見出し画像

小説|8番ゲートのファン達|三回「琥珀色の沼の住人」 #4

(前回まではこちら)

三回|琥珀色の沼の住人 #4


最後にやることは決まっている。
八回裏の販売終了とともにミズキのビール樽に残っているビールを全部買う。

アイドル現場の「鍵閉め」ならぬ売り子の「樽閉め」だ。ミズキにも、最後に俺のところへ来るように言ってある。

俺は31通路から席に戻ると仲間のひとりが俺に言った。
「向こうにすごいのいたぞ」
奴が指さした方のはライトスタンドのもう一つの通路である30通路の方、そこに俺のようにカップを大量に積み上げてる男がいたというのだ。

俺はすぐにそっちの方へ行った。ライトスタンドの売り子沼の強者は何人かいて、そのうちの一人だろう。
「お、きたきた、そっちは景気どうよ?」
この男は「キタムラ」と呼ばれている40代半ばくらいのおっさん。一応顔見知りではある。
キタムラの席の横にもカップが積み重なってる。ご丁寧に10個ずつの山で分けて置いてあり、その数は5つ見える。
このキタムラという男はキャバクラの常連でもあるらしく、それに比べればビールに費やす金なんてたかが知れている。

散々吐いて空っぽになった俺の胃袋に火が点いた。
席に戻り、俺もカップを10個ずつの山にして数えてみると4つの山と2個。ラストスパートに賭ける!

試合は八回表、マウンドにはパットンが上がる。
席に戻る途中でベイスターズ・ラガーのマリナに声をかけてたのですぐに来てくれて5杯買う。
そうしているうちにパットンは打者3人に対し、わずか6球でサクサクと3アウトをとってしまい、ものの数分で終わってしまった。
いいけど早すぎるぞ!

いよいよ八回裏。試合は九回までだが俺にとってはこれが最終回。
勝負はこの回しかない。

俺の目はまたも必死にミズキを探す。2ブロック隣の通路にいた。しかし他の客にとっても半額で買えるラスト。1人終わるたびに別の客に声をかけられなかなかこっちに来ない。
この回先頭の7番荒波は空振り三振で1アウト。くっそー、誰が出塁して時間を稼げよ。
繋ぎとして別の売り子が来るたびに1杯ずつ買っていく。

ようやくミズキが隣の通路まで来た。俺の方を見て「いくから待っててね」という合図を送ってくる。
続く8番関根もファーストゴロに倒れて2アウト。次は倉本だ。見せろ男意気!
倉本への1球1球がとても長く感じられる。ミズキはもうすぐ、もうすぐ・・・。
そして倉本がショートゴロでアウトになったと同時に息を弾ませたミズキが俺の席まできた。
「ごめんねお待たせ〜〜これで最後だね!」
「よっしゃ、全部ちょうだい!」

「樽閉め」は達成。問題は杯数だ。
1杯1杯と注がれていくたびに俺の頭の中ではカップが積み重なっていく様子が浮かぶ。
「あ、これで最後かも〜」
そうミズキが言うと、注ぎ口から注がれるビールの勢いが弱くなり、白い泡がでて打ち止めとなった。

最後は8杯でフィニッシュ。1つのビール樽から20杯は取れると聞くので、やはり他の客に足を取られたのがロスになった。
「本当にありがとう!もかふぃさんのおかげで私の1日の記録更新しちゃった!」
すると、まわりの席から拍手が起こり、ミズキは手を振って階段を降りていった。

とはいえさすがに俺も仲間ももう全部は飲めないので、「もかふぃ」のフォロワーの何人かに持っていった。

試合の方は最後はヤスアキが3人でピシャリと締めてゲームセット。
宮﨑のグランドスラムもあり6-2で快勝した。

そしてフォロワーに渡したカップが俺に戻されてくる。最後の集計だ。
結果は5つの山と5個。つまり55個だ。
キタムラが七回の時点で50個だったので、果たしてーー。

俺はキタムラのところへ行った。
「お〜お疲れさん!」
キタムラの側には変わらず5つの山、そして半端の5個ーー待てよ、まさかの同数!?

いや、よく見るとキタムラの座席のカップホルダーにも1つ入っていた。
それをキタムラは持つと、俺の目の前でゆっくりと気持ちよさそうに飲み干したのだった。

俺は55杯、キタムラは56杯。もしかしたら俺の知らないカップを回収しなかった分が他にもあったかも知れない。
ベイスターズは勝ったが俺は負けた気分になった。ビール王になれなかった。

ベイスターズの勝利で沸くスタンド。俺はぐるりと一周見渡した。もしかしたら内野席にキタムラ以上の猛者がいる可能性だってある。
ここなんて外野席のほんの一角。
俺のいる世界なんて狭いもんだ。

ふとRihoのいる席に視線が動いた。
もう彼女の姿はそこになかった。
結局、一緒にいた男との関係も何もわからずじまい。しかし、アイドルを卒業したRihoが俺のようなオタからも解放され一般人の大人として元気な様子を知ることができただけでも良かった。

この日、俺はそこからの記憶が無いーー。

*********

改めて、俺にとって売り子は最高だ。

ベイスターズのファンの中には、チアのdianaの熱烈なファンだっている。
売り子を写真で撮るのは基本NGだが、diana厨なんてアイドルのイベントでも見るようなキャノン砲の超望遠レンズを構えてパシャパシャと撮るのだ。
dianaに興味もなくはないが、俺は素人でかつ接客要素のある売り子が好きだ。
スタンド席を所狭しと何時間も動き回り、呼ばれれば笑顔で対応しビールを注いでくれる彼女たちの流す汗は、尊い。

そんな中、ミズキとはTwitterのDMで繋がった。
ミズキから買ったビールは今年だけで200杯強。彼女にしてみれば自分の大事な太客だ。
とはいえ社交辞令に毛の生えた程度の当たり障りないメッセージのやり取りが続く。
ミズキにしてみれば自分の大事なお客様だ。それに俺から何らかのアプローチがあればたちまち売り子やファンの間でもその噂が広まる。
シーズンが終わった時に考えるとしよう。彼女のためにプライベートで使う金はいくらでもある。

ベイスターズは2017年のペナントレースをDeNAとなって最高位の2位で終え、これから初めて本拠地ハマスタでクライマックスシリーズを迎える。
今までペナントレースが終わればハマスタでの試合も終わりだったが、今年は俺にとっても売り子にとっても「延長戦」だ。

クライマックスシリーズは10月の下旬。ナイターにもなれば気温はグッと下がり、屋外でビールが売れるような季節ではない。
しかし、彼女たちはハマスタで試合がある限り、試合開始30分前になればいつものようにビール樽を背負ってスタンド席に散らばっていく。

彼女たちが注ぐビールで観客は笑顔になる。
あの琥珀色の輝きは、彼女たちの青春そのものの輝きだ。

だから俺は今日も8ゲートに足を運ぶ。


三回「琥珀色の沼の住人」完
Chapter #1, #2, #3, #4



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?