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小説|8番ゲートのファン達|一回「プロ野球のある街、ライトスタンドの君」 #4

(前回まではこちら)

一回|
プロ野球のある街、ライトスタンドの君 #4



9月半ば現在のベイスターズは4位。
ポストシーズンであるクライマックスシリーズ(CS)に出場できる3位以上に入れるかは微妙な位置。もし3位で滑り込んだとしても、CS開催は上位チームの本拠地で行うためハマスタで行う可能性は低い。
このままいけば9月3週目の週末が今シーズンのハマスタの最後だ。

僕は来年はまだ3年生なので観戦を考慮したスケジュールは立てられる。しかし、彼女の生活環境が変われば来年も会える保証なんてない。

3週目の土曜日はハマスタ最終戦のためチケット争奪戦に敗れたが、前日の金曜日が取れた。
しかも彼女の斜め前の席だ!

********

野球観戦も今年はこれで最後か。
僕にとって最後のハマスタ。少し感慨深げな気持ちで8ゲートを眺める。すっかり夜の気温も下がり、ユニフォームの上から上着を羽織っている人も多い。

僕のユニフォームはというと、8月に観客全員にユニフォームを配布する「YOKOHAMAスターナイト」というイベントでもらったものを着るようになった。
ミラーボールやスパンコールみたいなキラキラしたプリントのデザイン。販売されているレプリカユニフォームに比べれば生地は薄いがこれで充分。

そして、いつも通りスタメン発表が終わる頃に彼女はいつもの31通路から階段を上がってくる。
袖が長めの白いニットに下はジーンズの野球観戦らしいカジュアルな格好。
僕の斜め後ろの席に着くと、その上からいつもの背番号8を着ようとしているのがわかる。
しかし、神里はすでにファームに落ちているので一軍にはいない。

この日は中日戦。
引退を表明したベイスターズの加賀が最後のマウンドとして先発へ。
最初のバッター平田を三振に抑えると、その一打席だけで大きな拍手に包まれながらマウンドを降りる。
秋はプロ野球にとってこうした別れの季節でもある。

そして僕にとっての事件は起こったーー。

三回裏のベイスターズの攻撃が終わった時、手を上げていたビールの売り子がこっちの方を見て止まり、そのまま階段を登ってきた。
彼女が手を挙げていた。今まで彼女を見た試合でも1杯は必ず飲んでいた。

彼女の席は通路側から数えて4番目。僕の席は1列前の通路側から2番目。
ビールがなみなみと注がれたカップを持った売り子が手を伸ばし、彼女も立ち上がって手を伸ばしてカップを受け取ると、ちょうど僕の頭の上で受け渡しが行われる格好だ。

次の瞬間ーー
「あ!」彼女がバランスを崩した。咄嗟に後ろを振り向く僕。その一瞬の出来事がまるでスローモーションのようだった。
カップから勢いよくこぼれた琥珀色の液体が、まるで宮﨑のホームランのように光り輝く放物線を描きながら僕の首元とユニフォームに降り注いだ。喉を通らず肌に直接触れる初秋のビールは、つ、冷たい・・・。


ーー「本当にすみません!」
と繰り返しながらバッグからハンドタオルを出して僕のユニフォームを拭こうとする彼女。
「大丈夫です、本当に大丈夫!」
そう言いながらその手を制し、僕はグラウンドの方に向き直った。

少しの間ーー
そして自分でも驚くほど自然に後ろを振り返って言った。
「神里、いなくて残念ですね」
「え?あ、そうなんです、この前、落ちちゃって・・・」
「代打ウィーランドの日もいたんですが、タイムリー打ってましたね」
「そうなんです!私も見てたんです!」
知ってるよ。それに、僕が6月に隣の席でハイタッチした相手だということだって覚えているわけないか。

その後、五回の裏にも筒香がホームランを放ち、彼女とハイタッチした。
結局試合は9-1と大勝。僕にとっては勝ち納めとなった。
それと同時に、彼女と会える最後の試合もこれで終わった。

ーーヒーローインタビューを見ていると肩をトントンと叩かれた。
「あの、これあげます!」
目の前に手を差し伸べる彼女の姿。その手には51のピンバッジがあった。
「お詫びの代わりに、もしよかったら!」
と言いながら少しはにかんだ表情の彼女。
「あ、じゃあもらおうかな、ありがとう!」

ピンバッジを持った彼女の指先が僕の手のひらに触れる。秋の夜、ちょっと冷えた指先だが、僕の心にはふわっと温もりを覚えた。

僕は言った。
「明日も来るんですか?」
「明日は内野です。いつもここってシーズンシートを譲ってもらってるので」
ーーそうだったのか!
「自分は明日のチケット取れなかったので今日が最後なんです」
「そうなんですね、じゃあまた来年お会いしましょうね!」
そう言って、彼女は階段を降りていった。

迷惑をかけた相手だし社交辞令でそのくらいのことは言う。それに、もらった51のピンバッジはガチャガチャのもので、彼女にとっては推しじゃなかったから宮﨑のタオルを掲げていた僕にくれただけだ。

でも、僕にとってはそれで充分だった。
これで自分を覚えてくれたかな?

8ゲートを出るとユニフォームを着たまま2人で歩く彼女の後ろ姿が見えた。思わず目で追った。
関内駅の方面ではなく噴水の横を抜けて花壇の方にまっすぐ歩いていく。つまり日本大通り駅の方だ。そして、そのまま人混みに消えていった。

後ろを振り返って上を向き、まだ照明灯の明るいハマスタを眺める。
ライトスタンドから二次会と称した応援団の演奏が聞こえ、まだ試合をやっているかのような熱気を感じる。

ありがとうハマスタ。
心の中でそう呟き、僕も関内駅に向かう人混みの中へと消えた。


もし来年も会えたら。
もし自分を覚えてくれていたら。
もしもっと話せるようになったら。

そうなったらきっと野球の話になる。
もっと野球を、ベイスターズを勉強しないといけない。
僕の冬休みの課題だ。


来年は春からハマスタに通うだろう。
何度でも味わいたい試合の興奮と、ライトスタンドの君への仄かな想いと。


あの球場には、いろんな胸の高鳴りが僕を待っている。


一回「プロ野球のある街、ライトスタンドの君」完
 Chapter #1, #2, #3, #4

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