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「好き」って言いなよ。

「月が綺麗ですね」
かつて夏目漱石が「I love you」をそう訳したのはあまりにも有名な話。

これは日本人の奥ゆかしさをよく表したエピソードだ。

言葉がもともと持つ意味をそのまま伝えるのではなく、含みを持たせて余白を作る。受け手はその余白から相手の想いを想像し、恋人たちは彼らにしかわからない世界に浸る。

なんて素敵なんだろう。うっとりしてしまう。


ではあなたは今、気になる異性から「月が綺麗だよー!」とLINEがきたら、「こいつ、私のことを愛しているのかしら」と思うだろうか?

多くの人は「さすがに現代でそれはないわ」と思うかもしれない。

では、「その服可愛いね」はどうだろう。

「今度飲みに行きましょう」と言われたら?

「とても魅力的な方ですね」はどうだ?

じゃあじゃあ、

「好きです」
は?


驚くなかれ。

この世の中には、付き合うつもりもない異性に「好きです」と言う輩が存在するのだ。

彼らは言う。
「好きですには、好きです以上の意味はない」と。

どういうことだ。あなた達は、夏目漱石を侮辱しているのか。

坊っちゃんを、こころを、日本の文学界の宝を、否定するというのか。


仮に彼らを”好きですヤクザ”と名付けることにしよう。
対して私のような人間は”好きです弱者”だ。

好きですヤクザはまるで息を吸うかのように「好きです」と人に伝えるらしい。

息を...吸うかのように...?

それは、巷のナンパ師と何がちがうのだ?

そこに本当の愛はありますか?

好きです弱者は、相手の余白を慮る。
私くらいのレベルになると、上述の言葉「その服可愛いね」以下は大概、好意を読み取る。
下手したら「月が綺麗だねー!」も「愛されている...?」と変換するかもしれない。漱石先生万歳!

だから好きです弱者は当然、自分から他者に「好きです」と伝えるのにもかなりのエネルギーを使う。本当に、あなたならば、この私の恋のお相手と、認めようではないか!そうして初めて心の中にこれまで溜めて溜めて溜め込んできた煮えたぎる思いを、「好きです」のその一言に詰め込んで特大の元気玉の如くお届けする。その時、私の覚悟は尋常ではない。そう。私に好きですと言われたあなたは、恋人、いや結婚相手としての自覚を持たねばならない。


ここまで書いた文章を一時保存し読み返していると、これを読んでいるあなたの声がありありと聞こえてくるようだ。そう、あなたは今、

「重い」

そう思いましたね?


そもそもこんなnoteを書き始めたのも、某氏にこの考えを「重すぎる」と非難されたからである。
衝撃を受けた私は手始めに、こんなツイートをしてみた。

これには各方面から反応が返ってきた。私のような好きです弱者寄りの人、ごりごりの好きですヤクザ、様々だ。

がしかし、ここで私は好きですヤクザ達のある特徴に気がついた。

『異性カウントしてない』
『男女どちらも』

そう、彼らは、”男女関係なく”、他者に「好きです」という言葉をかけている。

そこから窺えるのは、必ずしも恋愛を前提としない、人間としての好意。
言わば、人間愛。

それに比べて私はどうだ。

女友達に「好き」だなんて言ったことがあるだろうか。もちろん好きな友達はいる。が、それを伝えようとしたことはあるか?
私の「好き」という言葉は、恋愛対象とその後の関係を進めるための手段だった。言わば、相手をコントロールするための、道具だったのではないか?

何が”本当の愛”だ。
私には、下心しかないじゃないか...!


この記事を通して、私は好きです弱者が間違っていたと言いたいわけではない。
「好きです」と言っても言わなくても、どちらでもいいと思う。
それはあなたの性格にもよるし、わざわざ言葉にしなくても、行動や雰囲気、ふたりの関係性から伝わることもあるだろう。

ただ、私のような、下心がある場合にしか「好きです」と言わないようなケチな”隠れ好きですヤクザ”は悔い改めるべきだ。ということをこの記事の締めくくりにしたいと思う。

私はこれから好きな人には好きだと伝えていこうと思う。

そこには「好きです」以上の意味はないのだから。

「あなたに何かを求めているわけではなく、ただ、私はあなたという人間が好きなのだ。」という以上の意味は。







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