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二歳の憂鬱

ええっと、今回は自分の作品じゃなくて知り合いの天才幼女が書いた文章を紹介します。音楽や絵では幼少の頃から才能を発揮する人が珍しくないですが、文章ではそうはいかない。なぜならある程度教養がなければ書けないからです。恐らく世の中の人たちはこういう固定観念を持っていると思います。私もこの幼女の文章を読むまでそう思っていました。だけど私はこの二歳の幼女の文章を読んでそういう固定観念がひっくり返されました。なんという文章なのでしょうか。わずか二歳にしてここまで人生を達観した境地で語れるとは。しかしこれは我々大人の偏見かも知れません。動物にも人間と同じような感情があるというのは最近の研究でも明らかになっていますが、人間のピーピー泣いているだけの赤ちゃんにだって大人と同じような感情を持ってるはずなのです。ただ彼ら彼女らはそれを言語化できる能力を持っていなかった。この二歳の少女はそんな子供たちの思いを代弁するためにようやく登場した救世主ともいうべき存在でしょう。以下に載せるのが彼女の渾身の文章である『二歳の憂鬱』です。このあまりの切なさに心まで震える、今の二歳のリアルが刻まれた名文を是非ご一読下さい。

『二歳の憂鬱』

二年間生きてきて結局私の手元に残ったのは憂鬱だけだった。生まれた頃私はオギャーと鳴きながら感激に涙する両親とともに自分がこの世に生まれた喜びを噛み締めていたものだ。生まれて一年間は確かに私は生の充実感を味わっていた。
だが二年目に訪れたのは憂鬱だった。両親は私に早く言葉を覚えるようにせがんだが、私は自分がこのまま成長することに耐えられず、言葉を知り尽くしているにも関わらず一言も喋らなかった。両親はそんな私を心配して医者に連れて行ったりしたが、私はそんな両親に反発して頑なに口を閉じた。そんな私を見て両親はため息とともにこう呟いた。「この子はバカになってしまうんだろうか」
私は彼らのあまりにも馬鹿げた発言に頭にきて抗弁しようとしたが、しかしいけないと自分を抑えてグッと耐えた。
しかし、その私の抵抗も終わりの時が来た。なんと両親が私に予防接種なるものをするとか言い出したのだ。その時、私は病院に行った時に見た鋭く細い鉄の棒が先端についた器具を思い出し恐怖で震えた。あれを体に刺されたら死んでしまう。両親は喋らぬ私を殺すつもりだと体が震えた。その予防接種のあった日だった。医者と看護師の目の前で私は赤ちゃんだった頃を思い出してオギャーと鳴き、必死で拒絶の身振りをした。こうすればいつものように両親が諦めてくれると思ったのである。だが両親は「ハイハイいい子だからねぇ〜、すぐに終わるからねぇ〜」とまるで私をペットか何かのようになでなでしながらあやしたのだ。この両親の人をバカにしきった言葉に流石の私も大激怒して両親に向かって怒鳴りつけてやったのだ。
「あなたたちは私をどうしようというの? あなたたちは私をなんだと思っているの? 私が必死に予防接種なんか嫌だと訴えているのにどうして耳を傾けないのよ! いい? 一つ言っておくけど、子供はあなたたちの便利なおもちゃじゃないのよ! 子供にだって拒絶する権利があるんですからね! 私は世の不幸な子供に代わってあなたたち大人に教えてやるわ! 子供にもちゃんとした意思があるのよ! 子供は大人のおもちゃじゃない! ちゃんとした一人の人間なのよ!」
両親と医者と看護師は私の訴えをポカンとした表情で聞いていた。そして今のは空耳だったのかとか言って嫌がる私を無理やり押さえつけて予防接種接種したのだった。

今でもあの時の出来事を思い出すとはらわたが煮え繰り返る。あの時私は彼らによって何かを奪われたのだ。それは自分が必死に守っていた子供の無邪気さだろうか。あの時言葉を発した瞬間、私は確かに赤ん坊だった自分に向かってさよならをつけだのだ。人はこうして成長して醜い大人になっていくのだろうか。そのルートから外れて赤ん坊のままで無邪気に戯れて生きるなんて夢のまた夢なのだろうか。私は今二歳である。これから永遠に続くかも知れない人生をどうやってやり過ごせばいいのか。今私はよちよちと立って庭を眺めて自らの来し方行く末を考える。現在私は二歳である。そして今とても憂鬱な気分だ。


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