早く会いたいという思いがこうして彼を急がせてしまったのだ。待っている間彼はYAMAKAWAが来ないか何度も入り口を確認したり、また家から持って来た『アドベンチャーナイト』の原盤のLPのジャケットを眺めて緊張をおさえたりしていた。ジャケットは当時のシティポップにありがちな夜の海沿いの通りをバックに車を走らせている、助手席に金髪女を侍らせた、謎の東洋人が写っている。その右上にデカいフォントでKIYOSHI YAMAKAWAとあり、そして帯には『シティポップのキング登場!スティーリー・ダンの完璧さとボズ・スキャッグスの熱いソウルを持つ男が歌う危険な恋のアドベンチャー!』とあった。この全くケバケバしいジャケットと、ペラッペラな帯のコピーの文章に純粋にソウルを目指していたKIYOSHI YAMAKAWAがどう思ったかは容易に想像できる。しかし、DJ OSUGIにとってはこのシティポップの音がすべてだった。たしかにプロデューサーによって作者の意図とは全く違う音楽になってしまったものだろう。だがこの音こそ今の彼が目標とすべき音だったのだ。しかし、と彼は考えた。何故KIYOSHI YAMAKAWAは自分とのコラボの誘いを受けたのだろうか。DJ OSUGIはシティポップなど日本の金まみれの偽物のソウル音楽そのものと切り捨てたはず。それはやはり年月の流れがそうさせたのだろうか。年月が彼に『アドベンチャーナイト』を客観的に評価できる時間を与えたのだろうか。それともやはり金のためなのか。そこまで考えたところでウェイトレスがやってきて彼に、「お連れ様が来られました」と伝えた。顔を上げるとそこには、ジャージ姿にグラサンをかけてキンキラのネックレスとブレスレットを至る所につけた派手なデブの爺さんと、年増のこれまた同じように光り物を至る所にぶら下げたいかにも水商売風の女がそこに立っていた。

 DJ OSUGIが挨拶に立ち一礼を済ませて二人に名刺を渡すと、いきなりデブの爺さんが「なんだ、おまえ。おすぎってオカマみたいな名前しやがって!」と言ってきた。DJ OSUGIはその格好といい、ガラの悪い口調といいあまりに彼が事前に仕入れた情報と違うことに戸惑い、反応できずにいると、脇から年増のホステス風の女が謝ってきた。
「あら、ゴメンナサイね!この人いつもこうなんですよ!いい加減その口調直さないと東京湾に沈められますよっていつも言ってるのに!」
「だっておすぎってどう見たってあのオカマの名前だろうが!」
「だから初対面の人間に喧嘩腰で話すのはやめなさいって言ってるのよ!せっかく仕事とってきたのにまた潰す気なの?」
 DJ OSUGIは目の前で二人が喧嘩になりそうだったので、場を和ませきゃと思い下手な笑顔を浮かべて二人に言った。
「あ、あのいいですか?俺の名前のDJ OSUGIってのは自分の本名が杉田なんで、学生時代からみんなにおすぎって呼ばれてたんですよ!それで芸名もOSUGIってつけたんですよ!ちょっとバカなんじゃないかって自分でもおもったんですが……」
 二人はDJ OSUGIのつまらない話をまったく興味なさそうに聞いていたが、彼が話し終わると、ホステス風の女のほうが「あっご紹介遅れてすみませんね。先日はメールありがとうございました。この人がKIYOSHI YMAKAWAで私はマネージャーの金子梨香です。二人で個人事務所やっておりますのよ。オホホホ!さあ、せっかくレストランに来たんだから美味しいもの食べてからじっくりお仕事の話をしないと」と言って、爺さんとDJ OSUGIに席に座るように勧めた。

 彼らは席に座ってからすぐにウェイトレスにオーダーを伝えたが、ウェイトレスが去ってしばらくするとKIYOSHI YMAKAWAがDJ OSUGIに向かって「で、今日は何の用事なんだ!」と相変わらずの喧嘩腰の口調で言ってきた。DJ OSUGIは憧れのKIYOSHI YMAKAWAに会えたはいいものの、しかしその実物が想像とあまりに違っていたことにショックをうけていたが、やがて冷静さを取り戻して恐る恐るKIYOSHI YMAKAWAに言った。
「あの……ここに来たってことはおわかりかと思うんですが、僕はシティポップが大好きで、特にYMAKAWAさんの『アドベンチャー・ナイト』ってアルバムをリスペクトしていて……今回コラボしたいって思ってて……」
「シティーポップだあ?」
 KIYOSHI YMAKAWAの怒号に店内はざわめき、隣のマネージャーが慌てて彼をなだめた。DJ OSUGIは相手のあまりの激昂ぶりに驚いたが、やっぱり相変わらずシティーポップは認めないんだなと、その頑固っぷりに半ば感心した。しかし、今回のコラボはソウルシンガーの山川潔ではなくあくまでシティーポップのアーティストのKIYOSHI YMAKAWAとのコラボなのだ。彼は自分の愛するシティポップがYMAKAWAの言うような金の匂いしかしない偽物の魂などではなく、この男が愛するソウルミュージックと同じように、多少甘口ではあるものの、日本人がソウルミュージックを含めたアメリカの音楽に多大なるリスペクトをこめて作られた本物の音楽なんだと言いたくなった。それでDJ OSUGIはKIYOSHI YMAKAWAが落ち着いたところを見計らって聞いてみた。
「やっぱりYAMAKAWAさん、シティポップ嫌いなんですか?」
「ああ!嫌いだね!あんな大卒連中がやってる音楽なんて大嫌いだ!ちょっとあの世界に関わったことはあるけど酷いもんだ!ロクに拳も回せねえ奴らの勢揃いだ!それで俺が連中に本物の歌を教えてやろうと連中の前で拳を効かせて歌ってみせたら、アイツラ俺をバカにしてゲラゲラ笑ったんだ!大体俺が中学卒業後に集団就職で上京してから歌手になるためにどれだけの苦労したと思ってるんだ!船村先生に弟子入りしようと三日三晩家の門に座ってたことだってある。北島師匠のパンチの縫い付けだってしたこともある。キャバレーのドサ周りは酷いことの連続だった。ギャラを持ち逃げされたことだって一度や二度じゃねえ!歌ってる最中にたまたま客でいた対立している組のヤクザ共がいきなりその場でドンパチはじめちまって拳銃の弾が頭をかすめたこともあった!あいつらはそんな経験したことないだろ!あいつらがその場にいたらおしっこ漏らして泣いちまうわ!そんな連中に拳を効かせた歌なんか歌えるわけねえだろ!」
 あまりに想像を絶するYAMAKAWAの過去の話にDJ OSUGIは一瞬怯んだが、しかし育ちや学歴で音楽の価値が決まるわけはない。彼は若者の反骨心でYAMAKAWAに食い下がった。
「おっしゃることはよくわかりますけど……シティポップにだって本物はいるはずですよ。山下達郎とか……」
 不思議なことに山下達郎の名前を聞いた途端さっきまであれほど不機嫌だったKIYOSHI YMAKAWAの表情がパッと明るくなった。そして急に上機嫌になって喋りだしてきたのだ。
「おお!山の達ちゃんじゃねえか!懐かしいなぁ!あいつ昔は貧乏くせえギター持って俺のバックやってたんだよ!それがいつの間にかあんなビッグになっちまってよぉ!でもまぁ、芸能界で一番仲良くしてたのはやっぱり前川清だね!昔同じ事務所にいてよお!名字の下が二人とも川で名前も同じキヨシだからよ、事務所がもうひとりいたなんとか川キヨシと合わせて、三途の川のキヨシトリオで売ろうとしたことがあったんだな!一番上の前川の兄貴がマツキヨで俺がタケキヨで、もうひとりのなんとか川キヨシがウメキヨだ!だけどそのなんとか川キヨシの野郎が、俺はそんなことやるためにシンガーになったんじゃねえとか言い出して事務所辞めちまったんだよな!未だに頭にくるぜあの野郎!大卒だからってインテリ風更かしまくってよぉ、礼儀知らずにも前川の兄貴の顔に泥塗りやがって!」
 結局KIYOSHI YMAKAWAはそれからずっと昔話を続け、DJ OSUGIは自分の好きなアーチストの話が出てくると耳を傾けて興味深く聞いた。やがて話が終わり、今後の予定を決めて店から出ようと皆が立ち上がったときKIYOSHI YMAKAWAはDJ OSUGIの方を叩きながらこう言った。
「今度会うのはレコーディングスタジオだな!ふう、久しぶりすぎてなんか緊張するぜ!お前さんがが俺の曲を今風のイケイケ調にアレンジしてくれるんだろ?頼むぜ先生!拳を効かせた良いアレンジしてくれよな!」
 DJ OSUGIはKIYOSHI YMAKAWAとの別れ際に、彼にサインをもらおうと手にぶら下げていた『アドベンチャー・ナイト』を出しかけたが、せっかくいい雰囲気なのにこれを出したら機嫌を損ねてコラボ自体なくなると自制してそのまましまって置くことにした。

 結局コラボ曲は『アドベンチャー・ナイト』のアルバムタイトル曲『アドベンチャー・ナイト』に決まった。やっぱりこれがDJ OSUGIのリスペクト曲だったし、KIYOSHI YMAKAWAの方もこれが一番のどちんこが震える曲だと言ってくれたのだ。DJ OSUGIはこの70年代末の曲にヴェイパーウェイヴの要素を取り入れ曲を解体し再構成していく。そうしてバックトラックのリミックスが完全に終わったとき彼は自分のDJ人生で最高の傑作を生んだと確信した。シティーポップにヴェイパーウェイヴの要素を付け足したものでありながらKIYOSHI YMAKAWAがリスペクトを捧げるソウル色もふんだんにある。これが成功したら世界中のフロアでかかるに違いないとさえ彼は空想した。しかしこれを聴いたらKIYOSHI YMAKAWAはどう反応するのだろうか。彼の音楽知識は半世紀前あたりで止まっているだろう。そんな彼がこれを受け入れてくれるだろうか。自分の曲に対する侮辱だと拒絶しないだろうか。だが彼には確信があった。このリミックスは純粋にソウルを愛し、そしてあの『アドベンチャー・ナイト』を歌ったKIYOSHI YMAKAWAなら必ず理解してくれると。

 そしてレコーディングの日であった。
「なんだこれは!全然違う曲じゃねえか!」
 と、レコーディングスタジオでDJ OSUGIのバックトラックを聴いた瞬間KIYOSHI YMAKAWAがいきなり怒鳴りだした。そして彼はマイクをなぎ倒してコントロール・ルームに駆け込み、DJ OSUGIの着ていたシャツを掴んで揺すぶると「どうなってるんだ!おい!」と今にも殴らんばかりの勢いで怒鳴った。DJ OSUGIはもがきながらKIYOSHI YMAKAWAの手を振りほどくと咳き込んでしまい、それがようやく収まってから言った。
「だから、さっきも説明したようにこれはあなたの曲を現代のセンスでリミックスしたものなんです!わかってくださいよ!」
「わかるもクソもあるか!なにがミックスジュースだ!俺が言ってるのは曲調が違うんじゃなくて曲自体が違うってことだよ!誰の曲だよ!こんな拳の振るわねえ曲は!」
「この曲はあなたの代表曲のアドベンチャー・ナイトじゃないですか!まさか自分の代表曲忘れちゃったんですか?」
「まさかだと、お前こそずっと人の代表曲間違えてるじゃねえか!俺の代表曲はアドベンチャーなんちゃらじゃなくて、アヴァンチュール・ナイトだ!」
 KIYOSHI YMAKAWAはそうDJ OSUGIに言い放つと、マネージャーのケバい婆さんを呼んで古臭いラジカセを持ってこさせた。そしてラジカセからテープを取り出して指でくるくる出だしまで戻すとまたテープをラジカセに入れてボタンを押した。
 ラジカセから究極にダサい演歌以下のカラオケが聴こえてきた。それをバックにしたのかKIYOSHI YMAKAWAはおもむろにポケットからマイクをとりだして拳を振りながらビブラートを効かせて歌いはじめた。

『ああ~!アヴァンチュールナイトゥお~!熱海の夜は~!』

 そして歌い終わったKIYOSHI YMAKAWAは再びマネージャーを呼んでラジカセを渡すと、今度はレコードを受け取り、それをさっきのひどい歌で脱力しきっていたDJ OSUGIと他のレコーディングスタッフに見せつけたのだ。
「今の拳の効いた歌聴いたろ!これが俺の代表曲、KIYOSHI YMAKAWAの伝説のアヴァンチュール・ナイトだ!お前のあのクズみたいな曲と一緒にするな!」
 KIYOSHI YMAKAWAの見せたレコードの帯には『シティポップの帝王登場!スティーリー・ダンの完璧さとボズ・スキャッグスの熱いソウルを持つ男が歌う危険な恋のアヴァンチュール!』とDJ OSUGIの持っているレコードと似たようなコピーがあり、そしてレコードジャケットも同じように金髪女を助手席に侍らせた謎の東洋人が写っていた。
 DJ OSUGIは自分のバックからKIYOSHI YMAKAWAのレコードを取り出すと、それをKIYOSHI YMAKAWAが見せびらかしているレコードジャケットと見比べた。違いはすぐに分かった。そして伝説の男から予想もしなかったリアクションをもらった感激のあまり、冷静な判断力を失くしていた自分を激しく責めた。こんな初歩的なミスを犯すとは人生史上最大の恥辱だった。アルファベットで書かないで最初から漢字で書けばよかったのだ。大きく『山川潔』と。誰も完全に誤解しないように!
 
 KIYOSHI YMAKAWAが見せびらかしているレコードのアルバムジャケットの右上には右上がりのフォントでこうあった。『アヴァンチュール・ナイト:山川清 KIYOSHI YAMAKAWA』

  DJ OSUGIは自分への怒りと、そしてそれ以上にいまここにいる山川清への怒りに身を震わせていた。そして彼はその震える手で山川清を指しながらスタジオが震えるほど大声で叫んだ。

「お前誰だよ!」


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