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InformationとSelf Control

緊急事態宣言がきのう発令された。

多分これから「○○を見るな」「○○は全部やめろ」という大きな主語が跋扈する。内容にかかわらず、大きなニュースがあるときはいつもそうだ。主語になるのは大概メディアかネット、もしくはマスコミにSNS。
その一部を切り取れば正しい。多くの人のことを思っての言葉かもしれない。
でも全面的にはおすすめしない。つらい情報に触れすぎるとストレスがかかる反面、身に染み付いた習慣はそうそう変わらないからだ。

情報を選ぶのは難しいことだが、効率的に絞る方法はある。
たとえばTwitter。「リスト機能」を使えば、選んだリストだけのタイムラインを見ることができる。エンタメ公式だけ、動物だけなど、心にやさしいものだけを集めることはできるのだ。
見るものを意識的に切り替えることができるならば、無理してすべてを手放してしまう必要はない。

たとえばニュース。
全国ニュースだけを追ってはいないだろうか。生活に一番必要なのは、むしろ居住地域の「いま」ではないだろうか。
ローカルメディア、広報誌、そういうものでは「いま地域で受けられる支援」や「地域の方策」の情報が得られる。情報遮断は、むしろ必要な情報からも遠ざかってしまうというデメリットをはらむ。
「ニュース番組」と「情報番組」を見分け、「ニュース番組」の中でも「ストレートニュース」を選ぶことで、入ってくる情報量を調整することもできる。

「テレビはダメだ」という向きは、コロナ禍で地方の放送局がどれほど都道府県広報や教育に資してきたかなんて見てもいないし、教養番組なんて見向きもしない。
「ネットはダメだ」という向きは、ネットを地盤にして真面目に情報発信している学者や医療従事者を背中から撃っている。断絶はよくない。
そして覚えておきたいことは、「誤った情報はオフラインからでも来る」ということ。
主語が大きければ大きいほど、ヘイトや断絶につながりうる。それはまた別のストレスを生むのだ。場が荒み、本当に頑張っている人たちが追い込まれていく。
小さな主語こそが、見るべきもの。大切なことはいつだって丁寧で繊細だ。だからこそ難しい。

勿論、全体的な時間を見直してみることも大事なこと。
いまは外出が難しい時。長期化を視野に入れ、早いうちから使えるものを上手に活用していくことを意識してもいいと思う。
 
 

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」