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読者の方へ


昨年の秋。私のnoteを読んでくれるのは、片手で数えられる程度の人だけでした。Twitterで拡散しても、コメントやいいねもほとんど付かなかった。文章で発信をする人にとって、最初の難関です。

どれほど読まれているかも分からず、反響がないことに耐えながら、コツコツ発信を続ける期間。

文章を書く人にとって、耐えなければならないこの期間は、必ずあります。

しかし私には、当初から毎回記事を読んで、コメントを下さる方がいました。熱量の多い暑苦しいものも、息抜きの暇つぶしのような、自己満足な記事も。全部読んでくれる。そして、また読みたいと言ってくれました。

無名で修行中の物書きにとって、誰かから反応をもらうということは、本当に心の支えになるものです。そのたったひとりの読者の方に向けて書くつもりで、ここまで続けてきたような気がします。

正直、私の文章はまだまだです。読み返すたびに、直したくなるところがたくさんあって、本物の物書きになるのはまだまだ先だなって思い知らされます。

でも、文章で自分の感性を表現することで、私の内面は大きく変わりました。コンプレックスを解き解し、自分を以前より少し好きになれたような気がしているのです。

noteを書き始める前までは、本当に自分に自信がなくて、自分のことが嫌いでした。話すのも下手で、考えを示すのがとても苦手。でも、文章を書くことは私にとって唯一の表現方法であり、自分そのものだったのです。

仕事では文章をたくさん書いてきました。でも、私の個人的な思いやエピソードを書いて、直接コメントのやりとりをする。そんな経験は、それまで全くありませんでした。

自分の心をさらけ出すのはとても勇気のいることだったし、noteを公開したあとは毎回心臓がドキドキして、正直苦しいとさえ感じる。頭の中に湧いて出る不安を、考えないように、見ないように意識して、続けてきました。

それはひとえに、読者の方が「あなたの文章が好きだ」と言ってくれたから。

私はいつか、自分の感性を生かして仕事をしてみたいと思っています。いつかは「エッセイストや作家として、対価をいただけるようになったらな。」と思っています。恥ずかしいけど、本当はそう思っています。

とても難しい道、狭き門であることは言うまでもありません。でも、この年になってそんな夢を持てたのは、noteを書き始めてからのこと。自分の心を表現する怖さを克服し、大きく前進することができました。私のnoteを読んでくださり、読んでよかったと言ってくださる方が増え、私も読者の方も、心が温まっていく。

noteを書き続けていられるのは、誰にも読んでもらえなかった頃に、いつも温かいコメントをくれる人がいたからです。

“ほんの少しの大切な読者の為に生きる”ような、そんな物書きでいたいです。


本当にありがとう。

いつか面と向かって、言える日がきたらいいな。


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