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つながっていられた

指先しか動かせないとき、わたしは知った。

いや、正確に言えばそれを知ったのは二回目だ。一度目は、身内がやはり「指先しか動かせなくなったとき」だった。

わたしの身内はかつて、不慮の事故により身体の自由をかなり制限されてしまった。今もその影響は残っている。
大きな病気や大きな怪我は、それまでの非日常が日常になっていくはじまりだ。色々があまりにもドラスティックに変容する、こともある。

その時はまさしくそうで、他人のちょっと崩した体勢を支えたかっただけなのに、まさか一生残る不自由を抱えていくことになるなんて想像もしていなかったと思う。

「日常」がかわる。

病院の白い部屋の中で、指先がかろうじてやっと動く彼が拠り所としたのは、どうやら備え付けのテレビのようだった。
普段はよく歩き、社交的で人とのかかわりが多かったのに──見舞い客がひっきりなしに訪れるとしても、外の社会との接続が上手くいかないのは苦痛だったのだろう。
あまり使わないかも知れないと思っていたテレビカードの度数が、ぐんぐん減っていった。それまでは「耳が悪くなるから」と言ってあまり使っていなかったイヤホンに、こだわるようになった。買い直した。

・・・・・・そうか、そこは小さな社会なんだな。そしてそれまでの「日常」のエッセンスなのか。

電源をやっとこさ入れれば、そこにつながっていられる。置かれたあまりに理不尽で過酷な状況から、暫時意識を解放できる。不慮の事故や不可逆の未来についての話ばかりしなくていい。
ぐんぐん減る度数、コレクションのように増えていく使用済みカード。

それを見て、病室にテレビがあることがどういう意味を持つことなのかを、はじめて知ったような気がした。幼い頃の長期入院は学習ドリルと読書に費やされていたから、病室におけるあれはただの娯楽だと思っていた。
無知だった。

そしていつしか、それを記憶の引き出しの奥にしまっていた。

がんの手術で自分自身が「指先しか動かせなくなった」とき、やっぱりテレビカードの度数がぐんぐん減った。
最初は体勢固定なので、読書するのも難しい。スマホも大変。そうしたときにぴったりはまるのがそれだった。思い出した。

つながっていられた。外の世界と。

あの仕事にはやはり大きな意味があったんだなあ、と思った。意味のない仕事はない。内容に良し悪しはあれど、少なくとも誰かのためにはなっているのだと。エンタメの力もあらためて思い知った。

海外ニュースや、岩合さんのねこ歩きや、行ったこともない土地の旅番組や、クラシックやその他のコンサート、夕方の報道、美術、歌番組、まだまだある。見た。

つながっていられた。

自立歩行が許可されて院内コンビニエンスストアに行けるようになり、ぐるぐる歩き回れるようになったあとも、わたしはもうその経験を忘れなかった。

無批判にするつもりはない。多分むしろ、凄く厳しい目で見ている。でも、見知らぬ誰かの成した仕事を十把一絡げに蔑むほど、荒んでもいない。
 
 
 ◇ ◇ ◇

ゆっくり受け入れるための助走は時に必要だ。わたしはたまたま助走を長くしていたから、告知をホイッと受け入れたけれど、そうではない人もいると思う。
入院生活もわたしは楽しめたけれど、病状や状況が違えばきっとまた異なるはずだろう。
気持ちのクッションになるものって、大事なんじゃないかな。そんなことを考えながら、色々思い出して書きました。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」