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「依存」について考えた

明けましておめでとうございます。突然ですが、28歳ぐらいの時付き合っていた彼氏に実際に言った言葉を紹介します。(自己開示の歯止めがきかず半ばトランス状態)


「私、他の人に一切理解されなくてもいいから彼氏という立場の人にだけは理解されたい」



お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおもーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!




本当に、あのまま結婚しなくて良かったと思うのです。

当時なんの疑問もなく吐いた台詞に、今では恐れおののくことができるようになったことに、安堵と誇りを感じています。

上記の台詞を読んで、なんの疑問も持たない人、「え、普通っしょ?」と思う人は、是・非、続きを読んでみてください。では進めます。


***

さて、恋愛が上手くいかない。

特にここ数年は、山の天気みたいな恋愛ばかりで(どんな恋愛を形容しているかは自分で考えてね)まさか自分がこんなJーPOPの歌詞みたいなことを考えるようになるなんて20代の頃は想像しなかったんだけど、年々"恋をすることに臆病"になっている。思い切って言うけど、「私が、選ばれるはずない」と、割と本気で思ってしまう。嗚呼。

私は悩み事があると人に相談するより本を読む。心についてよく考えるようになったのは、自分の苦しみの理由や仕組みを理解することでどうにかその感情を落ち着かせたくて、心理学系の本を読み漁るようになったからだ。

そういった関連の書籍を読んでいて、気づいた。

「私、めっちゃ依存体質だ・・・」と。

これに気づいたときは衝撃だった。けれど反面、恋愛に限らずこれまで起きたあらゆる人間関係の問題もすべてこれに起因していると感じられ、一筋の光が見えた心持ちでもあった。

そして依存してしまう理由は、自分に自信がないからだとも解釈していた。自分で自分を認められないから、他人に認めて欲しいのだと。
自分で自分の人生を引っ張る勇気がないから、誰かに連れて行って欲しかったのだと。

だから、自信を持とうと思った。
自分で自分を幸せにするんだと決意し、すべては自分の責任だと言い聞かせながらとにかく行動した。それが自信を取り戻す方法だと思って。

ことあるごとに「依存しちゃいけない、依存しちゃいけない」と頭の中でリフレインさせていたし、他人の依存にも敏感だった。


一時期、心理学者である伊東明さんという方の『恋愛依存症』という本がバイブルだった。(恋愛依存にもいくつかのパターンがあって、異なるパターンの者同士が惹かれ合ったりするのだそうだ。普通に人の心理を知る本としておもしろい)

本は色々なことを教えてくれる。しかし、悩みがあるとき私が人に相談するより本に頼るのはなぜかというと、
こんなことを言うと少し悲しい思いをさせてしまう人がいるかもしれないのだけれど、私はあまり深い友人関係を築かないからだと思う。

友達がいないわけではない。特にいじめられっ子だったわけでもないし、基本的には性善説で生きているつもりだ。

一人で過ごすのも好きだから特に不自由もしてこなかったし、これまで自分のこういった交友関係を問題視したこともなかったのだけど、ちょっと考えてみようという気になった。


それで思い出したのは短大生の頃、よくつるんでいた友達とどうにもこうにも折り合いがつかず、怒り心頭になった時のこと。腹が立って腹が立って、言いたいことが身体中に満ちて、口をアワアワさせていたのに、私が取った行動は、
〈その場を去る〉
というものだった。

背中に「あ、逃げた」という友の声が残った。


私は人とぶつかるのが怖い。
面と向かって、怒りなどのネガティブな感情をぶつけること、ぶつけられることが嫌だ。
そんなの、「好きだ」なんて人はいないかもしれないけれど、私は見事にそういうことを避けて生きてきたんだと思う。

多くは、喧嘩にさえならない前、ちょっとした違和感、「あ、この人なんか違うな」とか、「なんだか居心地が悪い」という感覚を覚えた時点で、すっと離れてしまう。だから相手にも気づかれていないし、飲み会なんかでは一緒になるし、実際さほど「嫌い」な訳でもない。

「ちょっとした違和感」は直感のようなものだから、それに従って交友関係を選んでいくのは大切なことでもあると思う。でも私の場合、ネガティブな感情の衝突が起きるのを恐れるあまり、あまりにも早い段階で人とのかかわりを諦めてきたのではないか。もしかしたら、「それ、ちょっと違わない?」と伝えることが出来ていれば、その先に思いも寄らぬ信頼関係が築けていたかもしれない。

そうか、だから友人関係が希薄なんだな、私は。人と深く関わることは、時に痛みを伴うから、だったらなくていいと思ってしまったんだ。

ここで冒頭の彼氏に向けた言葉に戻る。



「私、他の人に一切理解されなくてもいいから彼氏という立場の人にだけは理解されたい」



ああ、お気づきだろうか。
「他の人に一切理解されなくてもいい」


「代わりに、あなたが全部理解して」
ということなのだ。

本当は理解されなくてもいいんじゃない。
理解されたいし、人と繋がりたい。

でも多くの人と理解し合おうとすると大変なことが多すぎるから、代わりにパートナーだけに深い深い繋がりを求めていたのだ。

そりゃあ、重いよ。
何人分の愛情受け取らなきゃいけないのよ。


じゃあね、ついこの間まで持っていた「依存しちゃいけない!」っていう考えなんだけど、

これは厳密に言うと間違っていたと思う。

きっと、正しくは

「みんなに依存しよう」

なんだ。

だれか1人に人生を預けるんじゃない、かと言って自分ひとりで生きていくのも違う。

みんなに、少しずつ助けてもらいながら生きていくこと。

それが真の「恋愛依存」からの脱出だし、心地よい、人とのかかわり方なんだと思う。

これに気づいたとき、私は勝手に背負っていた何かから解放された気がした。何だか楽ちんになった。


きっとこれは恋愛に限らず、あらゆる依存に共通しているんじゃないかな。




「依存していい」。
でも、世界中に依存しよう。

そんな抱負を胸に、2019年のはじまりであります。




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