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過去に囚われるなと簡単に言うな

「未だ、過去に囚われている。」
所詮、それが事実だ。

なんでも変化が始まるのはきっと、現状を正確に把握できたときだ。

   

私は、ずっと過去に囚われてはいけないと考えて、"過去に囚われてる自分"を自分の中でもみ消してきた。

だけど、過去に囚われることから抜け出せない。なぜなら、過去に囚われて当たり前だからだ。

「過去に囚われ、過去を振り返り、過去の事象を整理して、目の前の最悪な出来事の改善に役立たせる。」
今まで、そうやって、自分を守ってきたんだった。

過去に囚われて何が悪い。過去に囚われるのは、私の自己防衛のやり方だ。因果関係を見つけて、客観的事実から現状を改善する。これが、自分が信じてきたやり方だった。

   

   

今でも、目の前のことを何でも問題解決しようとするのは、過去の出来事の副産物だ。

答えがないと不安なのも、答えを出して自分を安心させてきたからだ。

自分の中で何でも結論付けないと息ができないのは、何より結論が自分を支えてきたからだ。

感じなくなったのも、負の感情を感じすぎてカラダとココロが疲れたからだ。

   

   

「過去に囚われている」という言い方は語弊がある。過去に囚われているのではなく、"自己防衛のやり方をなかなか変えられないだけ"だ。

自己防衛のやり方だって、世の中が変われば、自ずと変わってくる。

自己防衛の話でいうと、きっと恋愛もそうだ。

最近は、浮気やら不倫やらメディアは報じているが、これだけ現代が取り上げるのも、過去の自己防衛では「浮気や不倫を見つけること」つまりは「ルールに反した所を突くこと」が秩序を保つのに成功していたからだろう。一昔前ではスタンダードな自己防衛として適切だったのだろう。

だが、自己防衛のやり方をなかなか変えられないがために、いつまでも不倫や浮気のニュースを取り上げている。

しかしながら、現代においてそれらは自己防衛の役割を果たすことは少ない。
なぜなら、そのルール自体を更新しなければならないからだ。ルールから逸脱した人間を袋叩きにするのではなく、現代は「ルールに逸脱しようが、当たり前の違いを知り、人間として分かり合うこと」が自己防衛だと私は思う。

浮気や不倫の話で言うと、1on1の恋愛ないし性の対象が1on1だけを認めるのではなく、複数の対象を求めるその人まるごとの理解が必要だろうと私は思う。そして、当然に違いがあるのだから、自分のルールを相手に強要すること自体が、現代においてはおかしいことに気づかなければならない。

「違いを知る」とは、そういうことだと思う。

完全にわかることは難しくとも、理解しようと耳を傾けることはできる。
それすらもできなければ、より良い未来なんて、訪れないと感じる。

   

   

だから、過去に囚われても、それは大したことじゃない。過去のやり方から新しいやり方に変えようとしている最中なのだから、前のやり方が脳裏をチラつくのは当たり前なんだ。

大事なのは、「社会に逸脱した感覚だった過去を嘆くこと」ではなく「ルールに逸脱しようが、当たり前の違いを知り、人間として分かり合うこと」だ。

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