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いい加減、目に見えるものだけで判断してることに気付きなよ

無機質に思われるタイトルかも知れないが、私はこの無機質な文字では表現できない類の「憤り」を感じている。

「この人は、鬱病だから優しくしないと」
「自殺は、精神病の人がするものだ」

なんて浅はかなんだろう。

病名なんて、言葉なんて、"プレゼント"で言う箱だけだ。カタチがあるだけだ。ハナから、中身なんてない。

    

自分の中だけで
「○○だから、○○しないと。」
と自分で自分に固定概念をつけて、言動の判断をしていることが、この"ヒトの意識"が、この世の理不尽のすべての元凶なのに。

    

今日の昼すぎに流れたニュースは衝撃的だった。

三浦春馬の自殺のニュースのコメントで、
「あんなに若くて実績のある俳優さんが...信じられない。」
「羨ましい人生に思えましたが、人の辛さはその人にしかわからないですね、」


コメントを見ていると、
「如何に人は自分の思い込みで人を見ているか」に気づかせてくれるニュースでもあったのではないかと思う。

   
子供の頃からよく知っていた俳優さんだっただけに、ショックだった。自分のアイデンティティの一部が少しすり減った喪失感があった。

ここで書く私の物言いはとても冷たく見えていると思うが、私も喪失感を抱いた。

ご冥福をお祈りいたします。

   

   

人が自殺を図ることを決めるのは、自分以外の何者でもなく、自分が決めたものでしかない。

もし、生きることが苦しくなることがあったら、冒頭でも書いたように、"自分自身への制限"を見直していかなければいけない。

最近の私は、人に対して
『何かにつけて自分に制限をかけているな』と思うと距離を取ってしまう。

人は自分に制限をかけている方がラクだから、自分がそうならないよう、なるべくそういう人は周りに置きたくないと感じる。

ここで私が、
自分に負けて私に制限をかけてしまうと、自分がなりたい人間になれないからだ。

なりたい人間になれなければ、変えたい世界は変わらないからだ。

   

生きている意味を問うて、意味などなかったときの虚無感の中にいた頃の自分を、再び呼び寄せたくなかった。

そんな世界はもう御免だった。
だから、その元凶である"自分の意識"に気をつけている。

    

   

自殺するのに、特別に必要なものはない。当たり前かもしれないが、誰しも自殺し得る可能性がある。

自殺を防ぐ唯一の方法は、弱みを何らかのカタチで自己表現することだ。

最も痛みを感じる"弱み"を自己表現ができない状態が先の見えないまま続くと、ヒトは簡単に死を選んでしまうのかもしれない。

自殺未遂をするような姉がいた妹の私が言うのだから、少し信憑性はあるのではないだろうか。

   

このニュースを機に、"目に見えないもの"に目を向けようとする社会へ前進することを祈る。

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