見出し画像

正論の向こう岸にあるもの

わかっていても、思い通りにならないことはある。
理想と現実、頭と心、理性と欲求が噛み合わず、引き裂かれるような日々を送ってはいませんか。

今から綴る文章は、わたしの後悔の塊です。

まだ若い頃、インターネット上で知り合った同年代の女性がいました。
ここでは、仮にアリスさんとします。

アリスさんは、ずっと男性に振り回されていました。浮気性で、まともに定職に就かず、避妊も全くしてくれない彼氏。生活費はアリスさんが稼いでいました。夜のお仕事でした。その稼ぎから小遣いを渡せば、他の女性のもとへ行ってしまう。そしてふらりと帰ってくると。
新しい命が宿っては、その命をなかったことにする。捨てられたくないから、アリスさんは度々そう言っていました。

アリスさんが未来永劫その彼氏から大切に扱われないことは、誰からもどのアングルから見ても、火を見るより明らかでした。周りの皆さんも、それはそれは海のように深く心配していました。

わたしは言いました。もう別れなさいと。
その男はあなたを大切になどしてはくれない、狡猾に搾取されているだけなのだと。他に人生の軸を見つけ、安心出来る場所をつくりなさい。あなたにもきっと出来る。
また、命を絶やし続けることは、心も身体も深く傷つけてしまう。それは悲劇しか生まない、共依存は危険だとも。やさしく、時に厳しく、そう伝え励ましました。

わたしの言葉は、一般的に正論といわれる範疇のものだと思います。
そして、どうなったでしょうか。

アリスさんは酒と薬に溺れました。命こそ落とさなかったものの、彼女の孤独は決してかわりませんでした。いやむしろ、ますます彼氏に傾倒していきました。そして、心配していたわたしに対して、非常に攻撃的になっていきました。そのやりとりの中で、わたしは彼女の壮絶な生き様をより深く知ることになります。

アリスさんは、肉親の愛情に恵まれない人でした。
宗教に熱心な母親からは虐待を受け、父親は知らず、ずっと家庭のあたたかさを知らずにいました。母親から逃げるために勉学を早々に諦め、若くして家を出て生き抜いてきたそうです。母親から逃げているため、どうしても大人を頼ることが出来ない。学歴のない彼女が何とか自分で考えて絞り出した答えが、夜のお仕事でした。
そんな中で出会い縋ったのが、「側にいてくれるけれど大切になどしてはくれない男」だった。たとえるならば、すぐに千切れる藁です。
しかしアリスさんにとっては、それでも大事な藁だったのです。

アリスさんがよしんばその彼氏と別れたとしても、心の穴が綺麗に埋まり塞がるわけではない。それだけでは、根本的には何も解決などしないのです。
道義的にどうあれ、心から愛していると思っている相手を非難されて、より頑なになってしまうこともあります。
思えば、ロミオとジュリエット効果が、良くない働きをしてしまったのかも知れません。

あたたかい場所で育ったわたしの正論は、どんな風に聞こえていたでしょうか。しかも、攻撃的になられた事がきっかけとなり、何のフォローも出来ないままに離れてしまった。それを思い出すたび、かつての自分の浅はかさに心底嫌気がさします。

医療のことは実際に診てくださる医師に相談するのが一番良い選択であるように、DVやモラルハラスメントに悩んでいるならば相談支援センターや病院等のカウンセラーに相談してください。必ず専門家です。
こころの問題は他者が思うよりずっと複雑です。
頭では考えてわかっていても、そのように動けない苦しみからさらに自分を追い詰めてしまうことがあります。
人生相談や占いに頼るのではなく、こころを守るための最善の方法をとってください。
──Twitterより

本当に深刻な状況にある人に必要なのは、プロの手です。これは医療でも同じことです。どれほど深刻なのかを本人がわかっていない、それも共通していることです。
素人に頼るのではなく、カウンセラーなど適切な専門家に頼ることこそが助けになります。場合によってはシェルターが必要かも知れない。
素人が中途半端に学んだくらいでは駄目です。どんなに人生経験があろうと、プロとアマチュアは天と地ほども違います。アフターケアだって出来やしない。

まだ20代、理想と正義感に溢れた若き日のわたしは、そんな単純なことすらわかっていなかった。一見すると親切なようでいて、非常に無知で傲慢でした。書いている今も、救世主にでもなったつもりかと、当時のわたしを叱りつけてやりたい気持ちでいっぱいになります。

大変嫌な言い方をすれば、正論は言う人もそれを聞く周囲の人も気持ちがいい。存分にカタルシスを振り撒きます。切れ味が良ければ良いほど、それが正しければ正しいほど美しく見えます。
刀のようなものです。斬れば血が出るし、命を奪うかも知れない。
きちんと知識を持ち、時と場所を選び、しっかりと責任を取れるのでなければ、振り回してはいけない類のものなのです。

正論の向こう側にある、相手のバックグラウンドや生活は見えていますか。愚痴や相談を引き受けるにあたり、それらを思い込みで決めつけてはいませんか。そこから見える景色は、切り取られたほんの僅かな情報だと知っていますか。その言葉は、愛情という砥石で尖らせた刃になってはいませんか。それはあなたの仕事ですか、プロに繋げるのが正解ではありませんか。

いま、わたしは常に自らにそう問います。それがわたしにできる、せめてもの償いのかたちです。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」