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beyond/beside

 ある日、日本にいるわたしにアメリカから最新の情報が届く。
 台湾からはマスク不足の折に、よりよいマスクの作り方が発信された。
 日本がワクチンを台湾に寄贈したら、台湾からはマスクが届いた。
 イタリアの友は蔓延した状況を伝えることで世界に危機を知らせ、イギリスとフランスからは讃え合う言葉が。
 

 別の場面。Deep Sea Diving Clubのインスタライブを見ていると、世界中の国からコメントがくる。世界の白地図を用意して塗り分けていったら、一回で相当カラフルになりそうだ。
 みなめいめいの母国語で書き込むから、コメントを追うのがとても忙しい。目が回りそうになる。やりとりを見ていても、捉え方やものの見方は色々あるかもしれないけれど、音楽や感情に国境なんてないなと思う。
 
 各国の人たちと、時差も距離もこえてリアルタイムでぺちゃくちゃ喋る機会などそうそうない。
 日本とコロンビアとホンジュラスと台湾と韓国とモンゴルとメキシコとチリとアルゼンチン・・・・・・たくさんの国から、同じ日本の音楽を聴いてコメントをしている。表情を見て、読みとろうとしている。どちらがどれほど良い(または悪い)などとは言い合わないで、ありのまま自然体で仲良くしている。
 「無事に着きましたか?」「よい一日を」「ハーイ、そちらは何時?」などと書き込んでいるのを読むと、ああ繋がってるな、と思うのだ。

 そういう響きあい、とてもいい。しかも彼ら、まだメジャーデビューもしていないのに。時代は変わった。いや変わったというよりも、見えていなかったものが見えるようになってきたのだろう。
 

 また別の視点。人々がなかなか外出できなくなったその時、ルーブルをはじめ世界の名だたる美術館や博物館がコレクションを広くデジタル公開していた。

 家でも、病院でも、どこにいても遠くの至宝を見ることが出来る。さらには、作品を元にした塗り絵まで公開されていた。
 分け隔てなく良きものを──美を愛し、教育を尊ぶ高い精神性は、それぞれ羽が生えたように自由に世界を駆け、どこまでも包み込もうとしていたのだ。
 

 わたしはこの日本の中にいる、でも実は世界中が繋がっている。優しさや思いやり、音楽や美術、様々な気持ちで遠くても繋がっている。
 世界を覆う感染症禍でもそれらを見いだせた人ならば、きっと思いを強くしていける。もしリアルのつながりがなくても、TwitterやInstagramで見つけることができるだろう。

 何故ならば、それらは世界の共通語だから。表記やイントネーションを超えて、遥かに響きあうものなのだから。

 


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なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」