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歴史のIF:関ヶ原の戦い

 家康は三成と関ヶ原で決着をつけることにした。これ以上三成をのさばらせておいたら大変なことになる。今自分の味方に付いている諸大名も三成の味方についてしまうかもしれない。そうならないようには関ヶ原で三成と決着をつけるしかない。家康はそう考えた。彼はそう決めると早速関東にいる息子の秀忠に使いをだして今すぐに関ヶ原にくるように言った。秀忠は父家康の手紙を読みこれは早く行かなくてはと早速関ヶ原に向かって出発した。秀吉は何より関ヶ原に向かうことだけを考えていた。途中真田の軍勢が挑発行為をして秀忠の軍勢の進路を妨害したが、秀忠は挑発行為に乗らず真田を振り切って真っ直ぐに向かった。そうして進んでいくと前方に大軍が見えるではないか。秀忠はあれが三成の軍勢かと一斉に突撃した。相手方の軍勢はこの思わぬ襲撃に対抗できずあっというまに全滅してしまった。秀忠はさて三成はどこかなと探したが、三成はそこにおらず何故か父親の家康がボロボロの格好で立っていたのだ。家康はもう完全にブチ切れていた。彼は秀忠を呼んでボコボコにしてから叫んだ。

「お前早めにくるのはいいけど味方襲ってどうするよ!これじゃ三成に勝てねえだろうが!」

 結局家康と秀忠は親子揃って打首の晒し首になり、その二人の首を見た人々はこんなバカ親子がいるもんだと大笑いした。その後めでたく秀頼は関白になり三成も征夷大将軍になった。


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