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【サボタ日記 39鉢目】どうやらみんなの幸せはみんなで決めるしかない、というお話

へいほーこんばんは。
嬉しかったり悲しかったりしながらも、総じて一生懸命やっております。
1週間前の自分がとっても遠いところにいるし、除夜の鐘がゴイーンと鳴って今年になったときの自分なんて、もはや別人かよってくらいな感覚です。
成長しているかどうかはわからないけれど、変わってきている実感あり。

濃いよ。2K19。

そして、厳しいけど楽しいよ。2K19。

で、タイトルの話なんですけど。
「幸せってなんだ」とか。
「優しさってなんだ」とか。
「自由ってなんだ」とか。
最近、とみに真面目に考えておりまして。
取っ組み合うにはデカすぎるけれど、向かっていく価値がありまくるテーマ。

…いやー!なんなんすかね。幸せって。

ちょっと前まで「幸せかどうかは自分が決めるものだ」って思ってたんです。
これ、このフレーズだけだとポジティブでその通り!って思うんですけど、僕の場合はちょっとズレていたみたいで。

なんとか言葉にしていきたいんですけど。

自分が決める、の部分を拡大しちゃっていたなというか。
我慢も含めて、「足るを知る」というか、幸せと思えばいつでも自分は幸せじゃん、って思おうとしていたというか。
ある意味で自分を誤魔化してきたというか。

…うん、そうなんです。
若干ネガティブですねw
元はポジティブな言葉のはずなのに、文字にするとそこはかとなく不幸そうw

でも、本気でそう思っていたんですよ。

その割に他者に対しては、自分が勝手に判断して思い込んで、「これがあれば幸せでしょ」っていうカタチの幸せを渡してきてしまったところがあるような気がしていて。
「あなたも足るを知る、を知ってね」みたいに押しつけていたというか。

ちゃんと誰かの話を(物理的な意味で)こちらが能動的に質問して、丁寧に聞いて。
出てきた言葉と自分のできることやりたいことを擦り合わせるっていう段階を端折ってきてしまったなと、ハタと気がつきまして。

今までやってきたのは、自分の本音を隠しながら相手の要求を引き出して、そこに応える。
ただそれだけだったんじゃないかと。
あ、もちろんすべてではないですけどね。

これ、楽ですよね。
話す時間も長くは必要ないし、自分の本音を出す必要も、それを否定されるかもっていう葛藤なり勇気も必要ない。
当然、擦り合わせなんて起きない。
自分の考えと違ったら黙って自分が我慢して、内心イライラしながらも優しい顔をして(いるつもり)で、こなせばいい。
で、たまに我慢できない(と、自分が勝手に線引きしたライン)でネガティブ・メーターが満タンを振り切ったら、爆発して怒ったり悲しんだりする。

で、空っぽにしたら、また、笑顔で我慢する。

おまけに、誰かの役には立ってる感というか、要求に応えられてる自分、みたいなものには達成感がついてくる。
なんなら、そこに依存しちゃう。
自覚なしに。

要求に応えること自体は決してイージーではないけれど、あまり相手のことを考えないでも、自分の存在を肯定してもらえる。

そこに、相手への思いやりは、たぶんない。
ゼロではないけれど、相手は尊重できていない。
「優しいと思われたい」っていう自分を押しつけているだけ。
相手のことを考えているようで、実は考えていない。

どこまで譲ってもらえるのか。
外したくないポイントはどこか。
聞きもしない。
言いもしない。
聞いたら聞いたで、とりあえず応えておく。
本音を言うのも怖いし。

本音を言って嫌われるくらいなら、我慢の方が得意だし。

…いやー、こうして文字にすると矛盾しまくっていることに自分でも愕然としますw
敢えて悪く書いているので、もちろん気遣いというか、単純にこれを「優しさ」と捉えることも全く否定していないつもりなんですけど。

でも、浅はかだったなぁというか。

傷つけたくない。
嫌われたくない。
そして傷つきたくもない。

こんな気持ちで逃げていたというか。
これって優しさなのか。
そして、幸せなのか。

自分の幸せは自分で決める、つまり自由なんだって思いつつも、他者の幸せまでも、自分が勝手に決めちゃおうとしていたんです。
善かれと思ってしていることでも、相手を傷つける可能性は常にあるのに。
だから、自分の動機が例え「優しさ」であったとしても、ちゃんと相手の気持ちを聞いて、自分の気持ちとも擦り合わせて動かなきゃいけないのに。

甘いなぁと。
「俺、優しい気持ちでやってるから、いいじゃん!」に甘えていたというか。
そしてたぶん、薄々気がついていた周りの優しさに助けられてきたんだなぁと。
それなのに、感謝もできていなかったなぁと。

ド反省しました。

そして。
もし、誰かと幸せになろうとしたら、自分の幸せは自分で決めるように、ふたりなり三人なりの幸せは、みんなで決めるものなんじゃないかなと、やっと思ったんです。
話そうって。
話して、ちゃんとお互いに望むものを理解しようって。

先回りはやめようって。

「わたしのことを傷つけてでも、あなたが本気でやりたいんだったら、わたしはそれを応援するよ」って、言ってもらえると信じたいし、自分もそうありたいなって。

そして、これは、相手に求めるのではなく、うっすら期待しておくくらいがちょうどよくて、もしそうならなくても、そのときはそこがご縁なんだろうなって。

そういう意味で、誰かを傷つけてでも、本当に自分がやりたいならば自由にやればいいし、でも、自分の自由で誰かを傷つけているかもしれないことは、認知できているものもできていないものも含めて、常にどこかで意識していたいなと。
怒られたり悲しませたりする事実も受け止めて、もし応援してくれる人がいてくれるなら、そのときには、そのことにちゃんと、感謝していたいなと。

そう思い始めているこの頃です。

「幸せ」と「優しさ」と「自由」は、楽しく厳しいっすね。

今週のサボタニは引き続きでハクさま。

根がここまで出てきました。
ニョコーン。
けなげだ。
胴をバッサリいったのに、健気。
かわいいなぁ。

来週も、厳しく楽しい道を、四苦八苦しながら歩いていこうと思います。

寒暖差にやられてお風邪など引かれませんように。

それではまた来週。

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