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秋(空き)時間さんの世界文学案内 第四十回:チャタレイ夫人の恋人

 この小説はいわゆるわいせつ文学として発表当時は毀誉褒貶の大スキャンダルになった作品ですが、今読むとそのわいせつ描写は、無修正のAVや同人イラストなどが蔓延するこの現代では、非常にたわいのないものに感じます。ロレンスがこの作品で訴えたた性の自由というテーマはさておき、文章表現におけるわいせつ表現というテーマに絞って考えると、はっきりいって、この小説のように文章でどんなにわいせつな事を書こうが、直接的な、ずばりいってわいせつそのものが陳列されている現代ではたわいのないものと見えてしまうのです。つまりありきたりのわいせつ表現ではAVや同人イラストなどに勝てないのです。じゃあ、これからの文学はどうしたらわいせつ表現でAVや同人イラストを凌駕する事ができるのでしょうか。それはもうAVや同人イラストではわいせつ表現不可能な領域、そして文章以外ではわいせつを表現しえない領域を攻めるしかないでしょう。つまり卵子の部分をわいせつに書くしかないのです。例として次の文章を上げておきます。

『生まれたての白いおたまじゃくし達は一斉に淫らに煌く球体へと突進していった。これはもはや欲望のレースであった。狂ったおたまじゃくしは我先にと情熱のままに仲間を殺し球体へと突撃していく。そして一匹となった彼は今一機の神風となった。淫らな球体へと突っ込む一匹のおたまじゃくしは薄れゆく意識の中でこう願った。はやく突っ込みたい』


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