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ヨーゼフvsホームズ 第三話:両雄相対する

 警視総監室のドイツ帝国警察の捜査員一同はシャーロック・ホームズの思わぬ登場に驚き、挨拶をすることさえ忘れてしまった。ドイツ帝国警察の英雄で哲学的名推理家のヨーゼフは他の連中のように単純にホームズが自分を恐れるあまり逃亡したとは思っていなかったが、それでも彼がこんな形で登場するとは思わずしばらく衝撃のあまり動けなかった。それにしても不健康な男である。その痩身の背の高い体をゆらゆらさせているその姿はまるで夢遊病者を思わせる。それにしてもホームズがパイプで吸っているのものはなんであろうか。どうみても煙草ではなかろう。パイプから立ち昇る煙の匂いを嗅ぐだけで妙な幻覚まで見えそうになる。

 一方ホームズは冷静にドイツ帝国警察の面々の顔を観察し、どの男が道中にその名を聞かされたヨーゼフ警視かを推理し始めた。彼はそこに額にシワを寄せたいかにもドイツ人らしい気難しそうな男を見た。まるでキャベツの漬物みたいな男だ。恐らくあの男がそうだろうとホームズは確信し、笑みを浮かべてそのキャベツ男に近づきあらためて挨拶をしたのだった。
「はじめましてフリードリッヒ・ヨーゼフ警視。私が探偵のシャーロック・ホームズです。あなたのお噂は道中で聞かされましてね。なんでもドイツを代表する哲学的名推理家だとか。捜査を哲学的に論理立てるためにじっくり長い時間をかけて捜査するそうで。私は哲学に一向に不案内でしてね。この機会にあなたの哲学的名推理を学ばせていただこうと思いますよ」
 ヨーゼフはホームズが一瞬で自分がヨーゼフ警視であることを見抜いた事に驚き、この男は只者ではないと彼に対する認識を改めた。さすがは英国を代表する名探偵、どうやら偽物ではないようだ。だがヨーゼフはホームズの見えすいたお世辞には乗らなかった。かといって彼はあくまでドイツ人である。シャーロックのように慇懃さに皮肉を隠した英国流の返答などできるはずがない。だからヨーゼフはあくまでドイツ流の生真面目を通して挨拶を返したのである。
「はるばる英国からお越しくださりドイツ帝国臣民を代表して感謝の意を申し上げます。あなたが私の哲学的、形而上学的な推理を学びたいのであれば今すぐにでも見せましょう。ところでさっき何故私がヨーゼフ警視であることがわかったのですか。どういう根拠があって私をヨーゼフ警視だと認識したのですか。論理的に説明していただけないでしょうか?」
「いや、なんとなく容姿からそう思えただけですよ。ヨーゼフ警視」

 ヨーゼフはホームズのこの返答に納得がいかなかった。彼はこの疑問を解消する必要性を感じたのでホームズに向かって問うてみた。
「あなたは隠しているのですか。私は今あなたに私の哲学的な推理を見せると約束した。なのにあなたは自分の推理を隠そうとしている。まさか名探偵のあなたがなんとなくだとか、そういう曖昧模糊とした考えで私をヨーゼフだと決めつけたはずがない。説明してください。あなたが私をヨーゼフだと判断したのには確固たる認識論的な根拠があるはずなのだ。ちなみに私があなたをシャーロック・ホームズだと認識している根拠はあなたがシャーロック・ホームズだと名乗ったからであるからにすぎない。あなたがホームズだと名乗らなければ、私はあなたがシャーロック・ホームズだと認識できるはずもないし、私があなたをシャーロック・ホームズだと認識できる根拠など何もありはしないのだ。私は先程あなたがここに入ってきた時だが、あなたが自らシャーロック・ホームズだと名乗るまではあなたをただのティーカップを持った怪しげな侵入者としか思っていなかった。それはあなたをシャーロック・ホームズだと認識する根拠が何もなかったからだ。しかしあなたはここにいる人間の中から一瞬で私をヨーゼフだと認識したのだ。その根拠はどこにあるのだ。言い給えシャーロック!これは事件の捜査だけではなく認識論的にも重大な問題なのだ!」

 無礼極まりないことにホームズはヨーゼフ警視の話を半分も聞いていなかった。というより彼の長広舌に呆れ果て途中であくびまでしていた。ホームズは早く会話を終わらせたくて投げやりに言った。
「いや、ヨーゼフ警視。さっき言ったことはホントなんですよ。あなたが特徴的な顔をしているものだから」
「特徴的な顔とはどんな顔を言うのか。人類学的には人間の顔は3パターンしかないと言われている。あとはそのバリエーションだとは今日の人類学では主流の学説だ。だから特徴的な顔というものはないのだよシャーロック!どんな顔をしていようがすべて3パターンあるうちのどれかに収まってしまうのだからね。ということは文化的な理由なのかね。君はドイツ帝国とその文化に対してある種の思い込みがあり、すでに私のドイツ帝国における名声を聞いていた君は、この部屋で私達を見た瞬間に、君自身の想像するドイツ人のイメージに完璧に一致する人物として、一人孤独に思考していた私を見て話の人物のヨーゼフ警視と結びつけて私がヨーゼフ警視であると認識した。しかしそれは文化的錯誤と言うものだ!君は私をヨーゼフ警視だと認識したと鼻高々だが、実は君は真実を見ずに文化的な思い込みで私をヨーゼフ警視だと判断したに過ぎないのだ。それがたまたま私がヨーゼフ警視であったから君の認識はあたったかのように見える。しかし、私ははっきり言わせてもらう!君は文化的幻想の中で私をヨーゼフだと錯覚したに過ぎない。つまり君は最初から私をヨーゼフだと全く認識していなかったのだ!」

 哲学を全く解せぬ形而下学民の英国人のホームズにはヨーゼフの言っていることが何一つわからなかった。彼はこの意味不明の議論から早く逃れたかったが、ふいにこのクソ真面目なドイツ人をからかってやりたい悪戯心が芽生えてきた。だからヨーゼフに向かって冗談のつもりでこう言った。
「ヨーゼフ警視、たしかに私はあなたを認識していませんでしたよ。ただそのあなたのキャベツの漬物みたいな皺だらけの顔を見て、この人がヨーゼフ警視だと錯覚しただけですよ!」
 ユーモアをまるで解さぬ典型的なドイツ人のヨーゼフ警視はこのホームズの言葉に大激怒した。これは我々崇高なゲルマン人に対する侮辱意外の何者でもない。彼は拳を振り上げて叫んだ。
「そのキャベツ顔とヨーゼフ警視がどうやって結びつくのか!英国人というものがそこまで非知性的だとは思わなかった!哲学を解さぬ!詩を解さぬ!音楽を解さぬ!そんなまともな言葉も、まともな旋律一つ書けぬ連中が、ヘンデルやメンデルスゾーンのような二流のドイツ人を真の芸術家と崇めているのだ!何という非哲学的非芸術的な国民か!まともなのはシェイクスピアだけだ!しかしシェイクスピアは英国でははるか昔に忘れられ、我々ドイツ人が再発見するまではその墓には埃が積もっていたというではないか!大体シェイクスピアの芸術などイギリス人が理解できるはずもない!もしかしたらシェイクスピアはイギリス人ではなくドイツ人だったかもしれないのだ!」

 両雄一歩も譲らず、というよりヨーゼフ警視だけがいたずらに興奮してし喋り倒していたのだが、議論はもう収集がつかなくなっていた。ひたすらヨーゼフ警視の激昂を浴びていたホームズはすでヨーゼフの話は聞いておらず、パイプを火をつけて自分の世界に入り込んでいた。警視総監以外のドイツ警察の面々は我らがフリードリッヒ・ヨーゼフ警視があの世界的に有名なシャーロック・ホームズを討論で打ち負かしていることに興奮していた。しかし警視総監は壁の時計を見ながら焦っていた。未解決事件の解決は早急に迫られているのである。だから彼はテーブルのベルを鳴らして延々と演説しているヨーゼフ警視を黙らせて皆に向かって言ったのだ。
「時間も迫っているから、そろそろ捜査の話しをさせてもらっていいかな」


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