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ロシア文学秘話:プーシキンとゴーゴリ

 十九世紀に活躍した詩人で小説家のアレクサンドル・プーシキンはロシア文学の祖と呼ばれている文学者である。ロシア文学はプーシキンが一人で作ったものと言っていい。勿論彼と同時代にも文学者はいた。しかしそれら作家や詩人の作品はフランスやドイツものの模倣でしかなかった。プーシキンはロシア語でロシアに生きる者たちの姿を描いた最初の文学者であった。彼以降に出てきた文学者は皆プーシキンが切り開いた道を歩んで行った。それはトルストイやドストエフスキーのような世界文学の最高峰に立つ作家も例外ではない。

 それらの文学者の中で一番深くプーシキンと関りを持ったのはやはりニコライ・ゴーゴリであろう。なんといってもゴーゴリはいつもプーシキンに小説の題材を貰っていたのだから。ペテルブルクに上京したゴーゴリは友人のジュコフスキーの紹介で初めてプーシキンに会った。ゴーゴリはかねてからプーシキンを尊敬していたが、その当人から小説を褒められ、困った時にはいつでも訪ねてくれとのありがたいアドバイスを受けて感激した。プーシキンは恐らく半分ぐらいリップサービスでこんな事を言ったのだろうが、田舎者で純真なゴーゴリはこの言葉を真に受けて、うんざりするぐらいプーシキンの所に通い詰めた。

 ゴーゴリは奇妙は天才であった。彼は溢れるばかりの想像力と文章力がありながら自分では小説の題材を思いつけなかったのである。最初のうちは故郷の家族から聞いた昔を題材にして小説を書いていた。しかし間もなくしてネタ切れとなり自分で題材を思いつかなくてはならなくなった。とはいえいくら題材を思い浮かべようとしても何も思い浮かばなかったのだ。ゴーゴリはその事をプーシキンに正直に話し、そしてもしアイデアがあったら教えて欲しいと懇願した。『ああ!神の如き偉大なるプーシキンよ!私に小説を授けて下さい!出ないと私はもう終わりです!」プーシキンはこの告白に驚き思わず笑いそうにさえなったが、しかしゴーゴリの追い詰められた表情を見て彼はこの年少の作家に深く同情しとりあえず今思いついたアイデアを話したのであった。

 プーシキンはその場でゴーゴリに外套を盗まれて幽霊になってしまった話を思いつきそれをゴーゴリに話した。するとゴーゴリは涙を流して跪きプーシキンに深く感謝したのだった。

 それから半月経った後、ゴーゴリは脇に原稿を抱えてプーシキンの元に現れた。彼はプーシキンの前で跪きそして原稿を差し出して言ったのである。

「お題を頂いた小説が出来上がりました。タイトルはズバリ『外套』です!あなたの助言のおかげでとんでもない傑作が出来上がりました!ああ!神に等しいプーシキンよ!この小説の審判をお願いします!」

 原稿を受け取ったプーシキンはこの憐れな男への同情からとりあえず読むことにした。彼は目の前のゴーゴリが才能ある作家である事はわかっていたが、どんな作家でもあんなコントみたいな題材でろくな小説が書けるわけがないとたかを括っていた。だが読んだ瞬間彼は小説の斬新さと深さにたちまちのうちに魅入られてしまった。彼は目の前にいるやたら鼻の長い小男は自分の半分気まぐれで出した題材で途方もない傑作を書いた事に震えた。これは全く新しい文学だ。ロシアは勿論西洋にさえこれに匹敵するものはない。プーシキンはまだ跪いていたゴーゴリを起こしてこの『外套』が傑作である事と、君は真の天才で紛れもない一流作家だと讃嘆の言葉を述べたのであった。

 プーシキンは退出するゴーゴリの後ろ姿を見ながらこれであの男も自身がついただろうと思った。あの男は小説の題材が思いつかないと嘆いていたが、きっと『外套』を描く中で小説の題材を見つける方法を身に着けたであろう。なんといってもあのような小説を書く天才だ。これからのロシア文学は彼のような真の天才によって導かれていくのだろう。私の文学など時代遅れのもににしてしまうかも知れない。プーシキンはしばし感傷に浸りそれから就寝の準備に入った。

 だがそれから何日も経っていないのにゴーゴリがまたやってきたのだった。ゴーゴリは何故か早朝にプーシキンの枕元に現れて彼を揺さぶり起こした。そして彼が起きると土下座して頼み込んだ。

「我が神プーシキンよ!先日題材を頂いた『外套』ですが世間で大変な評判になりましてあちこちから原稿依頼が来てるんです!ですが私のような凡才には外套に匹敵するような見事な題材が思いつかないのです!プーシキンよ。もう一度私に題材を授けて下さい!出ないと私は死んでしまう!」

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