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情報リテラシーを備える為の心構えと正しい情報を見極める9分類について。

情報に関するリテラシーという言葉や考え方は、おそらくもう誰もが知るところで、巷に溢れる情報の波に晒されるボク達にとって、今や無くてはならない能力だと言えるとおもいます。

具体的には、必要な時に、必要な情報を必要な量だけ、正しく受け取る為であり、分かりやすいところでは、いわゆるデマの拡散に惑わされない為でもあるし、自分がデマの拡散に加担しない為でもある、と思っています。

そう、受信者の1人ひとりが受け止め、正しく取捨選択し、正しく活用する為にも、とても重要なことですよね。

でも、一方で「情報リテラシー」という言葉は知っているけど、どのようなものかと聞かれると明確に答えられないとか、説明できないという人も結果いるんじゃないかな?と思います。

また、情報リテラシーの意味は分かるけど、どうやって身に付けたら良いのか?どうやって判断したら良いのか?
その方法が分からなかったり、具体的な「判断基準」のようなものがないと「自分で真偽の判断や情報の精査を行うのが難しい」という人も、一定いるのではないかな、と思っています。

※本来、それは悲しい事だと思うのですが、
程度の差はあれど、そう思わざるを得ない人たちは実際に散見されるし、もちろん自分だって情報リテラシーが高いと胸を張れるかといえば、やはりそうとは言えない。

そこで今回は、発信元がマスメディアであれ、SNSであれ、自分が目に、耳にする情報に対して、どのようにして信憑性や信頼度を測れば良いのか、取捨選択の方法や、その判断基準の1つとして、「心構え」のようなものを書きたいなと思います。


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1.そもそも「リテラシー」とは?


最近は、「情報リテラシー」や「ネットリテラシー」、「ITリテラシー」、また「メディアリテラシー」や各分野の言葉に繋げて使われるなど、色んなところで「リテラシー」という言葉を目にすると思います。

語源となるのは英語の「literacy」で、意味としては「読み書きの能力」であり、日本語に直訳すれば「識字率」の「識字」にあたります。

ただ、昨今の日本で目にする使われ方としては、
「ある分野・物事に関する前提知識」とか、
「ある分野・物事に関する共有しておくべき基礎知識」などになると思います。

もう少し具体的にいうと、

「ある分野・物事に関する情報について取り扱う時に、正しく理解して、整理・分析・活用できる能力」

といった感じのニュアンスになるかと思います。


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2.情報リテラシーを身につける為の心構え


冒頭で触れたように、情報リテラシーという言葉を知っていても、実際に情報の取り扱いが出来ていなければ、リテラシーが「ある」「もっている」「たかい」とは言えませんよね。

そこで、実際に「とある情報」を目にした時に、どのような姿勢で情報と向かえば良いのか?
自分の中で明確な「心構え」を持っておく必要があると思います。

それらの心構えとして、ボクは次の4つを心がけています。

・その情報は「正しくないかも知れない」と考えること。
・その情報を「真偽が分かるまで広めない」こと。
・情報の正しいかどうか「自分で調べる」こと。
・自分が情報の真偽を判断した「理由」を持つこと。


これは、単純に「慣れ」が必要かなと思います。

特に、情報の発信者が「有名人」であったり、権威を感じる「肩書」を持つ人だったりする場合には、SNSであれば「いいね」といった数字で見える指標があったりするので、思わず「自分で考える」ことを忘れがちになります。

そのため、まずは以下の点を肝に命じておくと良いと思います。

SNSの共感者の数は、真偽の指標ではない。


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3.情報リテラシーを持つために知っておくべき情報の9分類


心構えは良いとして、じゃ実際に情報と向き合った時、具体的にはどうやって真偽を確認すればいいのか?判断方法(判断基準)はないの?

そこで困惑してしまったり不安が残るという方は、次の点を、1つの基準として覚えておくと良いかと思います。

身の回りにある情報は、次の9種類のどれかに分類できる。


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■正確な情報

発信・投稿された記事・情報内に、
事実の誤りはなく、重要な要素が欠けていない情報。


■ほぼ正確な情報

一部は不正確だが、主要な部分・根幹に誤りはない情報。


■ミスリード

一見事実と異なることは言っていないが、
釣り見出しや重要な事実の欠落などにより、
誤解の余地が大きい情報。


■不正確

正確な部分と不正確な部分が混じっていて、
全体として正確性が欠如している情報。


■根拠不明

誤りという証明は出来ないが、
証拠・根拠がないか、非常に乏しい情報。


■誤り

全て、もしくは根幹部分に事実の誤りがある情報。


■虚偽

全て、もしくは根幹部分に事実の誤りがあり、
事実でないと知りながら伝えた疑いが濃厚である情報。


■判定留保

真偽を証明することが困難。
誤りの可能性が強くはないが、否定もできない情報。


■検証対象外

意見や主観的な認識・評価に関することであり、
真偽を証明・解明できる事柄ではない情報。

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基本的に、全ての情報は上記9種類のどれかに分類できる事を知っておく。

これさえ覚えておけば、気になる情報があった時や、何か心が揺れる情報があった時、つい反応したくなる情報に触れた時に、何らかのアクションを起こす前に先ず1つ、

「上記の9分類でどれに入るだろうか?」

という1クッションを持てるようになると思います。

これを考えるようにすると、
少なくとも、デマを鵜呑みにして痛い目を見たり、無自覚にデマの拡散に加担をしてしまう確率は大きく減らせると思います。


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4.自分が受け取る情報は、自分自身で偏らせている可能性がある事を自覚する。


情報過多と呼ばれる程に、情報が溢れ、晒される社会においては、さらに認識しておくべき大事なポイントが、2つあると思っています。

その1つは、
「誰もが簡単に、他の誰かの者のチェックを受けること無く発信ができてしまう」こと。

もう1つは、
「自分が受け取る情報は、自分が見たい情報だけに偏らせている」ということです。


前者は、文字通りで誰もが理解できる点だと思いますが、後者に関しては、意外と忘れがちな危険性があると思っています。

例えば、webニュースをソースとする場合なら、
その掲載誌であったり、ザッピングする際の見出しであったり、ほぼ間違いなく何らかの自己判断で選んでいると思います。


また、SNSであれば、好きな人、気分がよくなる人だけをフォローしたり、自分にとって害や嫌悪に繋がる人は、フォローしなかったりすると思います。

つまりその時点で、タイムラインに流れてくる情報の多くは、自分にとって好ましい情報に偏っている可能性が高いという事ですよね。


このようにして、受信する情報というのは、そもそも自分で偏らせている可能性がある、という事実を、ボクたちは忘れてはいけないなと感じます。

そのうえで、受信する情報には偏りがある他に、真偽・清濁入り乱れたモノであるという心構えでいることが、情報リテラシーを持つということに繋がるのではないでしょうか。


以上、ナツキのパパでした。


※ボクは特に何の専門知識も持たない「その辺のおじさん」ですので、
この投稿自体も「情報リテラシー」を持って受け止めて頂ければ幸いです。笑


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。