見出し画像

【サボタ日記 52鉢目】新しい扉がバーンて開いた話

ある時、急に扉が開く感覚というか、自分の中の真実みたいなものを手に入れた瞬間がふいに訪れることってあると思う。
先週末はまさにそれが降りてきた。

ぼくは基本的に言葉を重視し過ぎる傾向にある。
どれだけ感謝されているように見えても、「ありがとう」って表現してほしいし、どれだけ反省しているように見えても、「ごめん」の一言を欲しがってしまう。
料理がおいしいときは「おいしい」って伝えてほしいし、なんだったらそこまで感動的においしいって思わなくても「おいしい」って言ってほしいとさえ思っている。
言霊とかそういうスピったことではなくて、でも、そうやって言葉に出すことでおいしく感じることはあるし、それを「事実」だって思えるならどんどん言葉にすればいいと思っている。

で、個人的に言葉を大切にするがあまり、表情というか、言葉以外の伝え方の価値を、ちょっと軽視していたなと思い当たって。
そのきっかけになったのはこの本なんだけれど。

なんていうか、ぼくは言葉の力を過信していたようなところがあるみたいで。
ぼく自身がどんな気持ちでこの文章を書いたり話をしたとしても、その気持ちがダイレクトに伝わることはなくて、あくまでも伝わるのは言葉の「信号」のみで。
その信号を受け取った人が、その人の経験なんかを元にして「再構成」されたものが、あくまで伝わっているように見えているだけで。
だから、ぼくたちは今、便宜上、言葉を使うことがコミュニケーションとしてロスが少ないからその方法をとっているけれど、言葉の代わりに音楽を奏でたり、歌ったり楽器を演奏したり踊ってもいいんだろうなって、腹の底から理解できたというか。
表現者にとっては当たり前のことかもしれないけれど、本当に、この事実を信じることができたことで、ものすごく勇気が出てきたし、励まされたし、なによりたくさん自由に表現しようって思うことができた。
そう、伝える手段は無限にあって、自由に表現してよくて、言葉で伝わらないことにそこまで絶望を感じることもないんだと思った。
伝わらなくて当たり前だよね。
同じダンスを見て、感動する人もいれば感動しない人もいる。
みんながオーケストラを奏でようとしているところに、ギターをかき鳴らしてみても、それが認められることはないかもしれない。
でもそもそも調和を求める必要もなくて、ここで大切なことは、自分は今、ギターをかき鳴らすのか、それとも音に合わせていって、ギターを弾くにしても、今みんなが奏でている音楽にさりげなくフェードインしていくのか、そこを意識する必要があるということだと思う。
予定調和をギターでぶっ壊してもいいし、なんだったらラップしてみてもいい。
RUN DMCがAerosmithとバッチリとコラボできたように、LinkinParkがJayZとハーモニーを奏でられたように、好きにやりつつも、お互いをリスペクトして一緒に音楽をつくっていったらいい。
今は心からそう思っている。


今回の多肉さんは金のなる木のこの子をご紹介。
いよいよ家に持って帰って鉢植えにしました。
外の空気に触れながら日光を直接浴びて、心持ちのびのびして見える。

ここからすくすく成長していってくれることを願おうと思っている。(なんとなくお金持ちになれそうなネーミングだしw)

急に涼しくなってきたので、みなさま体調にはお気をつけて。
それではまた次回。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?