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ヨーゼフvsホームズ 第九話:ノイケルン区××番地アパート666怪死事件  その6

「私たちはあまりにも唐突なヴュルテンベルク伯爵の叫びに驚き、声すらかけることが出来ませんでした。しかし伯爵はすぐさま冷静さを取り戻して我々に向かって語り始めました。『失礼、私としたことがはしたなく取り乱すとは。私は愛しいクララが何者かに毒をもられたと聞いて真っ先にギンズブルクの顔を思い浮かべてしまったのです。あの男が彼女に毒を仕込んだのに違いないと。彼女はあの卑しい銀行家のギンズブルクを非常に嫌っていました。いつも彼女につきまとい、彼女に怪しげな東洋の金銀財宝を送りつけていたのです。彼女は私に何度もギンズブルクを遠ざける方法はないものかと相談してきました。私はクララにキッパリと拒絶の手紙を書くことを勧めました。彼女はその案に乗り気になったので、私は喜んで手紙の文面を作成し、彼女がその文面を用紙に書いてゆく、その時何度か二人はちょっとしたいたずらをした子供のように微笑みました。そして出来上がった手紙に封をしてあの男に送りつけたのですが、ギンズブルクの奴はそれでも懲りずにクララの元に訪れたのです。あの日もそうでした。私がクララのアパートの玄関に入り、小間使いに彼女へ取り次いでもらおうとベルを鳴らしていたら、奥から血走った目のギンズブルクが現れたのです。そのゾッとするような表情に私は背筋が寒くなり、部屋にいるクララが心配になって慌てて彼女の下に駆けつけたのです。クララは無事でした。ギンズブルクに殺されることもなく乱暴されることもなくその操を守り通したのです。彼女は私に悪戯っぽく笑って言いましたよ。『ギンズブルクがまた私を誘惑してきたんだけどはねつけてやったわ!』ああ!その後の甘いひと時が彼女との最後の夜になるなんて!こんな悲劇があっていいのですか?』我々もヨーゼフ警視もそう叫んで頭を抱えるヴュルテンベルク伯爵を見て涙を抑えられませんでした。なという悲劇でしょうか。これからのドイツ帝国背負って立つ若きドイツ貴族が、あの豚並みの精神しか持たぬ女という生物に肉体も精神も囚われるとは!ああ!ヨーゼフ警視などショックのあまりカントの『純粋理性批判』をバッグから取り出して声をあげて読み出してしまうほどでした。しかし我々はそこで探求を止めることは出来ません。ヨーゼフ警視は常々こう言っておられます。『我々偉大なるドイツ帝国警察にとって最も必要なのは形而上学に裏打ちされた認識論なのだ。その結果がどんなに絶望的なものであっても我々は認識への旅を止めてはならない!』だからヨーゼフ警視は苦悩に悶えながらあの封筒、クララ・エールデンの名前と、彼女が殺された日の日付が流麗な筆跡で書かれているあの封筒を伯爵に見せたのです!」
「そうだ!」と再びヨーゼフ警視は勢いよく立ち上がり叫んだ。ドイツ帝国警察ではおなじみのこの詩的な弁論が飛び交う捜査会議についていけないホームズは先程の態度はどこへやら、またチェアーに体をうずめ寝始めようとしていた。卑屈なゴールドマンはそのホームズに向かって、もう少しで終わりますからと頭を下げんばかりにして頼み込んでいた。我らがヨーゼフ警視はそんな連中は無視して語り始めた。
「そうなのだ!私はあの呪わしい封筒を伯爵に見せて言ったのだ!『この封筒をご存知ですか?』と。すると伯爵は酷く驚いた顔をして私をまっすぐ見つめ黙り込んだのだ。私はまさか、伯爵がそんなはずが……。と何も言えずにいると伯爵は私を見つめて小さな声で言ったのだ。『その封筒は彼女が持っていたのですね……。だって彼女の部屋にあったのでしょう?』私はいや、違うと伯爵に言った。これはクララ・エールデンの小間使いが取り調べの最中に貴方がクララの部屋にいた証拠として我々に差し出したものだと言ったのだ。それを聞いた伯爵は愕然とした表情で私を見て叫んだのだ!『なぜあの小間使いがクララに渡したはずの手紙の封筒を持っているんです!クララが私からもらった手紙を小間使いごときに渡すはずがない!私は別れ際にクララにその封筒に入れた手紙を渡した!クララへの手紙の最後に私はいつもこう書いている!『いつも言っていることだけど、手紙を読んだら絶対に燃やすのだよ!僕らの関係は決して世間に知られてはならぬのだから』クララは私の言いつけを守って絶対に手紙は燃やしていた。それは彼女がいつも手紙が地上から消え失せたことを証明するためにタンスやクローゼットを開けて私に確認させたことからも明らかだ!その手紙の入った封筒がなぜ小間使いが持っているのです!ああ!私は人間が信じられなくなってきた!誰なのだ!愛しいクララを殺したのは誰なのだ!』何ということだ!我々はあの小間使いにすっかり騙されていたのだ!いや、小間使いだけではない!その小間使いに金を渡して彼女の口を封じていたギンズブルク!ああ!何という巧妙な罠か!連中はあらゆる手を使って伯爵を罪に陥れようとしている!私は憤激に駆られ思わず伯爵のテーブルを何度も叩いた!そしてハッと我を取り戻して伯爵に謝ろうとした私を見て伯爵は言ったのだ!『ヨーゼフ警視、私はクララが安らかに眠れるよう、一刻も早い事件の解決を祈っております。私には祈ることしか出来ません。クララを殺した犯人が彼女の霊に懺悔するその時が来るまで私はひたすら祈り続けるでしょう!』私も伯爵に誓った。『ご安心なさい。きっとクララ・エールデンを殺めた犯人を捕まえて見せます!友情に誓って!』そして我々は号泣しながら抱き合いキスをして別れたのだ!」

 ヨーゼフの話は終わった。ゴールドマン以外のドイツ帝国警察捜査員は再びヨーゼフ警視の報告に感動し激しく号泣した。ああ!我々は時代の神というものを見ているのかもしれない!バルコニーに立ち手を振り回して演説するヨーゼフ警視の姿すら想像した。ああ!ドイツドイツ!偉大なるドイツよ!ヨーゼフ警視の報告はあのホームズの心まで動かしたらしい。先程は寝ようとまでしていたホームズがヨーゼフ警視の話を熱心に聞き入っていたのだ。彼ははヨーゼフ警視を聞きながらずっと何かを考えていた。そして捜査員たちが静まると彼はヨーゼフ警視に向かって挙手をしたのだ。ヨーゼフは手を上げているホームズに気づくと「何だねシャーロック?」と尋ねた。するとホームズは言った。
「その手紙が入っていたという封筒を見せてもらえませんか?」
「馬鹿者!これは若きドイツ貴族ヴュルテンベルク伯爵からお預かりした大事な代物なのだ!貴様ごとき形而下学国家の英国人などに触れさせなせぬわ!」
 ヨーゼフ警視はホームズのドイツ帝国を舐め腐った余りに無礼な態度に激怒してホームズを追い出そうとまでしたが、ゴールドマンが割って入り、ホームズ氏は英国から高い金を払って呼んできた大事なお客様、もし彼を追い出したら英国との外交問題にさえなりかねない。と説得してどうにかホームズに封筒を見せることを承諾させたのだった。ヨーゼフ警視はドイツ帝国の紋章の入ったハンカチで包んだ封筒をホームズの前に差し出し、見せることは許可するが、触ってはならぬぞ!貴様のような卑しい英国人はこの高貴なゲルマン貴族の封筒には触れてはならぬのだ!と釘を差した。熱心に手紙を見ているホームズを、ヨーゼフ警視をはじめドイツ帝国警察の捜査員は彼が封筒に落書きでもしないかとしばらく見ていたが、ホームズが手紙を前にして黙りこくっていたので、ヨーゼフは刑事に報告を再開するよう促した。刑事はすぐさま立ち上がると再び報告を再開した。


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