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「自分らしい生き方」とか考えてたら、突然死にたくなった話

最初にひとつことわっておくと、現状私が「死にたい」と思っているわけではありませんし、今から書く話は「生きたくても何かしらの理由があって長く生きることが難しい人」を傷つけるために書く話ではありません。あくまで、全ては私の頭の中で起こった、個人的な話としてご理解いただければ幸いです。


・色々な生き方がある上で私はこれからどうやって生きていこうか

きっかけはひょんなことでした。twitterをぼんやり眺めていたら、みんなフォロワーを増やしたり、仕事したり、お金稼いだり、恋愛したり、コミュニティつくったり、とにかく「頑張っている」人が目について、この人たちはみんな何を目的にこんなに頑張っているのだろうという純粋な疑問が頭に浮かびました。こうやって日々私が目にする「他人」は驚くほど多種多様な生き方をしていて、それぞれやりたいことや夢を持っていたり、ちょっと憂鬱な現実にため息をついたりしながら、それでも頑張って毎日を生きていて。SNSで輝いて見えた彼らは、私の目には「大義」を持っていたり、夢を追いかけていて、「生きること」にとても精力的でした。どうしてか、それが突然理解できなくなったんです。


・好奇心だけで突き進んでいた時代が終わった

というのも私は「頑張る」ということがあまり生きるモチベーションになってこなかったからです。頑張るのは手段でしかなくて、その先にあるのは「満たしたい好奇心」だったのです。「世界一周してみたいからお金稼ぐために頑張る」とか「憧れの大学に進学したらどういう生活が送れるのか経験してみたいから勉強頑張る」みたいな。大学を卒業して「フリーランス」という生き方を選んでみたのも、「会社に所属してる人の話は親とかから聞けるから、それ以外の生き方してみたらどうなるか気になるからやってみよ」という好奇心だったんです、根本的には。そうやって私を「生きること」という当たり前の条件の上に置いてくれていた「好奇心」がある程度落ち着いてきてしまったのです。皮肉にも、フリーランスとしてある程度ちゃんと生活ができるようになって、今まで好奇心の対象だったことを一通り経験しつくしてしまったのです。もちろん上を見ればめちゃくちゃなお金持ちや、超人気な有名人、インフルエンサー、スーパーフリーランス、目指したら面白そうな生き方とか、経験してみたい遊び、行ってみたい場所はたくさんありましたが、なんだか、どれにも今までほど興味が持てなくなっていました。今まで生きることを当たり前にしていた「好奇心」ってやつがどこかへふらっと旅に出てしまったせいで、生きることに対する執着心も一緒に消えてしまいました。常に「あ、死にたい」って思う日が何日か続いて、なんだか私、おかしいぞ?と気がつきました。


・あと100年もすれば自分も、身の回りにいる大切な人たちも全員死ぬ。どうせ死ぬ。

そこで至った思考が、どうせ100年たったらみんな死ぬのに、一体何を目指して何を頑張ればいいの?ということです。だって、死んだら何も残らないじゃないですか、誰か大切な人の記憶には残っていくのかもしれないけれど、その記憶を持った誰かだってそう長くないうちにみんな死ぬ。私の予想では残念ながら、私の寿命が尽きるまでに「永久延命装置」の開発は間に合わないと思います。頑張ってお金をたくさん稼いでも、頑張って人気者になっても、何かをたくさん集めても、最終的に、死ぬ。

そうやって考えていたら、「生きること」がものすごく無意味なことに思えてきてしまって。さらに「頑張ること」に全く価値を見出せなくなってしまって、まあこんなによく落ち込めるね?というくらい一人で病みました。病みすぎてもう飽きました。


・じゃあ何を頑張るべきなのか

「どうして生きるのか?」なんて考えたのは今に始まったことではなく、今までは、「ま、答えなんて出ないし、それに悩むくらいなら、今を全力で楽しんで生きようぜ!」っていう結論になったから、好奇心のままに動いてきたのが、25歳までの私。大学を休学し、バックパック背負って世界一周し、30ヶ国くらい周って「うん、なんかこんな感じか」とある程度好奇心が満たされて帰国。「就活めんどくさい」とか言いながら勢いで独立して「フリーランス」として3年ほど奮闘した結果「うん、なんかこんな感じか」と納得して、まあ人並みな生活ができるようになって満足。

好奇心が満たされていって、勢いがおさまった瞬間、私の情熱みたいなものが消えてしまいました。「好奇心」というものの源泉は「満たされていない」というある程度の不足感だったらしいのです。知りたい、見たい、食べたい、経験したい、という思い。


・「遺していく」ということ

そんなことを思いながら「どうせ死ぬのに何で頑張ってるんですか?」と周りに聞いて回っていたら(相当変な人だったと今更ながら反省しています)いつもお世話になっている人生の先輩から「次に生きて行く人たちに、遺すためじゃない?」と言われて衝撃を受けました。

その言葉の直後に私の脳裏に浮かんだのは、世界一周していて気がついた、先人の旅人達がわたしたちに残してくれたもの。どの国へ行っても、「日本人だ」と言えば親切にされ、「日本人だ」といえば嬉しそうに「昔ここへ来た日本人がね」と、思い出話が始まる。私にとっては他人でしかない「日本人の旅人」が残してくれた目に見えないもののおかげで、世界一周していたときに何度も、救われてきました。


・個人にできることなんてとっても小さいかもしれない。

一人の力がとっても弱くて小さくて、頼りないことなんてフリーランスとして生きてきて何度も味わいました。一人だけで見える世界はとっても狭かったし、それが悔しかった。だから会社や国という組織は本当にすごいなということも今は感じています。でも、ひとりで世界を変えることはできなくても、自分にとって大切な人たちを笑顔にすることはそんなに難しくないとも思っています。そうしてそれはきっと未来に繋がって行く。とも。


・だから私は残すために生きて生きます。

こうやって全力で楽しく生きた面白いおばあちゃんがいたんだよって。あ、全力でまわりを笑顔にすることができた愉快な「やまぐちなつみ」が私の友達だったんだよとかも言われたい。それから欲を言えば、全然私の知らない人のためにも未来を体当たりで照らしていくような存在になれたら最高。その手段のひとつが文章であり、今わたしがやっている仕事であり、これまでとこれからの生き方になりそうだな、と今は感じています。


さて、ここまでなんか深そうで大して深くもないかもしれないことをつらつら書いてきたのですが最終的に言いたかったことはひとつだけです。


「年明けから東京でお店を出します!応援してね!」

次の好奇心の対象が無事見つかりました。残せるものをつくっていきます。ジャグアタトゥーサロンの拠点を名古屋と東京に増やすことにしました。いつも見守ってくださって、応援してくださって、本当にありがとうございます。たまに凹んだり、悔しくなったり、怒ったり泣いたり笑ったりしながら、何かを残せるような人生にすべく今日も頑張ります。

サポートありがとうございます!ありがたく、仕事しながらポップコーンとチョコレート食べます。いっぱい貯まったら、本出します。