見出し画像

Dive into your music

 お恥ずかしい話だが、実を言うと「もうこの人生なんて実質余生だろうな」と思っていた時期がある。それも、短期間ではなく。
 別にだからといって投げやりになるなどでもなく、ただ淡々とそう思っていた。そう感じていた。
 流石にその年齢で余生云々は幾ら何でもあまりに早すぎるので、こっぴどくお叱りを受けそうなものだが、当時の自分を振り返ってみると殊更不自然とも思わない。何せ、きっちり日常だけはこなしていたのだから。そこに「ありふれた日常」しかないだけで。

 温度や湿度の極端な欠乏、といった具合だ。ひたすらに時は過ぎる。黙々と、同じ板を層状に毎日積み重ねるだけのような気がしていた。
 映画も音楽も、美術も折々に楽しんではいた。しかし通り過ぎると、ぽっかりと開いた静寂の穴に吸い込まれる。さながらブラックホールのようだ。開いた穴を埋めるように、知識や触覚、嗅覚を詰め込む。しかし一向に埋め足りない。

 二十代のはじめを割とジェットコースターな世界で生きてしまったからだろう、とは思う。その後も、様々な要因によって波乗り感は続いた。そんな日々が行き過ぎ、細波すら立たぬ平穏の中に束の間身をおけば、まあ確かにすべてが空白のように見えるのは避けがたかった。

 すると今度は体調がめきめき悪くなり、原因不明のまま受診を繰り返すうちに検診でがんが見つかった。がん自体には驚きはなかったが、初期とはいえ周りの空気が変わるのを感じた。ああそうか。何だかんだで、また波に乗るのか。
 淡々と受け入れ、データを揃え、医師の見立てを周りに納得のいくよう説明する。
 淡々と、ただ粛々と。モチベーションをくれる幾つかの楽曲で、自らの足を前に進めながら。

この曲と「地獄でなぜ悪い」はアンセム。

 そんな日々に音符を運ぶ一陣の風が吹いた。日常に鮮やかな色がついた。その瞬間、カートの中のペットボトルでさえ、いつもよりずっと魅力的に見えた。
 カラフルになった日常は、ぽっかりと自らを飲み込むブラックホールではなくなった。これまで薄い紙を隔てて聴いていたような音たちや映画のストーリー、書籍の行間までもがみるみるクリアになっていった。

 不思議なことに、周りの人々にも同じ風が吹きはじめ、今やどこでどのように風が吹いたかという話題がLINEに入ってくるくらいだ。

 今週末?あちらこちら楽しみを追いかけてオンライン上を駆けずり回っている。まるで終わらないダンスのように。
 明日も時間が足りない騒ぎだ。その上、そろそろ本格的に初夏の支度もととのえなければならない。そうだ、音楽を流しながらにしようか。 
 

そういえば退屈な日常でこの曲を思い出したけれど、退屈な日常の中に大切なものってあるよね。きっかけが必要なだけ。時々見失うけれど、あたりまえは、当たり前じゃない。


なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」