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徳川家康

 三河の国に生まれた家康は今川義元の人質になった。それからしばらくは人質生活を送っていたが、桶狭間で義元が横死して独立する。そして義元を討った信長と同盟を結んだ。この清洲同盟のおかげで家康は領土を広げることができたが、そんな家康に最大のピンチが訪れた。武田信玄が攻めてきたのである。信玄は半端じゃなくすごかった。凄すぎて家康軍は蹴散らされ、家康自身もビビってうんこを漏らしてしまった。信玄は家康を捉えようと家康の後を追った。後を追うのは簡単であった。家康が逃げるときに漏らしたうんこの後を追っていけばよかったのである。しかし信玄は突然追撃をやめた。信玄は家康のうんこのあまりの臭さに、息が詰まると愚痴を漏らしてさっさと帰ってしまった。こうして九死に一生を得た家康は後に天下をとるのだが、同時にうんこ漏らしの汚名も着せられることになった。家康はそれがよほど悔しかったのか、うんこを漏らしたのは自分ではない、影武者だ。と死ぬまでずっと吹聴してどうにか汚名を晴らそうとしたが、しかし家康の願いとは逆に後の時代にうんこを漏らしたと吹聴していた影武者は、うんこ漏らしの家康の汚名をかぶったイケメンとなり、家康はうんこを漏らしたくせに赤の他人に自分のうんこ漏らしの罪を着せたうんこ野郎と呼ばれることになったのだった。



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