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私は自分のためにnoteを書きつづける

周りの意見とか気にしない
「Going My Wayタイプ」
だと思われる私。

気にしてないワケじゃなくて
空気が読めないから
そうなっちゃってるだけ。

本当は
人の目を気にして
自分を良く見せようとしたり
他の人に好かれようとして
ずっと生きてきた。

「素のままの自分」では
ダメだと思っていた。

最近になってやっと
ありのままの自分を
受け入れられるように
なってきたの。

そしてちょっとずつ
自分らしく
生きていけるように
なってきた。

noteで発信するコトも
そんな生き方を
サポートしてくれている。

自分の心に正直になって
記事を書くと
今まで気づかなかったコトや
見えなかったコトがわかる。

「なんで私
こんなコトに
こだわってるんだろう。」
「ホントは私
どうしたいんだろう。」
「私が今できるコトは
なんだろう。」

なんていうコトに気づける。

いつも言ってるけど
必要な答えは
すでに自分の中にあるんだよね。

グチャグチャになってた思考を
書くコトで外に出すと
そんな答えに気づける。

他の人に自分のコトを
わかってもらったり
賞賛や共感を得るためじゃなくて

自分をありのままに表現したり
自分を理解したり
学びを深めるために
私はnoteを書いている。

これはずっと
自分に誓ってきたコト。

でもね〜
実は今でもまだブレッブレ。

ぷっ。

調子が悪いと
スキやフォローの数とかも
気になったりもする。

ウケを狙いすぎる時もある。

「noteの皆さんよ、
お願いだから
スキとかフォロワーの数字を
消してくださいな〜」

なんて願ってる時もある。

「他の人の目を
全く気にしないで
自分のためにだけ書く」

っていうところには
まだほど遠いのさ。

自分からも
スキやフォローや
コメントのお返しをしないと
数字って減っていくんだね。

自分のスキやフォロワーを
稼ぐための
「義理スキ」とか「義理フォロー」
をやめてわかったよ。

フォロワーとかスキが
がっぽり減っていくのを見て
ちょっと焦って
スキのお返しに回ったり

「数字は私の目標じゃない!」
って自分に言い聞かせて
そのままを受け入れたり

その日によって
私のとる行動は
クルクル変わっている。

私だけじゃなくて
人間ってみんな
成長していきたいし

数字みたいな
目に見える結果に
こだわっちゃうんだよね。

そして
社会的な動物だから
他の人と繋がったり
認められたいっていう欲求もある。

だからそういう本能に反して
自分が忘れられていったり
取り残されていくのを
ただ受け入れるって
結構難しい。

そういう本能的な欲求を
「FOMO」って呼んでるよね。

「Fear of Missing Out」の略で
「取り残される不安・恐怖」の意味で
2010年代に世界中でバズった言葉。

昔から人にはFOMOが
あったはずだけど
SNSによって
そんな不安を感じる機会が
増えたんだろうね。

SNSって
「ホントの自分」じゃなくて
ちょっと「飾った自分」
見せちゃいやすいのかも。

インスタみたいに
写真がついてるSNSは
もっとその傾向が強いと思う。

アメリカでは
インスタは「若者に悪影響」
って政府やメディアでも
話題になってるもん。

そういえば今日
Facebookとインスタと
WhatsAPPが世界中で
長時間故障してたんだってね。

かなりのカオス状態に
なったらしいよ。

私は知らんかったよ。

「自分はFOMOあるのかな?」
なんてFOMO度をチェックする
良いチャンスになったかもね。

色々書いてきて
私の答えが再確認できたわ。

やっぱり私は
葛藤をしながらも
自分のために
noteを書き続けたい。


外側にばかり
意識が向いてしまう私にとって
こうやって
自分のために発信を続けるのが
1番必要なコトだと思うから。

私はFOMOじゃなくて
JOMO(Joy of Missing Out)
感じながら
自分の道を歩いていくよ。

この写真のお猿さんのように
突き抜けちゃってさ〜。

画像1

画像2


「素のまま」って感じが
ステキだ〜!

名前はナルト君だってさ〜。

見てるだけでも
表情豊かでイイ写真だなぁ
って思ってたけど

これらがお猿さんが
自撮りした写真だった
っていう裏話を聞いて
ビックリ!(引用)

おったまげて
2番目の写真のナルト君と
おんなじ表情になってる私!

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